霧の中で同志と会う
《北国への旅船・甲板》
「ふぁぁ……」
赤錆びた甲板には、手摺りに身を預けるスズカゼの姿があった。
手を伸ばせば指先が白をなぞるほどに霧が濃い。
船の頭など見えるはずもなく、甲板からの出口も見えるはずもなく。
唯一見えるとすれば、眼前の甲板中心で木椅子に腰掛ける老夫婦ぐらいだろうか。
「…………」
随分仲睦まじく見える。
年相応の夫婦とは良い物だろう。彼等のように、共に微笑み合える。
若ければはしゃぎ合えるだろうけれど彼等のように微笑み合えるのも、また一つの夫婦の姿だ。
自分も現世に居た頃はあんな風に老後は幸せにーーー……、とか考えていた。
今となっては今を生きるので精一杯だし……、平穏な現世に戻る気も無い。
と言うかそもそも戻る手段が解らないし。
「しっかしピクノちゃんが寝ちゃったせいで暇……。寝顔が可愛かったけど……」
寝顔を充分に堪能した後、流石に疲れて眠そうなメイドを置いて彼女は甲板に来た訳だ。
正直言って自分もかなり頭を使ったから疲れているのだが、まぁ、こうして何を考えるでもなくダラダラするのは悪くないーーー……。
「貴方は一人なの?」
「は、はい?」
スズカゼに話しかけてきたのは老夫婦、ではない。
彼等は未だ楽しく談笑しており、手土産らしき笛を共に眺めている。
では誰が? そう思い周囲を見回した彼女の視界に飛び込んで来たのは、白き濃霧に薄黒を作る、一つの影だった。
「……えっと」
霧の中から姿を現したのは、船着き場で旅行鞄を枕に顔を伏せて眠っていた女性だった。
一言で言えば、美人。如何にも仕事の出来そうな人物である。
しっかりと引き締められた体に、それを強調するかのような質素ながらに何処か艶めかしい服装。
長くも短くもない、中ぐらいの頭髪で微かに隠された首筋がまた色めかしい物だ。
綺麗な瞳でこちらを見つめられると、何とも言えない色気がーーー……。
「……エロい」
「ド直球ね。でも嫌いじゃないわよ!!」
「話が解るお方で。何かこう、健康的なエロスがありますよね」
「ぶっちゃけエロい恰好なんて男共は見慣れてるから、こういう健康的な一回りした恰好の方が受けるのよ」
「……男好き?」
「ただし獣人の、ね。あ、人間はロリもいけるわ」
「貴方とは気が合いそうですね。ただし男は除く」
「獣人の良さが解らないなんて、まだまだお子ちゃまねー」
「いやいや、男の良さが……」
「それはちょっと別物じゃないかしら」
「……カワイイは?」
「正義」
二人は熱い握手を交わし、互いに友情を認め合う。
老夫婦が驚いた様子で彼女達を見ていたが、二人はそんな事を気にもしない。
互いにアレな話題で意気投合したらしく、周囲の霧もオンボロな船も老夫婦の事すら気にせず、カワイイとは何かについて議論している始末である。
最終的には世界を救うのはロリっ子達ではないか、という議論にまで発展したのだが、余りに長い上に狂気染みているので割愛する。
「良いわねー、貴方! ここまで話が解ってくれる人は初めてだわ!!」
「えぇ、滅多に会える物じゃないですね! まさかこんな船の中で運命的出会いが出来るとは……」
「何が起こるか解らぬ人生ってヤツね。フフ、ここまで語れたのは本当に久々だから嬉しいわ」
「いやもう、こちらこそですよ! あ、お名前伺って宜しいですか? 今度、是非遊びに来てください!」
「私はラキって言うの。ぴちぴちの二十七歳です!」
「私はスズカゼと言います。ぴちぴちの青春ガールです!!」
大分痛々しいやり取りの後、彼女達は再びカワイイについての議論を開始する。
それを眺めていた老夫婦もそろそろ呆れてきたらしく、最近の若い子はとため息を付き合っている始末だ。
喧騒と呆れの二つが入り交じる甲板に切りを靡かせながら、船は段々と沖付近へ入っていった。
霧が無くとも見えるのは海のみだろうと言う程に、沖合へと。
普段ならば考え得る事は一つ。綺麗な海だという事だけ。
然れど、綺麗な海を波立たせる存在がある。
オンボロの船へと迫り来る、幾千数多の存在が。
「……なーんか、来てますね」
「え? そうなの?」
「えぇ、まぁ……。嫌な感じがします」
突然、纏う空気を変えた彼女に異変を感じたのだろう。
ラキと名乗った女性や老夫婦は頻りに周囲を見回し始めた。
然れど見えるのは霧ばかり。スズカゼが感じている異変に見える物は何一つとしてない。
老夫婦の妻、即ち老婆が気のせいじゃないでしょうかと言いかけた、その時。
[それ]は彼等へと襲い掛かった。
「この船が沈んだらどうする」
紅蓮の一閃が奔りて[それ]を斬断する。
通常のブルレドワームより数十倍は巨大な、一口で成人男性程度なら丸呑み出来そうな口を持った、化け物。
赤と青斑の逆立つ鱗から水滴を滴らせる暇も無く、その断面からどす黒い血を吹き出す暇も無く。
勢いを保ったまま、その円を描くようにして生えた牙に何物も喰らう事なく。
轟音と共に、霧の海へと消えていった。
「ひゃ、ひゃぁ……」
悲鳴にもならないような、消え去り掛けた声。
老夫婦はその場に座り込み、ラキは手摺りに沿って崩れ落ち、スズカゼは無言のまま納刀する。
が、手は鞘から離さない。その眼も静かに周囲を睨み付けたまま、動かない。
彼女が感じた気配は一つではないのだ。いや、数ではない。
群体。その、大きな気配。
「……囲まれてますよ、これ」
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