整理者と鉄
《地下図書館・第百八十七書物庫》
「煙草の火にしちゃ気が利きすぎだな」
ゼルは鉄の腕で圧砕するが如く焔を握り潰す。
骨肉の元に猛るその焔は彼の指を伝いながら静かに溶けていった。
煙草の火にしては少し火力の強すぎる、[炎霊・ウード]の残骸は、静かに、静かに。
「馬鹿な……、上級精霊だぞ」
「上級も下級もあるか。俺を殺したいなら天霊級ぐらい持って来い」
白煙を本棚に立ち上らせながら、ゼルは刃を抜く。
明らかな戦闘態勢だ。その刃でチェキーの首を撥ねるべく殺気すら溢れ出させている程に。
然れど、傍目に見ても勝負の結果は明らかだ。
[召喚士]であるチェキーの手札が物理的に潰されるような事がある時点で、勝ち目などない。
後はただ、この首が宙を舞って紅色の尾を引き、身を伏すのを待つばかり。
圧倒的過ぎる。サウズ王国最強の男に、自分が敵うはずなどない。
「そろそろジェイド達の方も決着付いてんだろ。こっちも終いにするか」
「……貴様は!!」
最後の抗い、とでも言おうか。
チェキーは声を張り上げてゼルを睨み付けた。
尤もその双眸に迫力など微塵も無く、あるのはただ漂う涙のみ。
それが頬を伝わないのは単純に彼女にとって最後の意地だからだろう。
「貴様は、何者だ……! 人間か!? いや、人間であるはずがない!! そんな、そんなっ……!!」
「俺が獣人に見えるのかよ」
刃がチェキーの首筋に添えられ、薄肌を裂く。
一筋の紅色が銀の刃を伝うも、それを染め上げる事は無かった。
チェキーが止めたのではない。ゼルが止まったのだ。
彼は思考を巡らせながら数秒の間を置き、静かに彼女から刃を退いていく。
「ど、どういうつもりだ……?」
「テメェにゃ聞きたい事がある。見たところ幹部だろ? 内情にも精通してるはずだ」
「私が喋るとでも思っているのか!!」
否定よりも怒号に近い叫び。
この圧倒的な実力差を前にしてもこう叫べるのは忠心故だろう。
だが、ゼルは確かに見たのだ。
その忠心に一縷の陰りを見せる、瞳を。
「俺は嘗てこの組織に協力してた頃がある。その時にお前は居なかっただろ。……新たに幹部になったんだな?」
「何をっ……!!」
「テメェ等は本来、戦闘向きじゃねぇ。脳味噌弄くり回して考えるのが仕事だろ。それが何で大国を敵に回した? 相当な兵力を抱えてるのかと思えば兵は黒だ白だっつーローブを纏った雑魚ばかり。とても大国を相手取れる兵力とは思えねぇな」
「何が、何が言いたい!!」
「後ろ盾は誰だ」
その一言にチェキーは唇を硬直させる。
否定しろ、否定しろ、否定しろ。
司書長はそんな物を持っていない。我々は高潔な目的の為に心と身を捧げているのだ、と。
然れどその言葉を吐き出すはずの唇が動かない。動かせない。
本当にそうか? 本当に自分は高潔な目的の為に動けているのか?
本当に高潔な目的なら、どうして司書長達は幹部である自分にすら目的を隠していたのだ?
「……俺達は別にこの組織を滅ぼそうってんじゃねぇんだ。ただ、ウチの馬鹿を取り戻してぇだけなんだよ」
ゼルは肩に剣を担いだまま屈み込み、チェキーと視線を並べ合わせる。
困惑と焦燥に揺れる眼球は彼を捕らえると同時に、再び唇を固く結ばせた。
今なら、と。今ならこの男を殺せるのではないか。
この男は今、完全に交渉の体勢に入っている。最早、自分が抗うなどと考えていないはずだ。
いや、抗っても容易く制圧出来ると考えているのだろう。
……差し違えれば、可能か。
そうだ、自身の首が飛んでも魔力を完全に委ねれば精霊は暫く動き続ける。
自分が肉壁となって、精霊に自分ごと切り裂かせればーー……、殺せるはず。
だが、その為に自分は覚悟できるのか? この心境で聖死の司書の為に、と命を捨てられるのか?
……嫌違う。捨てるかどうかではない。捨てるんだ。
自分は拾われた身。拾われなければ死んでいた身。
それがこの歳まで何不自由なく生きて、誰かに尽くすことが出来た。
これほど幸せな事が他にあろうか? いいや、あるはずがない。
ならば、それを与えてくれた聖死の司書に恩を返すのは道理。
司書長のために生きるのは、道理。
「[風霊・エイラーン]!!」
猫のような身軽さで小さな四肢を地に着けた[風霊・エイラーン]。
精霊の中でも最高峰に達する速度を持つその精霊は主の命令に従い、刹那の内に後退した。
いや、正しくは瞬きの間より短い内に、チェキーの背後に回ったというべきだろう。
そして彼女はその精霊に命令を下す。
数秒後、自身ごとゼル・デビットを貫けーーー……、と。
「死への冥道! 付き合って貰うぞ!!」
死への招待状が如く伸ばされる、華奢な双腕。
ゼルの全身を抱き抱えるようにして伸ばされたそれは迷うこと無く彼の肩へと掛かる。
捕らえた。後はこのまま抱き締めて[風霊・エイラーン]が自身を貫くのを待つのみ、のはずだった。
捕らえたのは自身にあらず。捕らえたのではなく、捕らえられた。
顔面を掌握する掌は生温かい体温でチェキーの顔面を湿らせながら、骨肉にみしりと音を立てさせる。
そして襲い来る衝撃と激動。自身の顔面が床面を砕く感触。
[風霊・エイラーン]が突貫し、鉄の腕に破砕され血肉を撒き散らす音。
チェキーは何が起こったのか、全てを理解した頃に静かに微笑んだ。
勝てるワケがなかった、と。
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