魔法石破壊
【クグルフ山岳】
《山頂・魔法石発掘現場》
「ーーー……っ」
全身が凍てつき、心臓だけが躍動する。
指先には汗が滴っているというのに、手足は氷に突っ込んだかのように冷たい。
肺から送り出された空気が口と鼻を通って外へ出て行くのが、そして中へ入っていくのが鮮明に解る。
眼球の動きも、髪先の流れも、全身の体毛の揺れすらも。
今の彼女を支配する、緊張として存在していた。
{グルルル……}
その数は、恐らく五十を超えるだろう。
いや、妖精も合わせれば百を超えてもおかしくはない。
全てがスズカゼと彼女の肩上に浮く妖精を威嚇し、牙を剥いている。
「……」
一歩、動けば死ぬ。
それは彼女には容易に理解出来た。
今、自分に向けられている数百の視線。
それら全ては殺気に染まっており、剥き出しとなった牙と爪は血肉を求めるように震えている。
だが、それでも。
{……!}
踏み出す、一歩を。
踏み出さなければならない。
今、山下でファナが戦っている。
今、山中でメタルが戦っているのだろう。
ならば、自分が怖じ気つく訳にはいかない。
例え、その結果が己を壊す事になったとしても。
自分は愚者ではないと確信して言う事は出来ない。
けれども、そうでないと信じる事は出来る。
もう一歩を、今。
{グルァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!}
咆吼を放ったのは、炎霊・ウードだった。
先刻の山中登山路ではスズカゼとファナ、そしてメタルを分断した荒波を起こした精霊だ。
スズカゼは反射的に武器を構え、精霊を後方へと下げた。
来る。あの荒波が。
全てを破壊し尽くす、あの荒波がーーーー……。
{キュイッ}
だが。
彼女の予想が大幅に外れる事となる。
「……え?」
ウードの叫びは荒波を呼び起こすのではなく。
逆に、精霊と妖精の壁に穴を開けたのだ。
真っ直ぐに、それこそスズカゼの位置から件の魔法石が見えるように。
「どういう……?」
罠? 策略? 誘導?
だが、果たして精霊や妖精にそれを行うだけの知能があるだろうか。
道中で聞いた話でも精霊や妖精はそれほど知能は高くない、と言っていた。
ならば、このまま進んでしまうと一気に囲まれて……。
いや、そんな単純な罠を精霊や妖精が使うだろうか?
第一、それをするぐらいなら荒波で押し潰してしまった方が遙かに早い。
ならば何故、こんな事をする?
「……まさか」
そうだ。
あの時も、荒波の時もそうだった。
まるで自分を存在しないように、木のように柱のように電柱のように。
自分という存在を避けていた。
つまり、それが意味するのは、可能性だ。
「……ッ」
自分が精霊や妖精に襲われないという、可能性。
「ふーーー……」
確証はない。
可能性とは言っても所詮は賭けだし、むしろ失敗する確率の方が高い。
だが、失敗どうこうと恐れている場合ではないのだ。
ここで退けば国が一つ潰れる。
それだけは絶対にあってはならない。
ぐじゅっ
泥を踏みにじって、スズカゼはさらに一歩を歩み出した。
精霊や妖精達はそれに反応しない。
そして一歩、また一歩。
まだ、反応しない。
一歩。
まだ、だ。
一歩。
大丈夫。
一歩。
まだ。
{……グルッ}
「……ッ!!」
スズカゼの足下で獣のような精霊が唸りを漏らした。
その視線は間違いなく自分に向いている。
現在、彼女の位置は既に精霊と妖精達の中間地点に差し掛かっている。
もしも今、飛び掛かられたりすれば一瞬で仕留められる事だろう。
{……ガゥッ}
だが、その精霊が飛び掛かってくることはなかった。
スズカゼの事を見間違いだったとばかりに視線を逸らしたのだ。
間違いない、何故だかは解らないが自分は精霊や妖精に注意を向けられていないのだ。
それは自分が弱いからか、それともオロチの言うようにーーー……。
自分が、人間ではないからか。
「……っ」
いや、考えても仕方ない。
愚者の思考は己を蝕む。
これを思考することは愚かだ。今、悩んでも仕方が無い。
もし無事に帰れたのならば、調べよう。
自分が何者なのか、を。
その結果がどうであれ、受け止めなければならない。
その行動の結果が己を壊す物でないと信じて。
「……っと」
既に、眼前数メートル。
今から木刀を振り下ろせば魔法石を破壊出来る位置にスズカゼは到着した。
精霊や妖精が飛び掛かって来ないのならば、早々に破壊すべきだ。
メタルの話では魔法石に大きな傷を入れれば内部の魔力が拡散し、魔法石は効力を失うと言っていた。
全力で木刀を振り抜けば、この魔法石ならば大きな傷は簡単に出来るだろう。
ならば、すぐにでもーーー……。
{グルッ}
刹那だった。
彼女の背筋に悪寒が走り、全身の危険警報が最大音量で鳴り響く。
そうだ。確定ではなかった。
それを少しの油断で決めつけてしまった。
「ーーーーーー……ッ!」
振り返った彼女の視界に映ったのは、眼光。
牙、爪、土、体毛、刃、舌、大翼、炎。
己を狙う殺意の数々。
「しまっ……!」
主なき使霊。
違う、主は居るのだ。
今、目の前に。
そもそも考えれば解ることだった。
魔法石の暴走とはつまり、魔法石が精霊や妖精を無差別に召喚した事である。
だが、それならば何故、今まで精霊や妖精はこのクグルフ山岳を離れなかった?
それは物言わぬ、動かぬ主を守る為だ。
自分のことを取るに足らない存在としてみていたのか、敵ではないと認識していたのかは解らない。
けれど、幾ら脆弱な存在でも主に殺意を向けた時点でそれは明確な敵なのだ。
主の危機に駆け付けない番犬は居ない。
微かな、あるかどうかすらも怪しいスズカゼの殺気。
それが精霊や妖精達が彼女を敵と見なすスイッチだったのだ。
「ぃっーーーーーーッッ!!」
反転し、巨大な魔法石に木刀を撃ち込むまで何秒かかるだろうか。
背後の精霊や妖精の荒波が自分を飲み込むまで何秒かかるだろうか。
いや、そもそも魔法石を破壊したとして、すぐに精霊や妖精は消滅するのだろうか。
一秒か二秒程度のラグがあれば、恐らく広がるのは魔法石の破片と自分の血肉となるだろう。
いや、悩む暇などない。
振り抜け。
「っっけぇええええええええーーーーーーーーーーーッッ!!!」
スズカゼの木刀の切っ先が魔法石に激突し、精霊の爪先が彼女の皮膚に食い込む。
それと同時にクグルフ山岳は凄まじい閃光に覆われ、太陽の光すら圧倒するほどの激光を放つ。
音は消え失せ、視界すらも白に染まった。
クグルフ国からも、その間の荒野からも、山中からも。
山頂から放たれた閃光を視界に映す事は出来ただろう。
そして、その光は数刻もしない内に消え失せた。
光のなくなったその場に残ったのはーーー……。
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