閑話[傷付いた獣人の寝言]
《第三街東部・ゼル男爵邸宅》
「あの、ハドリーさんの具合はどうなんだ……、ですか?」
不安げにその声を上げたのは猿の獣人だった。
いや、声だけに限らなければ今頃、ゼル男爵邸宅は騒音で押し潰されているだろう。
何せ、邸宅の周りには第三街中から獣人達が集まっているのだから。
「……傷が、酷いです」
メイドはハドリーの額から柔布を取り除きながら、そう述べた。
猿の獣人は肩を落として眉根を寄せながら静かに拳を握り締める。
ハドリーが地下下水道にて傷だらけの状態で発見されてから、既に数日が経った。
彼女を見つけたのはヨーラと襲撃者の一人だと言う事だが、彼等はこの場に居ない。
街の復興や今回の襲撃についての説明など、様々な用件に駆り出されているからである。
「くそっ……!」
猿の獣人の反応は後ろに並ぶ獣人達に伝播し、やがて邸宅の外に居る獣人達にも広がっていく。
不安げにざわざわと騒ぐ獣人達の群れ。
メイドは窓から見えるその様子に少しばかりの戦慄を抱いていた。
元より獣人達の結束が強いのは知っていた。
何せ凄まじい迫害を受けていた彼等だ。協力し合わなければ反乱も起こせないし、そもそも生きていけない。
ゼルからもそういった事は聞いていたのだが……、まさかこれ程とは。
「あの、俺達に何か出来ることあったら何でも言ってくれ……、じゃない、ください。騎士の人達にも世話になったし、何でもす……、しますよ」
「え、えっと。でしたら街の復興は」
「そっちは騎士団と若い衆がやってる、ます。休憩交代の時に見舞いに来てるんだ……、です」
「そ、そうでしたか……」
「メイドさんもお疲れなら休憩し、てください。俺達だって傷の手当てぐらいなら出来る……、ますし」
ちぐはぐな猿の獣人に、はにかんだ笑みを返すメイド。
何ともなれないやり取りが繰り返されるその部屋は、妙な静寂に包まれている。
誰が何を言うでもなく、言えるでもなく。ただ嫌な静けさがその部屋には溜まっているのだ。
「……リアン」
その静寂の中、静かに這うが如くハドリーは呟いた。
皆が一度ざわめくも、それが寝言だと気付くのにそう時間は掛からない。
メイドと猿の獣人はハドリーの口元に耳を寄せ、その寝言に意識を集中させる。
「[聖死の司書]……」
その名が何なのか、理解出来る者は居ない。
皆が首を傾げ、メイドですら眉根を寄せるばかり。
その言葉を耳にする者は口々に知っているか、いや知らないと首を振っていく。
当然だろう。この単語は表に生きる人々が耳にして良い物ではない。
或いはメイドが数十年前の出来事を覚えていたのなら、ゼルとリドラの出会いに立ち会っていたのならば、話は変わっただろう。
数十年前、未だ大戦の最中でありながらも微かな平穏が訪れた頃。
彼らの出会いがあった頃に立ち会っていれば、或いはーーー……。
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