天を突き破りて接触す
《地下図書館・第二実験室》
「居ねぇなぁ。臭いは残ってんのに」
既にリドラ達が姿を消した第二実験室には、鋭爪を血に染めたデモンと白衣を血に濡らすチェキーの姿があった。
彼等はリドラ達を追ってここまで来るも、その姿を見失っている次第である。
追ってきた手掛かりはデモンの鋭敏な鼻なのだが、それが騙された理由は切り捨てられた黒衣の一端を見れば解るはずだろう。
デモンは血に塗れた爪でも構う事無く頭を掻き毟り、してやられたなぁとため息をつく。
チェキーは、リドラ達に出し抜かれただとかそんな事は関係無く、ただある事をずっと気に留めていた。
例え幾ら鈍い男でも解るだろう。彼女が何を気にしているのかぐらいは。
「そんなに気になるモンかねぇ? ちょっと仲間外れにされたぐらいでよぉ」
「……解らんだろう、貴様には。その[ちょっと]の大きさが」
「解りたくもねぇ。そもそも解らねぇから解りたくねぇ理由も解らねぇ。俺にゃー、お前が駄々捏ねてる餓鬼にしか見えねぇよ」
「駄々など幾らでも捏ねてやる!! 私は、私はずっとあの方に尽くしてきたのに、こんな仕打ちなどあんまりではないかっ……!」
「いや、知らねぇし。お前の覚悟なんざお前だけのモンだろ? それを他人に押しつけられてもなぁ」
「……私は孤児院で育ったんだ。それをあの方々に拾っていただいて」
「過去話始めんな! 俺ぁお前を慰めるのなんざベッドの中でしか出来ねぇんだからよ!!」
「黙れ馬鹿が!!」
当初の目的も忘れてぎゃあぎゃあと喚き立てる二人。
地下図書館に響く司書達の慌ただしい声や第二実験室の機械音すら塗り潰すほどに、彼等は罵声を浴びせ合う。
だが、彼等は聞き逃さなかった。
司書達の慌ただしい声に紛れ、機械音に押し潰されるほどの、本来ならば聞こえるはずもないその足音と、殺気を。
「……おいおい、またお客様かよ」
「それも特上団体様だな」
「何それ嬉しくねぇ」
みちりと天井に亀裂が走り、平面だった岩壁に近しいそれが立体的となる。
デモンとチェキーがその天井を前に回避行動を取ったのは、黒と白のローブを纏った司書達が天井と共に降り積もる埃の塵芥が如く落ちてきた刹那だった。
いや、違う。その白黒の中に全く毛色の違う黒が二つ。
「……最ッ高ォ」
その黒にデモンは狂気を、チェキーは恐怖を。
当然と言えば当然だ。その覚悟はしていた。
だが予測より余りに早すぎる。予想より余りに恐ろしすぎる。
サウズ王国最強の男と、[闇月]という獣人は。
「……いきなり当たりっぽいな」
「あの獣人の男、見た事がある。デモン・アグルス。傭兵の中でも相当な腕を持った男だ」
「そうか。任せて良いな?」
「あぁ」
デモンの咆吼と共に地は抉れ、瓦礫が爆ぜ、粉塵が大舞する。
[闇月]は一縷の動揺すら見せず、月光が如き銀の刃を抜きて黄金の豪腕を弾き飛ばした。
刃に対し素手で殴り掛かったと言うのにデモンは傷一つ負っておらず、それどころか弾き飛ばした[闇月]の腕が痺れる始末。
然れど[闇月]は、ジェイドは止まらない。
腕の痺れが収まらぬと言うのに、彼は先のデモン同様凄まじい踏み込みを見せる。
地に亀裂を走らせるも音一つ無い、完全に力を圧縮した踏み込み。
それ故に跳躍距離は大きくないが、加速はデモンのそれを完全に超えていた。
速度を重視し、一閃を放つ為の、相手に痛覚という物の存在を認知させる事無く屠り去る為の一撃。
当然、殆どダメージが無いとは言え腕を弾かれていたデモンがそれを回避出来るはずもない。
首筋に白銀の一閃が奔り、彼の動脈を切り裂いた。
噴水のように飛び出す血飛沫。勢いよく、天井の瓦礫全てを濡らすほどに。
ジェイドはその光景を確認するでもなく返しの太刀を放つ。捻られた腕から放たれた一撃は肉を抉り取り首の一部を食い千切った。
本来ならば相手の首すら跳ね飛ばすような一撃だが、デモンという強靱な肉体を持つ獣人だったが故だろう。
彼の首はほんの少しの肉を犠牲に繋がったまま、緩やかに沈んでいった。
例え首が飛んでいなかろうが確実に殺す。その為の一撃目だ。
「ゼル、こちらは終わったぞ」
「おう」
ゼルは一瞬の内に終わった片方の戦果に目を向けることはない。
解りきった結果を確認するほど面倒な事はないし、時間の余裕もない。
今はさっさと目の前の女を締め上げて情報を吐かせる事が最優先すべき事項である。
事項で、あった。
「……マジかよ、おい」
ゼルは頬端に汗を流しながら、静かに呟く。
つい先程、自身の腕を擦りながら吹っ飛んでいった黒い塊は、見間違いではないのだろう。
背後から凄まじい殺気が襲い掛かってくる。眼前では殺気と共に驚愕を催す仲間が居る。
眼前の仲間の驚愕は当然だ。自分の驚愕も当然だ。
あの男が、[闇月]が仕留めたと言ったのに。その男はまだ生きて居る。
頸動脈を斬られたというのに平然と立ち上がった、その男は。
「流石の一撃だなァ。やっべぇ、死にかけた」
「むしろ何で死んでないんだよ、お前……」
「鍛えてるんでな」
傷口を握り潰し、いや、圧縮して潰し、デモンは衣服に付いた埃を払い除ける。
その一連の動作が終うよりも先にジェイドは立ち上がっており、足下に落ちていた刀剣を拾い上げていた。
漆黒と黄金の獣人が対峙し、互いに一兵卒ならば容易く押しつぶせるであろう殺気を混じり合わせる。
殺意と悪意の、枷を外されたどす黒く沼地のように深い感情。
それが白銀の刃を構えさせ、黒紅に染まった爪を向かせるに、そう時間は掛からなかった。
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