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獣人の姫  作者: MTL2
聖死の司書
354/876

紅蓮の衣と悍ましき化け物


《地下図書館・第百八十七書物庫》


「チッ……」


ぐったりと項垂れる女性を前に、ゼルは大きく肩を回していた。

既に度重なっていた轟音も絶叫も聞こえない。少しばかり焦げ臭いが、何処ぞの馬鹿がやらかしたと考えれば納得も出来る。

そもそも組織単位で紙を、延いては[燃料]を保管しているような場所だ。自分が巻き込まれる危険性さえ除けば当然の術だろう。

……まぁ、[歴史の記録]という大宝を平気で燃やすような馬鹿でなければ出来ない術でもあるのだが。


「何はともあれ、戦闘は終わったか……」


元より、所詮は非戦闘組織。

ここまで手こずるとは思っていなかった。唯一の不安と言えば馬鹿二人の事だけだったのだが。

……いや、違う。もう一つだけある。

各国に戦闘を仕掛けた兵力だ。それが何処にあるのか未だ解っていない。

それが解れば今こうして敵が目覚めるのを待つ必要性も無いというのに。


「流石に強くやり過ぎたか……。久々だから加減が解らん」


そもそも拷問だの尋問だのは自分の領分ではない。

こう言うのはジェイドに任せて、さっさとサウズ王国の自宅に帰りたい物だ。

……馬鹿二人を連れて、全員で。


「……あ?」


微かに揺れる空気。

誰かが近くに居る。それも一人ではなく、数人。

司書共か? 未だ無傷の連中が居たのだろうか。

いや、違う。警戒心など微塵もない歩き方だ。物見遊山でもするかのような、気軽いもの。

となれば味方、だろう。精々、こんな状況下で平然と歩くのはバルドかメタルぐらいの物である。

その意味合いは大きく違うが、生存確率で言えば二人の値が高いのに違いはない。


「おい」


彼の呼びかけに応えるように、扉の端から革靴が除く。

血の滴る革靴だ。恐らくバルドの物だろう。

全く、ここに来るまで何人始末したんだか。


「バルド、スズカゼは」


革靴が転げ落ち、扉の直ぐ側で止まる。

紅色の絵の具を地面に落としながら、その革靴は華奢な足によって踏み潰された。

少女の、紅蓮の衣を纏い紅蓮の刃を携えた少女の。

バルド・ローゼフォンとファナ・パールズを抱えた少女の足によって、だ。


「……お前」


叙述することは出来なかった。

見慣れた少女と見慣れた太刀。見慣れない紅色の衣。

明らかに異質な状態で肩に負われた、見慣れた二人の人物。

彼女が彼等を助けたのではない事は、直感的に理解出来た。

その余りある殺気と紅蓮の刃より滴り落ちる紅色の雫。

そして虚ろながらに確かな光の宿った、眼。


「誰だ?」


その問いの意味はゼル自身にも解っていなかった。

外見はいつも通りの、あの馬鹿な少女に違いない。

この質問にすら平然と馬鹿馬鹿しい答えを返してきそうな、そのままの見た目だ。

だが中身が違う。絶対的に、違う。

あの馬鹿はこんな禍々しい物を持っていなかった。悍ましい物は持っていなかった。

そして、決して仲間に手を出す事など無かったはずだ。


「お前は、誰だ」


ゼルは剣を構え、警戒心を露わにしながら立ち上がる。

貴重な情報源である[整理者リアラーマン]ことチェキーを庇うように腕を伸ばし、反対側に侮蔑するが如く煙草を吐き捨てて。

二人を肩に負った少女は彼に対峙する。

肩の重荷を側に投げして、紅蓮の刃を衣の下より露わにして。

殺意の眼光と狂楽の笑みを剥き出しにして。


「……この、馬鹿が」



《地下図書館・第二実験室》


「ぐっ……」


ジェイドは腕を抑えつつ、壁に肩を沿わせて道を歩んでいた。

大きな外傷はない。精々、打撲と捻挫程度……。行動に支障を来すものではないだろう。

とは言え、体力を消耗し過ぎた。あれ程の手練れと争ったのなど何時ぶりだろう。

緊張に次ぐ緊張で未だ手足は震えている。恐怖ではなく、歓喜に。

何と、情けない話だろう。憎悪を心に秘めて来た故か、自身はあの殺し合いに歓喜している。

誰かの血肉を散らせた事に心躍り肉が喚いているのだ。


「情けない。我ながら……」


だが、その情けない自分でも何かしらの手を打たなければならない。

まずは仲間と合流することだろう。ゼルは何処に行ったのだ?

戦闘途中から姿が見えなくなっていたし、恐らくは移動したのだろう。

あの男の事だ、相手の力量を見極め情報源とするために最小の被害と加害を行うよう、危険なき場所へ移ったはずだ。

となればゼルの心配は要るまい。既に情報を獲得して動いていると考えても良い。

ならば自分は遊撃隊宜しく仲間との、メタル、ファナ、バルドの三名に合流することを目的として動こう。

彼等も実力的に心配ないと思うが、万が一という事もある。


「嘗ては鈍りこそが平和の象徴と享受していたが……、今となっては鈍った四肢が恨めしい」


ジェイドは瓦礫を足で払い除け、壁を支えにして進む。

もう数分もすればある程度は回復できるだろう。それまでの辛抱だ。

立ち止まれない状況下など、もう味わいたくは無かったと言うのに。


〔蟲の羽音は鳥の羽音に掻き消され〕


静寂の中、浮かぶ白。


〔鳥の嘶きは獣の嘶きに掻き消され〕


折れ曲がった背筋をのそりと動かしながら動く、白。


〔獣の喚きは人の喚きに掻き消される〕


ジェイドが視線を上げ、見たのは老人だった。

深く皺の刻まれた体を動かしながら、禍々しい指輪を掲げる老体。

見るだけで心底の何かを抉り漁られるようなその指輪は、黒く艶やかな光を放つ。


混沌霊キマイラ


使霊と言えようか。

それが、人が従える精霊の類いだと言えようか。

数多の腕と数多の眼。触手を固めたような図体から生え蠢くそれら。

老体の数倍はあろうかという巨大さと、その化け物から聞こえてくる子供の鳴き声。

ずるりずるり、と。這いずるそれは。

緩やかに漆黒の獣を視て、身の半分を占める口を開き切った。


「[闇月]……、ジェイド・ネイガー」


老体は化け物の横に並び立ち、嫌悪するようにそれを撫でる。

その手付きはまるで、我が子を撫でるように。

その手付きはまるで、身内仇の斬れた首を撫でるように。

愛おしく、悍ましく。

その老体は静かに、口端を開く。


「始めよう」



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