ベッドの上での目覚め
【クグルフ国】
《宿・スズカゼの部屋》
「……っ」
目を覚ましたスズカゼがまず感じたのは、指先の感触だった。
ベッドの柔らかな毛布の感触がそれを塗り潰し、全身に温もりを感じさせる。
身体の疲労が柔らかな布団に吸い込まれていくのが非常に心地よい。
そのまま、再び瞼を閉じて意識を沈めてしまい衝動に駆られるが、それを受け入れる訳にはいかないだろう。
「……す、スズカゼさん!」
そんな彼女の意識を確かにさせたのはメイドの声だった。
部屋の扉から入ってきた彼女は、手に持っていた桶を落とし悲鳴に近い声をあげたのだ。
その桶には真っ白な布が浸けられていたことから、恐らく自分のために持ってきてくれたのだろう。
彼女は自分が起きていることに驚いてから、自分の落とした桶の水が自分の足にかかった事に再び驚いていた。
「メイドさん……、お早うございます」
「もう夜ですよ! 大丈夫ですか!?」
「ちょっと全身筋肉痛で……」
いや、この痛みは筋肉痛ではない。
正確には痛みですらないのかも知れない。
鈍痛、とでも言おうか。
いや、痛みではないのだから正しい表現ではないだろうが。
かと言ってこれをどう表現すれば良いのかも解らないのだけれど。
「……」
自分の腕ではない。足ではない。眼球も髪先も、自分の物には感じられない。
まるで全身が機械になったような、無機物になったような。
非常に形容しがたい感触だ。
指先は確かに動くし、眼球も思い通りの方向に向く。
なのに違う。この感触は何だろうか。
「あ、あの、スズカゼさん? 大丈夫ですか?」
「あ、いえ。ちょっと疲れてるみたいで……」
「無理もありませんよ……。メタルさんがクグルフ山岳から貴女を抱えて帰ってきたときは心臓が飛び出ると思いましたよ」
「あの人が?」
「えぇ。あの人自身も決して軽傷ではなかったんですけど、貴女を抱えて帰ってきました」
「……そうですか」
良かった。彼も生きていたのだ。
この部屋はクグルフ国で与えられた宿の部屋。
つまりこの国も無事だという事だ。
多分、ファナも無事だろう。
即ち、今回の作戦は大成功だ、という事だ。
ほんの少しの禍根を残した以外は。
「…………」
残してはいけない。
それは、間違いなく彼を壊すことになる。
「あの、少し聞きたい事が……」
「はい、何ですか?」
《城下町南部・商店街》
「どうだい兄ちゃん! フェイフェイ豚の焼き肉は!!」
白い歯を見せて活気良く笑う店員の前では、焼き肉の皿を積み上げるファナとメタルの姿があった。
だが、彼女等の違いと言えばその積み上げられた数の差だろう。
ファナの隣には十皿程度に対し、メタルの隣には五十皿程度。
約五倍という食べっぷりの差に、店員も少し引き気味ながら嬉しい悲鳴を上げている。
「美味いなコレ! ペクの実を砕いて水に浸けてんのか!!」
「サッパリしてて食いやすいだろ? もっとバンバン食ってくれよ!!」
「おう! ……しかし何だな。フェイフェイ豚はよく見るが、ペクの実は珍しいな。店で出すトコなんて少ないだろ?」
「我等が国は魔法石を多く輸出してるから、貿易のツールは他国よりも濃い訳だからな。こんな珍しい実だって貰える訳だ」
「ふーん。魔法石の輸出ねぇ……」
ふと、メタルの肉を喰らう手が止まった。
ファナの食事の速度も心なしか下がったように見える。
当然だろう。彼の言う魔法石は、もう無いのだから。
「……肉、美味ぇな」
メタルは山中で命辛々、精霊と妖精から逃げ出したそうだ。
と言うよりも逃げる途中に精霊と妖精が逃げた、と彼はファナに話していた。
事実、そうなのだろう。
スズカゼを迎えたのは彼だったが、メタルは山中で逃げ切った時に、そのまま山を下るのではなく山頂まで向かったらしい。
そんな事が出来たのは精霊や妖精が居なかったからだ。
薄らと再び霧が掛かり始めた山中で、彼がどうにかスズカゼを見つけることが出来た理由。
それは彼女の周囲を浮遊してる妖精だった。
ファイムの宝石より召喚された火の妖精の光は、彼女を見つけるための目印と充分に成り得たのだ。
そして、メタルは発見した。
山奥で倒れるスズカゼと、ただの瓦礫と化した魔法石を。
「……どう思う、ファナ」
店員にも聞こえないような小声で、メタルはファナへと語りかける。
彼の前でじゅうじゅうと音を立てる肉の香ばしい音にメタルの声は掻き消されそうになるが、ファナは確かに反応した。
「この国は続くと思うか」
「……不可能だろうな」
ファナは上品に、しかし豪快に肉を食べ続けながらメタルの問いに答えを返す。
彼女の声も同様に、じゅうじゅうと肉の放つ香ばしい音に掻き消されそうになりながらも、どうにかメタルに届いたようだ。
「やっぱり、か」
「貴様の言葉からするに、魔法石は使用済みよろしく輝きを失っていたのだろう。今までは大元の魔法石の過剰分である物を採取していた。だが、本体が破壊された以上、過剰分が生まれるはずもない」
「……結果、魔法石は消滅した、と」
「少なくとも、もうクグルフ山岳で魔法石が採れる事はないだろう。もし他に採取場所があるならば何らかの手は打たれていたはずだし、件の盗賊団とやらもそちらを狙っていただろうな」
「まぁ、態々、大事になるような場所を狙う謂われはねぇわな……」
メタルは焼き肉を牙で食い千切り、咀嚼して飲み込んだ。
ファナもまた、香ばしい焼き肉をペクの実のソースに漬け込んで口の中へと放り込む。
じゅわりと肉汁が彼等の口内に染み渡り、肉のしっかりとした歯応えが満腹感を煽る。
メタルはそれをしっかりと味わってから喉へと流し込み、再び口を開いた。
「しかし、お前。大丈夫なのか」
「……何が?」
「〔真螺卍焼〕なんざ、そう使える魔術じゃねぇだろうに。片腕だって怪我してんだろ?」
「大した事ではない。精々、打撲か骨折のどちらかだ」
「大きく違うよね、それ。……ったく、無茶苦茶だなホント」
「そもそも片腕程度、魔力回路を活性化させれば回復はすぐだ。気にすることでも……」
「その魔力を消費させてんのは誰だ? しかも魔力回路の活性化っつても自然回復力がちょびっと上がるだけで、大したモンじゃねぇだろうに」
「……だから何だと」
「まぁーまぁー! 二人とも! 喧嘩せずに飯食おうぜ! な!?」
ボソボソと言葉を交わす二人を見かねたのか、店員は大声で彼等の会話を掻き消して網の上に肉を乗せた。
ファナが追加は注文していないと言おうとすると、店員は奢りだと言わんばかりに片目を閉じてみせる。
「夫婦喧嘩は犬も食わないってな!」
その日、クグルフ国の商店街で一閃の光が舞い上がった。
後に焼き肉屋の店員は語ったという。
夫婦喧嘩を止めたら、妻が夫を殺しそうになった、と。
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