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獣人の姫  作者: MTL2
聖死の司書
353/876

卑怯者の生き残り方


《???・???》


「あ、うん。やっぱり駄目だね。完全に壊されてる」


少女は老人に手を引かれながら、呆れ気味にそう述べた。

彼女と老人の眼前にあるのは、無残に割り砕かれた硝子の残骸。

巨大な試験管とでも言うべきだろうか。数多の管に繋がれ、妙な液体の入ったその試験管は内部から割られたように、いや、事実内部から割られて砕け散っているのである。


「予想外に覚醒が早い。……運が良かった、と言うべきですかな」


「そうだね。逃げられた事を除けば、だけど」


「いえ、それも幸運だったと見るべきでしょう。我々からすれば現時点での侵入者を排除してくれる兵器にも近しい」


「……兵器?」


研究者スタウマンの一言に、司書長ライブラーは酷く声を落として視線を細める。

失言だったか、と彼は少しばかり背を伸ばして彼女へと頭を下げた。

少女も少女なりに不機嫌さを表に出し過ぎたことを反省したのか、微かな苦笑と共にそれを許す言葉を述べる。


「それより、どうします? 彼女が我々の手を離れた以上、我々は……」


「ううん、まだまだやる事はあるよ。私達の役目は終わってない。……だから、続ける為には侵入者に帰って貰わないとね」


「承知しました」


司書長ライブラーの合図と共に、研究者スタウマンは数多の指輪を手に取る。

いや、その表現は正しくないだろう。正確には数多の指輪で作られた、一つの指輪だ。

幾多の目が向き出しになったような禍々しい指輪。見るだけで心底の何かが食い千切られていくような、余りに悍ましい指輪。

その指輪を付けた瞬間、ただでさえ小皺に塗れた彼の顔は憎悪と悪意に枯れていった。

命を吸い取る悪魔の指輪。存在し得て良いはずもないような、[異]の権化。


「……使うんだ」


「この老いぼれの生涯の証です。今使わずしていつ使いましょうか」


研究者スタウマン、と物悲しそうな声。

老体は彼女の声に返事を返すも、視線を向ける事は無かった。

終止符を打つのだ。自身の愚かな人生に。

誰に振り返るでもなく、知識の為に全てを降り注いだ人生に。

悔いがある訳ではない。やり直したいと思わない訳ではない。

ただ、叶うのならばーーー……。


「……行きましょう、司書長ライブラー。全てが始まる時は近い」



《地上図書館・第四十二書物庫》


「ごふっ……!」


腹部から突き出た白銀に、彼は自らの紅色を上塗りした。

骨肉の間を紅色が埋め尽くし、刃を弾き出そうと肉が盛り上がるのが解る。

死が足音を立てて近付いてくるのが、解る。


「死ねる、かぁッッ!!」


彼は腕輪から眩い光を放ち、有象無象のがらくたを一気に吐き出す。

背後に居た人物はそのがらくたを回避すると共に、彼の臓腑から刃を捻りながら引き抜いた。

臓腑を切り裂かれ、彼は口腔と共に腹部からも大量に出血する。

腹を貫かれて臓腑を傷付けられたのだ。然れど、彼は決して軽傷とは言えないその一撃を受けてもなお、倒れる事はない。

口から血を垂らしながら、腹部を抑え付けて。

ただ棒のように言うことを聞かない足で、立つ。


「この腕は幻術……! くそっ、趣味悪ぃことしやがる!!」


彼は、メタルは眼前の本棚より生える腕を叩き落とす。

地面に転げ落ちたそれの正体は、ただの本棚より少しはみ出ただけの本に剃刀を差し込んだだけの物だった。

幻術の中に実体を仕込むことで気配すら騙す。

何とも面倒なやり方だ。……熟々、自分は面倒な幻術士と縁があるらしい。

くそ、どうして寄りにも寄ってこんな面倒な相手なのだ。

自分の性に合わない。全く持って、合わない。


「まさか腹部を貫かれても生きてるなんてね。流石の生命力」


「うるせぇ! 敵に褒められても嬉しくねぇわ!! とっとと姿を見せっ……!?」


彼の声を断絶するように、喉奥より紅色が湧き上がってくる。

喉まで出て来たと言う事は、血液が肺に入っているという事だ。

マズい。このままでは自身の血で窒息しかねない。

かといって小まめに血を吐けばその分だけ隙が出来るし、失血も増える。

この相手にそんな事をしては喉元か頭を掻っ切られるのは目に見えている話だ。


「畜生がっ……!」


解決策は、無いのか?

この状況を上手く切り抜ける手は。

折角ここまで来たのに、こんな下らない理由と場所で終わるなんて嫌だ。

こんな所で、こんな所でーーー……!!


「さっさと死んで記録になるんだね。運が良ければ本にしてやるさ」


その一言を受け、メタルはにぃと頬端を崩した。

そうだ、何を戸惑う事がある。ここまで来たのだ、ここに居るのだ。

どうして思いつかなかったのだろう。この状況を打破する一手を。

周りの連中が自分の運命に向かって行く物だから、いつの間にか看過されていたのだろうか。

全く、そんなのは自分の柄じゃないというのに。


[深淵アビスの腕輪]ッッッ!!」


彼は傷を抑えるのを止め、全力で腕を掲げる。

腹の肉が引っ張られて血が噴き出すが、そんな事は構わない。

そうだ、格好良く立ち向かうなんて自分の柄じゃない。

自分の決めたルールを護って、生き残る事こそが自分の姿だろう。

全く、周りの連中が信念だ何だと掲げやがるから。

いつの間にか自分も正々堂々、恰好良く決めなきゃならねぇと思い込んでいたんだ。

今の自分が格好良く決められるはずなんてないのに。こんな自分が、格好良くなんて決められるはずが無い。


「吹き出せ炎ッッ!!」


彼の腕輪より眩き光と共に豪炎が吹き出し、周囲の本棚を紅色の爪で切り裂いていく。

本は血を吹き出し、その紅色を数多の同胞へと拡散していった。

業火は瞬く間に広がりて本棚すらも紅色の舌で舐め尽くし、黒き灰燼を刻んでいく。


「……何を」


自分達の全て。自分達の軌跡。

数多の記録を封じ込み、自分が延々と保持し続けてきた大切な想い出。

あの男はそれに何の躊躇も無く、火を放った。

全てを燃やし尽くす、最悪の手段をーーー……!!


「している、貴様ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」


保持者メンテナマンの咆吼は燃え尽くされ、黒炭と化していく本棚を揺るがす。

全身を殺意で覆い尽くしながら、彼女は眼前に牙を剥いた。

殺す殺す殺す殺してやる。

如何に命乞いを使用と知った事か。この情報の全てを燃やし尽くした男を切り刻んで殺してやる!! 標本にして永遠に晒し続けてやる!!

私の、この手でーーー……!!


「え?」


そう意気込んで一歩を踏み出した彼女の瞳に映ったのは、樽だった。

男の姿はない。まるで彼が樽になったかのように入れ替わっているのだ。

紅蓮が踊る書物庫の中、彼女の瞳に映る紅色と黄土色。

紅色に溺れる黄土色に奔る[火薬]の文字。


「しまーーーっ」


轟音と爆風を背負いながら、男はその部屋を後にする。

腹部を押さえながら、今頃は庫内で黒炭に姿を変えているであろう女性に別れも告げず。

ただ、痛ぇと口端を落としながらふらつく足取りで。

彼は、その姿を地下の暗闇へと消していった。



読んでいただきありがとうございました

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