華奢な少女は獣へと
《地上図書館・第一通路》
「あぁ、くそ……」
腹部の傷が酷く痛む。溢れ出る血が止まらない。
口の奥には水溜まりのように濁った血が沸いているのだろう。
ある程度の応急処置は施したが所詮は気休め。そう何時間も保つ物ではない。
こんな事なら回復系の魔法石を持ってくれば良かった。とんでもなく値は張るが、命には代えられない。
……それを買う金がない事が唯一の問題なのだけれども。
「もう地上が近ぇな……」
取り敢えず、今は脱出すべきだ。
聖死の司書の連中は殆ど倒しただろうし、これで外部との連絡が取れる。
まずは時間制限である外の連中を止めなければ。こんな状態で総攻撃などくらっては回避も弁解もする暇なく死んでしまう。
急ぎ何らかの手段で外と連絡の術を見つけなければ。
「……アイツ等、大丈夫かなぁ」
ゼル達は、どうなっただろうか。
あの連中の事だから平然と全てを終わらせているだろう。
確信できる。今頃はスズカゼとリドラの頭を叩いて説教している頃だ。
……そう、確信できるのに。
不安感が拭えない。心の奥底に沈殿したかのような、不安感が。
直感だろうか? いや、予測や予感でしかないはずだ。
だが、当たる。何故だか解らないがこういうのはよく当たってしまう。
自分が当たって欲しくない時などは、特に。
「ねぇ、何処に行くの?」
当たって欲しくない時の嫌な予感は、特に当たる。
そう思った刹那の出来事。
「そっちは出口だよ」
メタルはその少女を見るなり、即座に判断した。
味方ではない、弱者ではない。ーーー……人間ではない。
「お前は……」
「うん、色々名前はあったんだけどね。今は司書長って呼ばれてる。一番懐かしい呼び名は化け物、かな」
少女は小さく可憐な足を前へと踏み出す。
眼前の、階段の先にあるはずの光を遮る小さく華奢な体。
メタルの腕力ならば一撃で粉砕できるであろうはずの少女が、彼にとってはこれ以上無いほどに恐ろしかった。
「何なんだよ……、お前。何で、何で……!!」
知らず知らずの内に、メタルは自身の震えを表に出していた。
恐怖を相手に悟られるなど戦場では愚の骨頂。
然れど、それを隠せるはずもない。隠すはずの壁は恐怖以前の[驚愕に]打ち破られたのだから。
「人間と精霊の魔力を持ってるッ……!?」
[深淵の腕輪]という魔具を身につけている彼だからこそ、理解出来た。
四天災者[魔創]ことメイアウスという化け物の付近に居た彼だからこそ、理解出来た。
魔力という一点において、直感という一点において、それを阻害する思考能力が欠如した彼だからこそ理解出来た。
眼前の少女が持つ魔力は人間だけの物ではない。
自分もよく知るスズカゼ・クレハ。彼女と全く持って同質の物であるーーー……、と。
「何なんだよ、何なんだよお前……!!」
「私はね、迷子だったんだ。ただそれだけ」
彼女は一歩、一歩とメタルに接近してくる。
その緩やかな歩みに恐怖を覚え、メタルは[深淵の腕輪]から弓を引き抜いた。
扱いは慣れていないが、この距離ならば外すはずもない。
遠距離武器を選んだのは彼の恐怖心と警戒心故のもの。近付いて良いはずがない。
こんな、こんな相手にーーー……!!
「ねぇ、お兄ちゃん」
少女はにこやかに、悲しい顔で語りかける。
唇に紅色と青色を混在させた男はその呼びかけにすら背筋を振るわせた。
今となってはこの小娘の一文字一句が己の精神を食い千切る牙となり、切り裂く爪となる。
恐ろしい、余りに恐ろしい。
「お兄ちゃんまで私を化け物って言うの?」
メタルの瞳に映ったのは少女だった。少女[だった]。
異形は姿を変え、骨格を変え、血肉を変え。
華奢な腕は強固な肉塊に、しなやかな足は強靱な後脚に、可憐な瞳は化け物の眼光に。
軋み、曲り、捻れ。
少女は次第に化け物へと、否。
余りに禍々しい、眼前の男の数倍はある獣へと姿を変えた。
「ううん、仕方ないよね」
涎の一滴が、階段に滴るメタルの血を覆い尽くす。
眼光の一つが彼の全身を打つし、牙の一つは腕の一本を優に超える。
それ程までに巨大。それ程までに絶対。それ程までにーーー……。
「だって私、失敗作だもん」
強靱なる裂爪の一撃。
恐怖で背筋を凍らせ、矢を構えていた男は回避も防御も出来ず。
ただその一撃を身に受け、臓物の全てを掻き回され。
高度数十メートルはある階段を平行に吹っ飛ばされて。
壁面に紅色の華を咲かせ、そして。
「じゃぁね、お兄ちゃん」
ずるずると、紅色の華より墜ちる種。
力無く、背の血添えだけで壁に張り付いていた男は。
緩やかに緩やかに、どうにか体内に収まっている臓物の感触すら無く。
視界に映るはぼやけた獣が映っていた。
強靱な四肢、深紺色の体毛。白銀の牙、黒金の眼光。
獣人ではない、明らかに純然たる、獣。
「……く、そ」
指先から次第に力が抜けていく。全身を覆い尽くす恐怖と闇。
視界はぼやけ、終わっていく。卑怯者にお似合いの最後だ、と自嘲できるだけの余裕があったのは、自分らしいだろう。
嗚呼、全く持って情けない。
情けない自分は、卑怯者の馬鹿野郎は。
こんな所でーーー……、終わりを迎えるのだから。
読んでいただきありがとうございました




