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獣人の姫  作者: MTL2
聖死の司書
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起き上がりは跳躍で

《地下図書館・第一実験室》


「この娘が、かね」


スズカゼとデモンを迎えたのは、酷く背の曲がった一人の老人だった。

齢八十、いや、それ以上と言った所か。老眼鏡の奥の瞳は濁り、手には血管が浮き出て、頭髪などもう殆どない。

茶黒い染みの出来た頬を動かす事も無く、皺に囲まれたその眼球だけをぎょろりと動かして。

その老人は、スズカゼに視線を向けた。


「おう、研究者スタウマン。連れてきたぜ」


「そうか。では早速だが試験管に入って貰いなさい。あまり時間は無い」


白衣を纏ったその老体は静かにそう述べ、機械らしき何かを操作していく。

スズカゼも初めて見るような機械だ。この世界で機械らしき物と言えばゼルやザッパー、オクスの義手ぐらいな物だったし、何だか新鮮みがある。

何らかの通気パイプや通気口がある天井も懐かしい物だ。

……いや、今はそれどころではないのだが。


「何ですか。何かこの妙に白いどろっどろした液体に入らなきゃいけないんですか。何ですか、エロ要員ですか。ヨーグルトで誤魔化せると思ってんじゃありませんよ。ケフィアですか。それも駄目ですね」


「……この小娘は虚言癖か妄想癖でもあるのか?」


「否定はしねぇよ」


呆れ返ったように肩を落としながら、デモンはスズカゼの方をその強靱な掌で包み込んだ。

まぁ、悪く思うな、と。そう言葉を付け足しながら。

彼は言葉も終わらぬ内に臓物を爆ぜさせない程度の拳を華奢な腹に撃ち込んだ、はずだった。


「ほいっ、と」


打ち出された拳を基点とし、少女は軽業師のような身取りで空を舞う。

そのまま数々の機材を足場とし、やがて彼女は天井近くまで飛び上がっていた。

老体やデモンが驚きの声を上げるよりも前に、彼女はトントンッと軽い足音を鳴らしながら、通気口の中へ姿を消していく。


「驚いたな。人間の身体能力ではないぞ」


「いやいや、爺さん。そんな事言ってる場合じゃねぇって」


「解っておる。聖死の司書スレイデス・ライブリアン全域に通達せよ。試験体が逃げた、と」


「あー、くそっ! こういう時に使いっ走りにされるのが傭兵の辛いところだぜ!!」


デモンは大急ぎで実験室の扉から走っていき、数秒もしない内にその後ろ姿を闇の中に沈めていく。

老体は、研究者スタウマンは彼の後ろ姿を見送る事もせず、ただ少女が姿を消した通気口に視線を向けていた。

ぶらぶらと揺れる金格子、響く音はそこから漏れる空気音と、自身の乾いた唇を伝う吐息の音ばかり。

老人はそんな静寂を好むように、壊さないように、小さく小さく呟いた。


「着実に境界線は壊れておる……。ならば儂等は最後の一手を押すのみよ」




《地下図書館・通気口》


「くっせぇ……」


油に変な液体、挙げ句の果てには見た事も無いような羽虫。

これでは下水道の方がマシではないのかと思えるほど、通気口の内部は臭かった。

夏場の剣道場でもここまで臭くは無かったと言うのに……。


「……さてさて、どうするか」


それよりも、今は脱出出来た事実を喜ぶべきだろう。

とは言っても未だ敵の渦中。自分が何処に居るかも解っていないような状況だ。

まず第一に得るべきは[魔炎の太刀]だろう。あの武器が無ければ自分が何も出来ない。

普通は武器庫とかに仕舞われている物だが……、こんな組織だし何処で研究素材にされているか解らない。

もし折られたりしていたらどうしよう。本気で泣くしかない。

いや、前も修復して貰ったし……、いやアレは紋章があったからで……。


「やっぱ小難しく考えるのは性に合わないなぁ。取り敢えず魔炎の太刀を探すことに目標を絞ろう」


とは言った物の、何処にあるのだろうか。

そこら辺で女性を捕まえて尋問しようか? 趣味九割だけれども。

まぁ、あのローブ姿は中々そそる物があるし悪くない。

……よし、新しい目標が出来た。


「腕が鳴る……」


スズカゼ・クレハ、基、危険因子が通気口を徘徊している頃。

彼女の居る場所から遠く離れた一室には、ある少女の姿があった。

全身一糸纏わぬ姿となり、真っ白な培養液に浸かる、少女の姿が。



《地下図書館・第七実験室》


「……そうですね」


全身を拘束具で包み、白き液体に浸かる少女。

彼女を前に[整理者リアラーマン]ことチェキー・ゴルバクスは静かに頷きを見せていた。

物言わぬその少女に対して、だ。


「えぇ、私にも従兄弟が居ます。もう十数年は会っていませんから今何処で何をしているのかも知りませんが」


彼女の応答に、試験管の中に入っているはずの少女は微笑みを見せる。

チェキーはそんな彼女の柔らかく、脆く、弱々しい微笑みを前に、ただ緩やかに枯れゆく笑みで返した。

少女に最も似合うであろう、枯れゆく笑みで。


「あの人物ですか? 私達を妙な目で見ていた……。はぁ、姉ですか。しかし年齢は貴女様の方が……。え? あぁ、確かに……」


チェキーは困惑しながらも、彼女にしか聞こえない声に応対していく。

彼女にしか聞こえないその声は一言一言が喜びを歓迎していて、それでいて物悲しい。

そうだ、謂わば燃え尽きる前の蝋燭。枯れゆく前の大輪。沈み果てる前の太陽。

儚く脆く、それ故に美しい。


「……そうですね。彼女には是非とも目覚めていただかないといけない」


女性は面を上げ、試験管に浸かる少女をまじまじと見つめ直す。

余りに華奢で脆気なその体を前に、彼女は再び先の笑みを見せた。

柔らかく、脆く、弱々しい、その笑みを。


「全てを成す為に」



読んでいただきありがとうございました

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