闇口に飲まれた拳と脚
《第三街南部・地下水道》
「呆気ない、最後じゃな」
頭部から血を流しながら、その黒血に目元を染めて女は老体を睨み付けていた。
片足を巨大な岩盤に挟み込まれて身動きが取れないのだろう。まるで投げ出された人形のように弱々しく、然れどその視線だけは恐ろしいほど厳しく。
彼女は白煙を舞い上げる老体に対し、ただ喰い殺すような視線を向けるばかりだった。
それしか、出来ていないから。
「踏み込みが出来なければこんな物か。脚撃特化も困りものじゃな」
「……はっ。拳撃特化のアンタが言うことかい」
「言うとも。頭蓋に落盤が落ちて、それを庇った程度で行動不能になったりはせぬからのぅ」
「チッ……」
「さて、終いといこうか」
老体は豪腕に血管を浮かせ、肺底から白煙を大きく吹き出した。
ヨーラは最後の最後までその視線を動かす事無く、老体の臓腑を如何に潰してやろうかと憎悪を燃やしていた。
「ぬぅんっっ!!」
振り抜かれた豪腕。呼応する破壊音。
一切の制止なく振り抜かれたその拳は瓦礫を砕き、幾多の礫を飛散させる。
それと共に舞い上がった土煙へ混ぜるように、老体は再び白煙を吐き出した。
やがて鋼鉄が如き骨血の拳はゆっくりと煙から引き抜かれ、それと同時に足の不自由が奪われた女性が姿を現した。
「……どういうつもりだい」
「解らぬか、この臭いと揺れ」
ヨーラは眼前の老体より視線を離さず、しかし言葉通りに鼻腔を動かした。
確かに震動は感じる。だが、それは自分達が落ちた時に残った瓦礫が落ちているだけかと思っていた。
だが、この臭いはどうだ? この余りに異質な異臭は何だ?
明らかに下水の臭いだけでは無い。そうだ、これはーーー……。
「……火薬」
「それもかなりの濃度だな。魔力を混材させて威力を増させておる。大戦中に使い古された手よ」
「それと私を助けた理由の関係性を聞きたいね」
彼女は立ち上がり、その身に付着した砂埃や小石を払い落としていく。
瓦礫に挟まれていた脚も骨まで折れている訳ではないようだ、精々、軽くヒビが入っている程度だろう。
まぁ、この程度なら湖での一件で経験済みだし、大した事はない。
「傭兵というのはな、小娘。契約は絶対遵守じゃ。受けた約束は死しても守らねばならぬ」
「それが?」
「だが、その契約を無辜にされた場合、儂等が付き合う義理も無くなるという話じゃよ」
「……つまり、この火薬と震動は契約には無かった、と?」
「そうじゃな」
老体が説明するには今回の契約上、自分達の役目は王城まで辿り着くことだけだったらしい。
その間、出来るだけ住民は殺すな、殺すなら見せしめに獣人を殺すか邪魔をしてくる物だけを殺せ、とも。
依頼人曰く東西南北よりそれぞれ手練れを内部より招き入れるから、後はそのまま進めば良い、と。
自分の姿さえ割れなければ最悪、逃亡も構わない。ただしその場合は口止め料含めた前金のみしか払わないーーー……、と。
「随分徹底した契約振りだね。……しかし、それを言ったとなれば前金しか貰えないんじゃないのかい?」
「構わんさ。どうせ傭兵家業など戦争の名残で続けとるような物だしな」
「それなら結構だけどね。……だが私を解放した理由はそれじゃない」
「そうじゃな」
老体の拳が壁面を砕き割り、その双眸を憤怒に染める。
金などどうでも良い。所詮は戦争で親兄弟を亡くした孤児を広い、彼女等を育てる為に戦の名残で行っていた事だ。
だが、だ。だが、そこではないのだ。
約束を無辜にされるというのは傭兵にとって最大の侮辱である。
今回などそれだろう。貴様等は役立たずだから囮に使った、と。
そう、面と向かって言われて居るも同然なのだから。
「小娘、貴様を雇うてやる。共に依頼者代理を殺すぞ」
「代理かい? 依頼者じゃなく?」
「儂等は依頼人の顔を知らん。然れど依頼者代理の顔は知っておる」
「いや、そもそも傭われるなんて言ってな……」
「[沈魂歌]」
その言葉を聞いた瞬間、ヨーラは眼を限界まで開いて牙を剥いた。
脚は瓦礫を割り殺気は下水を揺らし、憤怒は老体の背筋を凍り付かせる。
その名を、余りに悍ましく余りに忌々しいその名を呼ぶな、と。
そう言わんばかりの、彼女の反応。
「大戦中、その陽気で下手糞な歌と共に戦場を闊歩し[手当たり次第、無差別に]爆破するというイカレ野郎じゃ……。貴様も軍人なら見た事ぐらいあろう?」
「それどころか私が率いていた部隊が爆破された事があるぐらいさね」
「ほう、それは因縁深いな」
「傭われてやるよ、爺さん。給料は私の命だ」
「良かろう、小娘。……期待しておるぞ」
老体の言葉が終わるが先かヨーラが脚の動きを確かめるが先か。
契約を破られた傭兵と嘗て部隊の半数以上を焼き尽くされた女性。
彼等は先の戦いなど無かったかのように肩を並べ、共に殺気を持って下水を踏み潰しながら闇の中へ姿を消していく。
やがて残ったのは静寂と天の穴から差し込む陽の光ばかり。
流れゆく汚濁の水を揺るがす波紋はもう、無かった。
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