微笑みの前で狸と狐は
《第三街東部・ゼル男爵邸宅周辺》
「ヨーラさんが地下に落ちたぁ!?」
モミジの叫びは騎士達だけでなく、周囲の怪我人の視線すら一身に集めてしまった。
彼女は慌てて口を噤み、報告を行った騎士に耳打ちを求めた。
「何があったのです?」
「[白き濃煙]の隊長らしき男との戦闘中、地面が崩壊。そのまま地下水道に落下された物かと……」
「そ、そんな……」
「地下水道は地上に出る道も完備されています。それにあの方であれば多少の事では怪我すらしないかと……」
「それはそうですが……。[白き濃煙]と言えば熟練者の傭兵集団です。万が一の事もありますし、捜索に向かった方が良いでしょう」
「あ、それなのですが」
騎士が指差した方向に居たのは、脚から首元までを縄で縛られ、むすっとした顔で踏ん反り返るタヌキバと相変わらずの微笑みを崩さないキツネビの姿だった。
彼女達は数十人の騎士に取り囲まれており、とても身動きできる状態ではない。
「[白き濃煙]所属の二名です。傭兵とは言え組織家業。仲間意識があれば人質に成り得るのでは?」
「どうでしょうか。そこは残る人物の意識次第ですし……」
悩みに首を捻るモミジと騎士。
その隣を、負傷者を抱えたピクノが通り過ぎていった。
もう負傷者を安置しておく場所が無いのだろう。彼女は精霊[イングリアズ]を駆使しながら数人の騎士と民間人をタヌキバ達の近くに安置する。
そして試行錯誤するが如く、見よう見まねと一目で解る巻き方で騎士の手当を始めだした。
「違うたぬよ、それ。もっとキツく巻くたぬ」
そんなピクノに助言を与えたのは捕縛されているタヌキバだった。
ピクノは助言に対してお礼を言うも、誰がそれを言ったのかを理解して目を丸くする。
彼女達だけでなく騎士達も、キツネビさえ同様に目を丸くする始末だ。
「あ、上手く巻けたデス」
「く、癖で言っちゃったぬ! ごめんたぬキツネビ!!」
「まぁ、この街を壊滅させろなんて依頼じゃありませんし……。別に構わないですけども」
彼女達の会話とやり取りを聞きながら、モミジは思考を切り替えた。
ヨーラは大丈夫だろう。彼女の強さは自分達もよく知っている。
相手も相当な手練れだろうが……、本当にマズくなったら彼女とて撤退するはずだ。
ならば今はこちらに集中すべきだろう。怪我人過多のこの現状に。
今、圧倒的に人手が足りない状況だ。ゼル男爵の邸宅でお手伝いとして働いているという三人組に協力して貰っても、足りない。
見た所、あの女性……。狸の獣人だろうか? [白き濃煙]に所属した彼女。
間違いなく医術の知識を持ち得ている。それも囓った程度ではなく、並かそれ以上の知識を。
今、最も欲しい人出だ。
「…………お名前を」
「へ? 私たぬか?」
「そちらの、狐の獣人の方もです」
「……私はキツネビ、そちらの間抜け面はタヌキバですわぁ」
「そうですか」
モミジは一呼吸置いて軽く息を吸う。
再び意識を持った彼女の瞳は親善大使の物ではなく、一国の長たる存在。
即ちシャガル王国第一王女のそれだった。
「シャガル王国第一王女モミジとして命ずと同時に取引を申し出ます。貴方達は傭兵でしょうが、今回の依頼を破棄し我々に協力しなさい。無論、報酬も出しましょう。望むのなら今回の一件すら不問に処しましょう」
「破格ですが、それに答える理由がありませんわぁ。傭兵たる者、一度受けた依頼は必ず遂行しなければ次の仕事にさえ響きますもの。即ち答えは」
「聞こえませんでしたか。私は命ずと同時に、と言ったのです。この依頼を破棄しよう物なら貴方達は我がシャガル王国共に四大国条約の上、四大国より指名手配とし、さらに我が国領域内への立ち入りを禁じます。依頼は無論のこと雫ほどの資源すら与えません。……これの意味が、理解出来ますね?」
即ち、死刑宣言だ。
資源の源水とも言える南国での補給を禁じられ、四大国全てから指名手配される。
大国が指名手配すれば国領域も同様に指名手配するだろう。
当然だ。たった一言、[白き濃煙]を指名手配せよと言えば大国との摩擦が避けられるのである。
孰れの国も彼等を除外しようとそれらを述べるに違い無い。
「……きょ、強制じゃないかたぬ」
「だから、命ずと同時に依頼なのですわよ。シャガル王国第一王女ともなれば、この言葉が世迷い言でないのは間違いない。だとすれば強制と言わずとも解りますわね」
「せ、戦場に向かったとして、隊長の味方をしたらどうなるたぬか……?」
「その必要性はありません。貴方達はここで怪我人の手当をしていただきます。無論、その怪我人を致死に至らせる利益が貴方達に無いからこそお願いしている事ですよ」
横でうんうんと唸るタヌキバを他所に、キツネビは幾通りもの思考を巡らせる。
ここで首を振るという選択肢はない。受けることが正解だ。
だが、その後はどうなる? 傭兵家業としても響くのではないか?
……いや、そんな事を言っている場合ではないか。最悪、止めてしまえば良い話だ。
だが、何と恐ろしい事だろう。この人物は。
たったこの数分で自分達を完全に縛り上げてしまった。今自身を縛り上げているような縄ではなく、権力という鋼鉄の鎖で。
「……受けましょう」
「キツネビぃ!?」
「受けるしかありませんわ。それしか、選択肢はありませんもの」
逆らうべきではない。
この人物の首をはねる事は容易い。この場から脱することも難しいが不可能ではない。
だが、逆らうべきではない。こんな鋼鉄の鎖から脱するなど、不可能なのだから。
「……恐ろしいってよく言われません?」
「兄には、よく」
優しく微笑んだ女性の表情は親善大使のそれに戻っていた。
キツネビは変化するその様子に軽く身震いしながらも、静かに頭を垂れる。
余りに恐ろしいーーー……、と。
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