煌鉄と紅蓮の狭間で目覚めて
《地下図書館・第百八十七書物庫》
「ぐっ……」
彼女の、ファナの目覚めを出迎えたのは全身に走る激痛だった。
いや、激痛だけならば彼女もそれを押して立ち上がっただろう。
然れどもその後を突くかのように溢れ出てくる記憶が、彼女の意識を朦朧とさせた。
思い出されるのは、バルドの突貫。
何かが来ると構えた自分達の目に映った物を見て、彼は刃を振るったのだ。
構えた自分達の前に現れたスズカゼ・クレハを見て、数瞬の間を置いて刃を振るったのである。
生物の本能故か、戦人の直感故か。
味方であるはずのスズカゼ・クレハを見て、彼は何の迷いも無く斬りかかった。
当初は困惑した自分だが、その理由は数秒後に思い知ることとなる。
バルドの腹部に紅蓮の切っ先が突き立てられた、その数秒後に。
「漸く目が覚めましたか。寝坊助さんですねぇ」
彼女の朦朧とする視界は、その言葉で一気に明瞭化する。
腹部ぬ刃を突き立てられたはずの男の、軽快過ぎる言葉。
いつも通りの仮面を被ったまま放たれたかのようなその言葉はファナの心底を驚愕と驚嘆で覆い尽くしたのだ。
「隊……!?」
その小さな喜びを帯びた驚愕と歓喜は塗り潰される。
悲嘆と轟音と、絶望に。
「動かないでくれるかな。流石に私もこの場以外で護りきる自信はない」
幾千数多、自身の知識の内にある物すら上回る武器の数々。
漆黒、或いは白銀、或いは黄金のそれらは束となって壁と成り得ていた。
いや、それだけではない。成り得ているのでは無い。
バルドは常に[武器召喚]を繰り返すことにより視界全てを武器で覆い尽くし、尽きる事なき壁を作り出しているのだ。
破損した部分を埋める武器の数々はその強度故に、充分な壁と成り得るだろう。
それが例え、自身を狙っていない攻撃の余波を防ぐのが精一杯な物だとしても。
「な、何が……。いったい何が起こって……!?」
「さぁ? 私もよく解ってないんだよ。ただ面倒な事にこの状況を打破する手立てがないというのは確かだね」
「いえ、私が言っているのはそうではなく!! スズカゼ・クレハはどうなったかと言う事を!!」
「言ったろう。私も良く解っていないし、この状況を打破する手立てはない、と」
そう苦笑する彼の唇には一筋の赤色が伝っていた。
襲撃時に受けた傷か、無理な防壁による魔力の枯渇か。
如何にせよ彼に限界が迫っているのには違い無い。
ファナは援護しようと、震える足を押さえて立ち上がった。
自身も相当な被害を負っているらしい。打ち倒される前の記憶は曖昧だが、体に傷が無いのは不幸中の幸いだろう。
眼前の男のように、腹に穴が開いてないだけマシだ。
「変わりましょう。私の防壁なら有象無象の武器の盾より幾分有用です」
「やめて置いた方が良い。君の防壁はあくまで触れた物を[焼失]させる物だ。それが五大元素の火を司る魔術である限り、使用はやめた方が良いだろうね」
「……どういう事です?」
「先程からこの壁が削られているが……、削っているのは刃でも弾丸でもない。この壁を削っているのは、いや、この壁が削られているのは魔力だよ」
始めは何を言って居るのか理解出来なかった。
魔力を削る? 壁という物質的な物では無く、部品を構成する魔力を削る?
バルドの魔法は[武器召喚]だ。彼のジョブである[武器召喚士]という観点から見れば、武器を生成して召喚するか、既存の武器を召喚するかのどちらかである。
尤も召喚という仮定を経ている以上、そこに魔力は存在するのだからこの状況下では消費魔力の差でしかない。
どちらにせよ、今思考すべきは魔力を削られているという、この異常な事態である。
「魔力を削るなど、そんな魔術も魔法も聞いた事がない! いや、そもそも私の魔術が火だから何だと言うのです!? 私の火は既に[火]を超えている! 如何にスズカゼ・クレハが火を制していようと上級魔術さえ使えば……!!」
「まぁ、可能かも知れないね。幾分か可能性はある。……スズカゼ・クレハだけならば、だ」
彼の眼球の円を紅色が伝い、半円を描いて墜ちる。
仮面のようにへばり付いた笑みを伝う紅色の涙は酷く不気味で、ファナの臓腑を絶対零度に放り込んだように震えさせた。
笑みのせいか、その血涙は悲壮や怨禍の物ではなく、純粋に歓喜の物にすら見える。
恐ろしい。幾年も同じ部隊で長と補助を務めてきたというのに、この笑みがどうしようもなく遠く、悍ましい物に見えて仕方ない。
この男は何を持って、これ程の笑みを浮かべるのだろう。浮かべられるのだろう。
「とは言え、確かにこのままだと巻き添えをくらって死ぬのが目に見えている。状況打破に賭けますか」
「あの、その状況が見えないのですが……。いったい誰がスズカゼ・クレハと戦っているのです?」
「ゼルだ」
その名を聞くなり、ファナは安堵の息を漏らす。
確かに奴は気に入らない男だ。しかし、その実力はバルドをも凌駕するという。
伊達にサウズ王国最強の男などと呼ばれていない事は確かだろう。
片や相手は気の狂った小娘一人。自分でも充分に勝算があるではないか。
「……いや、違う。違う!」
そうだ、バルドは言った。
相手がスズカゼ・クレハ一人ならば自身だけでも勝算は充分にある、と。
それは即ち、相手はスズカゼ・クレハただ一人ではないということ。
「誰です? 誰がスズカゼ・クレハと共闘を?」
「誰でもない。共闘しているのではなく、戦っている。戦っているが故に危険なのだよ。スズカゼ・クレハよりもね」
「それは、どういう……」
「我々が危険視するべきなのはスズカゼ・クレハではない。……完全に義手の封印を解いた、ゼルだよ」
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