紅蓮と脚撃
「……全く、手間の掛かる連中だ」
ラウ・グーダムは大きく息を吐きながら、その四肢に付けられた傷を握り締めていた。
こんな簡易的な止血方法しか出来ないほど、連中に付けられた傷は多かった。
一応、包帯は持ってきたがそれは全て放っておけば出血多量になる場所に使ってしまった。
「本当に」
自分の魔法を解明される一歩手前、いや、何人かは既に気付いていたはずだ。
[始まりの栞]と[終わりの栞]は一対の魔法である。
[始まりの栞]はまず開始の印。
[終わりの栞]は終わりの印。
そう、即ちこの魔法は[始まりの栞]を仕掛けた相手の位置を、それを仕掛けた場所まで強制的に戻す魔法なのだ。
ただの位置移動という単純な魔法だが、これは非常に時間稼ぎに役立つ。
こんな任務の時は特に、だ。
「手間の掛かる、連中だった」
だが、この魔法は相手が戻る位置が解っているのだから、そこに拳撃や剣撃を撃ち込めば相手に尋常ではない被害を与える事も出来る。
だが、それはあくまで自分以外の誰かが居た時の話。
この魔法に集中しなければならない自分は容易く動けないのだ。
故に、これだけの傷を負ってしまった。こんな雑魚供相手に。
「さっさとリ・ドーに追いつくか……」
積み重なるように倒れた騎士を踏み越え、ラウは門へと進んでいく。
片腕を押さえる彼の周囲には数多の兵士が地に伏していた。
ある者は剣撃を受け、ある者は拳撃を受けて、その苦痛によって、或いはその傷によって意識を闇へ落としているのだ。
「くそっ、腕が痛む……」
第二街の門下へ踏み込むラウ。
それを止める騎士も、止めようとする騎士も居ない。
意識があったのなら、まぁ、話は別だっただろうが。
「リ・ドーめ。こんな面倒な連中なら引き受けなければ……」
そう呟く彼の隣に転がる、一つの影。
かなり大きなそれは放り投げられたと言うのが正しいだろう。
ごろごろと自分の横を転がっていくその姿など、まるで丸太だ。
騎士が残っていたか、それとも野次馬か。
何にせよ自分にはーーー……。
「か、ぁ……!」
腹を押さえて胃液を覇気ながら悶える、黒尽くめの男。
ラウはその男に見覚えがあった。ここに居るはずのない、その男に。
「リ・ドー……?」
自分より先に進んだはずの、それも大分前に向かったはずのその男。
リ・ドーが胃液を吐き散らしながらのたうち回っているのだ。
自分の足下で、苦痛に悶えながら。
「よくもまぁ、倒しも倒したり……、凄いですね」
紅蓮の太刀を掲げながら、冷徹に眼を細める一人の少女。
刀の柄頭に赤黒い血液を付着させている事からも、この小娘がリ・ドーを倒した事に間違いはないはずだ。
リ・ドーは知力が高く、戦闘能力も決して低くない。
現状を理解し、適応し、行動に移すだけの能力が高いのだ。
恐らく彼と戦っても自分は決して勝てないと思えるほどに。
「死ぬ覚悟、出来てます?」
ただの小娘だ。
先の騎士に比べれば子供ほどでしかないような、小娘だ。
自分の拳撃一発で薙ぎ払えるような小娘、だと言うのに。
勝てる気が、しない。
《第二街南部・南門》
「あ、隊長が居たたぬ」
「あら、本当ですわね」
巨大な門の前で仁王立ちが如く立ち止まる、[白き濃煙]の隊長。
彼は目的地へ進むべき道が眼前にあると言うのに、一歩として動こうとはしない。
壮大で強固な門に視線を向けたまま、ただ白煙のみを空へと立ち上らせているのである。
「おーい、隊長! 何でそんなのんびりしてるたぬか! 予定時間までもう余り無いたぬよ!!」
急かすように老体の元へと走り出すタヌキバを、キツネビは扇を持って制止した。
彼女の表情は依然として変わっていないが、その額を伝って顎から流れ落ちる一粒の汗が全てを物語っている。
「行っては駄目ですわよ……」
老体の先に待ち構える、門番が如き一人の女性。
ドレッドヘアーを風に揺らしながら老体のそれよりも遙かに堂々とした仁王立ちで出迎える、脚撃の戦人。
「よう、傭兵。観光旅行は楽しいかい」
「……ベルルーク国軍中佐、ヨーラ・クッドンラーじゃな」
「私を知ってるとは流石だねぇ。いやぁ、まさか私もそこまで有名人になってたか……。それとも依頼人から聞いたか、かね?」
無論のこと老体は何も言わない。
彼は短くなった葉巻を地面に吐き捨て、その口に新たな葉巻を咥え、そして。
豪腕により迫り来る破砕の脚撃を防御した。
「いきなりじゃのぅ……!」
「いきなり襲ってきたお前等がそれを言うさね?」
脚撃は老体の顔面を狙い豪腕に弾かれ、腹部を狙い豪肘に落とされ、足首を狙い豪掌にいなされる。
凄まじい攻防は余波すら生み出し、余りある衝撃は地を裂いて亀裂を走らせた。
タヌキバとキツネビは刹那に理解する。あの二人の攻防に手を出すべきでは無い、と。
「シィアッッ!!」
「ぬぅん!!」
脚撃が老体の顔面を捕らえて撃ち抜き、豪腕が女性の頬面を捕らえて打ち抜かれる。
明らかに尋常ではない一撃同士の衝突は轟音と共に広がって、余波により周囲の塵芥を舞い挙げた。
砂埃と成り果てて舞い散るそれらの中で、彼等は暫しの静止を見せる。
数秒か、数十秒か。或いは数分か。
タヌキバとキツネビの背筋に嫌な汗が伝いだした頃、その静止はいとも容易く破られる。
「懐かしいのぅ、戦場の空気じゃ……。懐かしい、嗚呼、本当に懐かしき空気よ」
「老体の懐古に付き合ってやるほど暇じゃないんだけどね」
「そう言うな、ヨーラ・クッドンラー。この老いぼれに夢の一つでも見せてみろ」
「そうするさね」
彼等は互いに足と腕を降ろし、静かに距離を取っていく。
見様によっては模擬戦に見えるその行為が先の戦闘は全力でない事を物語っていた。
あれ程の戦いが、全力でないと。
「亡霊にはさっさと去んで貰わないと、ね」
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