開かれた本
《第三街西部・城門》
「……ダメだ、何処にも居ないって」
不安げに呟くメタルの声に、ジェイドとバルドが動揺するが如く眉根を寄せる。
ファナも明らかに不快そうな表情となっているが、ただ一人、ゼルだけは何の異変も示さなかった。
まるで、始めからそうなる事を知っていたかのように。
「置き手紙……、それも聖死の司書のアジトを示す置き手紙を置いてから失踪、か。どういうつもりだ?」
「俺に聞くなよぉ……。リドラの奴、何で聖死の司書のアジトなんか知ってんだ? 未だ判明してないんだろ? まさか昨日だけで世界中探し回った訳でもないだろうに」
「……考えられる可能性は、一つだろう。奴が裏切り」
言いかけたファナの言葉を遮るように、ゼルはゴキンと首を鳴らす。
彼の視線はいつの間にか殺気に塗れており、抑圧の意味も込めた眼光を向けていた。
メタル達は眼光を前にそれ以上の推測を許されず、ただ黙るしか無い。
やがて静寂という鎖が皆の自由を奪った頃。
ゼルは静かに口端を開き、言葉を述べる。
「嘗て、リドラは聖死の司書の一員だった」
その言葉に反論するが如く身を乗り出すメタル。
だが、バルドはそんな彼を制止するために片腕を突き出す。
眼前を遮られたメタルは静かに身を戻し、顎を引いた。
「……今は区切りを付けてる。だから、裏切りじゃねぇ」
その言葉に同意する者も、否定する者も誰一人として居はしない。
彼の言葉と背にあるのは殺気だった、憎悪だった、悪意だった。
たった一人の少女を救い出すために全てを滅し、全てを食い尽くしてやろうという殺気、憎悪、悪意。
そして、それら全てを踏みにじるほどに強靱な決意。
「行くぞ。……馬鹿共を連れ帰りに」
【???】
《???・???》
「世界はね、きっと眩しいの!」
少女は全てを祝福し、両の腕を大きく広げてみせる。
目には包帯を、腕には縄を、足には鎖を。
四肢の自由を奪われた少女は全てを祝福するように叫び、たわんだ縄を嬉しそうに振り回す。
その姿はまるで、花畑の中を踊り回る小娘のようだった。
「地面はざらざらしてて、空は青くて!!」
その異形を覆うように頭を垂れ、膝を突く有象無象。
彼等は皆、少女の舞いを崇め称えるように地に伏していた。
その数たるや楽しげに舞う少女の視界を覆い尽くすには充分な物で。
「太陽は燦々と輝いてるの!」
少女を崇め称える物共は、口々に称賛の言葉を述べていく。
だが、その言葉の数々は孰れも称賛などというには余りに禍々しく。
まるで邪心を呼び立てるような、悍ましい物だった。
「だからね、世界はきっと眩しいの!!」
地の底から這いずり上がるような歓声。
少女はそれに応えて大きく手を広げ、両腕の間に縄を張り詰めさせる。
者共は頭を上げて少女を拝み、やがて拍手と喝采に彼女を沈めていく。
それこそが万物永辿の摂理でアルカのように、だ。
「おーおー、賑やかだねぇ」
そんな様子を眺めるのは黄金に逆立った頭髪を持つ獣人だった。
一仕事終えて帰還したと言うのに、その獣人は一切の疲れを見せていない。
いや、それ所か未だ疼きが収まらないと言わんばかりに拳を握り締めているようだ。
「デモン。デモン・アグルス」
そんな獣人を呼ぶ低いながらに華奢な声。
全身を真っ黒な布で覆ったその女性はデモンと呼ばれた獣人を呼び止めながら、その隣に立った。
彼等の身長さなど歴然も良いところで、傍目に見れば娘と父親だ。
尤も、デモンはそんな事を気にしている様子はなく、隣に立った彼女の次の言葉を待っていた。
「サウズ王国をサウズ王国騎士団長男爵ゼル・デビット一行が旅立ったようです。我々も警戒を」
「解ってるって、ヌエ。他の連中にも言っておく。……つーか、何で傭兵の俺がこんな中間管理職みたいな事やってんの?」
「私に聞かないでください。では、お願いします」
「つれないねぇ」
ケラケラと笑う獣人を背に、その女性は影へと身を沈めていく。
虚空へと消えゆく彼女を追う物は誰も居らず、気に留める物も誰も居ない。
やがて完成と拍手の中に消えていく彼女と、デモン。
二人の異端は異常の中に沈み行き、誰に気付かれるでも無く、何処かへと歩き去って行った。
【サウズ平原】
「…………」
緑の海を歩く、一縷の白。
丸まったその背が語る物は何もなく、ただ虚空を見詰めて緩やかに歩き行く。
隣には誰の姿もなく、その手に持つ大きな鞄だけが旅路の友だった。
彼はのそり、のそり、と。ただ歩くのではなく何かを引き摺るように。
後悔か、決意か、それとも別の何かか。
引き摺り引き摺り、草原の中に後すら残さない。
或いは残ってくれれば、とも思うのだろう。醜い泥が跳ね、草を雑に薙ぎ倒せればと。
そんな形を残せるのなら、幾分良いことだろう。有り難い事だろう。
然れど叶わない。叶うはずが無い。
それが叶ってしまったら、もう何も手立てなど無くなってしまうのだから。
「[解析者]ですね」
この痕跡を残すべきではない。
残せば全てが無駄になる。自分の小さな覚悟も、何もかも。
過去への清算が回ってきたのだ。ならば、それを払うべきだろう。
あの男はそうしていた。光に憧れたあの男は自分と向き合っていた。
ならば、自分も……、向き合うべきなのだろう。
「お迎えに、上がりました」
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