白衣の過去
《地下図書館・第二実験室》
「馬鹿者め」
奇異たる化け物を携え、老体は静かにため息をつく。
その行為の意味を理解しているのは研究者とリドラのみだった。
本人とその父親ならば、理解して当然のことを。
「満足に魔力回路もないような者が魔法石を急速に増幅させるような使い方など……。どうなるか解っているだろう」
「解っていて使ったのだよ、研究者」
血涙を零し、白衣の男は静かに息をつく。
ただ一度使っただけで魔力が枯渇し、血を落とすほどに。
彼の魔力は少なく、限界を迎えているのだ。
「……助かった、リドラ」
「無茶をするな、ジェイド。貴様が死んでは誰がスズカゼを抑える」
「ゼルか、貴様だな」
「悪い冗談だ」
リドラの指から白濁の指輪が零れ落ち、割れる。
元より研究所から掻っ払ってきた物だが、一度でも効力を発揮してくれればそれで良い。
幻術を司る魔法石が見つかったのは僥倖他ならないだろう。
「どう見る、リドラ。あの男の使霊は」
「見るも何もあるまい。あの男の使霊は相手取るな。それだけだ」
「そうもいくまい。あの研究者という老人は動けないようだが、化け物の射程距離はかなり広い。我々が脱出しようと背を向ければ貫かれる事は必須だろう」
「だが、あの使霊の力量差も見ただろう。上級精霊数十体を混合した化け物だ。勝てる相手では、ないぞ」
「……混合?」
「そう、混合だ」
ジェイドの問いに答えたのはリドラではなく研究者だった。
その応答に攻撃意思はなく、停滞を意味する事はリドラですら理解出来る。
尤も、どうしてその手を取ったのかまでは理解出来ないが。
ジェイドとリドラは互いに視線を交差させ、体力回復の時間を取るよう意思を会わせる。
折角、老人特有の長たらしい話が始まるのだ。体力を回復させない手はない。
「上級精霊複数を一つの魔法石に混合し、融合させた代物。それが[混沌獣]なのだよ」
「そんな事が……、可能だからその化け物が居るのだな。いったい、それの為に何体の精霊を犠牲にした? 幾年の時間を無駄にした?」
「犠牲では無い。無駄ではない。……必要な[経費]だった」
「その必要な経費の為に己の息子も妻も犠牲にしたと言うのに、か?」
老体は皺の刻まれた口端を微かに動かし、小さく息を吸い込む。
その言葉を吐く[犠牲にされた息子]は彼へと憎悪の視線を向けていた。
「それらを犠牲にしてまで、得る物だったのか?」
嘗ては父として、一人の研究者として尊敬したこともあった。
共に肩を並べ、研究出来ることが何物にも代えがたい幸福だった頃もあった。
指先と頬を油だらけにし、家に帰って父と揃って母に頬を拭かれるのが楽しみな時もあった。
皆で笑いながら、共に食卓を囲むのが救いだった日々も、あった。
「……そうだ」
「母の薬を作らず、研究に没頭し続けたのもそれ故か」
「そうだ」
「私がここを出て行き、サウズ王国に移住すると言っても何ら反応しなかったのも、それ故か?」
「そうだ」
「未だ過去に縛り付けられ! 物知らぬ少女を憎悪の渦に巻き込むのもそれ故か!!」
「それは、違う」
皺塗れの表情が歪み、眉根はつり上がる。
今の今まで枯れ果てたかのように萎んでいた老人が、急に否定の意を見せたのだ。
リドラはその否定が何処となく悲しく、何処となく羨ましかった。
この老体が、そんな表情を見せるのか。妻も子も捨て研究に没頭したような、この老体が。それほど否定するような物に出会ったのか、と。
「途中で抜けたお前は知る由もあるまい。あの少女が如何に重要か。この世界の鍵たり得るかを」
「知りたくもない。知るはずもない。あの小娘はスズカゼ・クレハだ。サウズ王国第三街領主伯爵にして我々の仲間だ。少し……、かなり変な所もあり身勝手で何にでも関わり、気に入らないことは絶対に見逃せず、仲間の為なら命すら張るような、そんな奇々怪々な少女だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「[それ]では駄目なのだ、解析者。そのままでは駄目なのだ。変化を望まなければならない。嘗ての少女では世界に抗えないのだから」
「……世界に抗う? 貴様は、何を言って」
「世界は変貌しているのだよ。いや、変貌していたのだ」
老体は静かに腕を持ち上げ、語らいに終止符を落とす。
今の今まで静寂を護っていた化け物は静かに口を開き、悍ましく醜悪な吐息を漏らした。
触手一本一本が牙、眼、爪。ジェイドとリドラを殺すには充分な凶器と成り得よう。
然れど、ただ殺されるばかりである訳はない。
闇夜が黒鱗に喰い殺されたとあっては、月の一ツ目とて死に切れまい。
「……いけるな? ジェイド」
「少しばかりながら、体力も回復した。貴様も魔力はもう残っていまい。先のような無理はしてくれるな」
「そうでもしなければ特攻していた男の台詞か」
「……返す言葉もない」
ジェイドはリドラの前に進み出て、刃を構える。
闇夜の月光が如き白銀は光を照らすこと無く、ただ化け物の姿を映す。
やがては如何なる色であろうとも血に染まる、その姿を。
「いつしか言ったな、ジェイド。揺れ動く世界の中、いつしか過去についても解る日が来ると」
「それが今、か」
「……私の我が儘に付き合ってくれ。過去を迎え撃つために」
「あぁ、任せろ。……この刃、過去を斬り裂けるならば上等だ」
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