少女と老体の質疑問答
「…………」
ごく当然の様に居た物だから気付かなかった。
そうだ。自分は追われる身ではないか。
だと言うのに隣では研究者とかいう、あの老人が本を読んでいる。
……逃げるか。自分もごく当然の様に、ささっと。
「心配せずとも儂にお前を捕まえる力などない」
「ひぇっ!?」
スズカゼの思考を読んだかのように、その老人は静かに呟いた。
流石にチラ見しすぎたか、と冷や汗を流す彼女には目もくれず、老人は本を棚へと戻して次の本を取る。
本気で興味がないのだろう。その老人は彼女に視線の一つも向けはしない。
ただその視線は本の上を縦横無尽に動くばかり。
「……あの、聞いて良いですかね」
そんな老人に問いを投げかけたのは、思い付きだったのだろう。
この人物なら答えてくれるのではないか、知っているのではないか。
そう思ったから、問うたのだ。
「あの子は何なんですか? あの、司書長って子は」
「司書長はそれ以上でもそれ以下でもない。この組織の統括者にして生き神だ」
「生き神?」
「……いや、生き字引と言うべきかな。歴史の生き字引だ」
研究者はそう言うと再び本に視線を戻し、縦横無尽に動かす。
……彼の言う事からして、本当にあの少女は数百年を生きているらしい。
しかし解らないのは数百年生きているというのに、あんな無邪気な性格だという事だ。
イトーのように何処か達観していてもおかしくはないだろうに。いや、逆に達観しないことを達観したのだろうか?
何にせよ、あの子も普通の存在で無い事は明らかだろう。
「この資料に書かれている、存在っていうのは?」
「世界を揺るがしかねない存在だ。大戦前の我々が辿り着こうとした存在。そして辿り着けなかった存在でもある」
「……何なんですか、それは」
「言えんな。言いたくないのではなく、言えないのでもなく、言うことが出来ない」
「どういう事です?」
「我々はあの正体に辿り着けなかったのだ」
研究者は手に持っていた本を戻し、静かに踵を動かした。
何か仕掛けてくるのかとスズカゼは一瞬身構えたが、そんな事はない。
彼は、その老人はただ過去を懐かしむようにその辺りを緩やかに歩くばかり。
スズカゼの瞳には、その姿が何処か見覚えのある物のようにも映る。
「今の司書長は初代にして四代目だ。儂が産まれる前より生きておる」
「やっぱり、そうなんですか」
「……二代目にしてあの存在に気付き、三代目にして本格的な調査に取り掛かり、四代目にして解決策を講じた。四国大戦になど目もくれず、ただひたすらに研究しーーー……、壊滅させられた」
「嗅ぎ付けたから、ですか」
「そういう事だ。我々は今、それに対抗するための力を得ようとしている。鍵を、得ようとしているのだ」
「その鍵って言うのは……」
「お前だよ、この馬鹿女め」
スズカゼの首筋に走る鋭い衝撃。
その瞬間、彼女の意識は細い糸を高速で削るように千切れていく。
消えゆく意識の中で見えたのは研究者の手に持たれた指に隠れるほど小型の、連絡機械のような物。
そして自分の首筋に掌を撃ち込んだであろうデモンの影だった。
「無茶するぜ、研究者。若くねぇんだから」
「まだ若造には負けぬよ。況してやこんな頭の螺旋が数十本は飛んでいるような小娘にはな」
「というか螺旋自体、あるのかどうか怪しいけどな。……さて、試験体を捕らえた爺さんに早速で悪いんだが嫌な知らせだ」
「何だ」
「侵入者が数名。少数精鋭でこの組織の中を縦横無尽に動き回ってやがる。未だ気絶した連中ばかりで負傷者は出てないが、逆に言えば超速攻で目的地を目指してるって事だ。恐らく目的は」
「この小娘、か」
老人は数秒の思考と共に口端を少しだけ下げてみせる。
顔に深く刻み込まれた皺が影を作る時、その老体は微かに視線を泳がせた。
縦横無尽に速攻、という事は少なくとも組織の内部を把握しているという事だろう。
この組織の規模は相当な物だし、この小娘が動き回ってくれた御陰で何処に居るかまで予想は付かせられないはず。
だが、超速攻というからには相当な速度で動いているのだろう。それも虱潰しに。
見つかるのは時間の問題、か。
「……デモン。その小娘を第零実験室へ運べ」
「も、もうかよ。司書長に許可は!?」
「要らん。そんな暇は無いし、元より決定していた事だ。その小娘を運んだら[保持者]を呼んできて、それから侵入者の迎撃に移りなさい」
「人使い……、ってか獣人使い荒すぎぃ!!」
「知るか。骨身になるまで働け」
デモンは少女を抱えて扉を突き飛ばし、どたどたと騒がしく走り去っていく。
前との違いは小娘が居るか否かだな、と研究者はため息付き、周囲を見回した。
いや、周囲を見回すというのは語弊があるだろう。正しくは彼はある一定の物を見渡したのだ。
自分もよく知る人物が著した本の数々を。
「今更、か」
時は既に流れ去り、いや、時は既に流れ来たのだ。
後は鍵を作るのみ。境界線を越えつつある少女によって。
全ては始まる。ならば、その時。
この命を費やしたとしても、扉を開く鍵が必要だ。
我々はそれこそが全てを救うと信じて止まないのだから。
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