本と煙草
《第三街北部・大通り》
「…………ふん」
数多と転がる騎士を踏み越えながら、本を持つ男は歩き出す。
騎士達はそれぞれが苦痛に息を切らしながら男を睨み上げていた。
そんな中、唯一立っている女騎士が男に槍を構えながら、憎悪に塗れた声で男へと問いかける。
「私の、私の仲間を何処へ……!!」
「さてな」
目の前に幾多と[仲間]が転がっていると言うのに、女騎士の視線は男にしか向けられていない。
他の騎士もそうだ。転がる仲間など見る事もなく、男のみを睨み上げている。
唯一、全てを理解する男のみが騎士達を侮蔑するが如く鼻を鳴らしていた。
「貴様等などに教えることはない」
「このっ……!!」
彼女は全力を持って槍を突き出す。
その一撃は男の腕を貫き、その手から本を奪い去った。
激痛に狂乱の叫び声を上げながら、男はその場でのたうち回る。
それでも女性は男の、獣人である男の[魔法]を警戒し、一歩二歩と後退する。
後退、しようとした。
「かっ……!」
自らの背を打つ拳撃。
臓腑を裏側から抉るようなその一撃は女性を悶絶させ、全身から力を奪う。
彼女は手から槍を落とし、そのまま地へと沈んでいった。
その合間に刺突を決めたはずの男が、無傷で本を読んでいる様を見ながら。
「ワン・チェドス。終わりました」
「ご苦労、リ・ドー。ラウ・グータムはどうした」
「奴めは第二階への門を制圧しに参っております」
「そうか」
深々と頭を下げる、リ・ドーと呼ばれた黒尽くめの男。
彼は本を読む、ワン・チェドスという男の前から数歩下がって踵を返す。
無言の背は私も奴を、ラウ・グータムを手伝って参りますと言わんばかりの物だった。
だが、その歩みは数歩目で止まる事となる。
「…………」
女騎士の腕がリ・ドーの足を掴んだのだ。
本人は気絶している。恐らく、無意識に掴んだのだろう。
前に進ませるか、これ以上、被害を広げさせて堪るか、と。
信念と理念と意地によるその制止は決して力強い物ではない。
だが、それでもリ・ドーを止め、その拳を振り上げさせるには充分だった。
「やめろ」
「しかし……、ワン・チェドス」
「[資本]は壊すな。我々が壊すのは[中心]だけで良い」
「……はい、了解しました」
リ・ドーは女騎士の腕を乱雑に振り払い、門に向かって歩き出す。
やがて彼の姿が張りの先程にしか見えなくなった頃、ワンは本を閉じて静かに息を吐いた。
「貴様はこの国に居るのだな」
嘗ては共に肩を並べ合った仲間だった。
白き布地に身を包み、薬品揺れる瓶を揺すって笑い合った仲だった。
だと言うのに貴様は逃げた。私を、仲間達を見捨てて。
全てはあの時、始まったのだ。
「なぁ、リドラ・ハードマン」
《第三街南部・住宅街》
「何じゃ、コイツ等。てんで弱いぞ」
葉巻を咥えた老体は、丸太ほどもある腕の先に一人の若者を突き上げていた。
くの字に折れた若者の体は鎧ごと粉砕されており、とても無事には思えない。
然れど血を吐き苦痛の呻き声を漏らす辺り、死に至ってはいないようだ。
いや、そう調節されたのだろう。老体は大して力の入れていない腕を下げ、大きく煙を吐き出した。
「あくまで囮のようだぬ。他の連中は民を逃がすために何処かに行ったぬよ」
「相変わらずたぬたぬうるさいですわねぇ。それより隊長、この国広くて面倒ですわぁ」
「大国なんじゃから当然じゃろう。尤も、この広げ方は中々だと思うがのぅ」
「広げ方、たぬか?」
「いや、作り方と言うべきかのぅ? この己の身を護る為だけに作られたかのような国は」
「ですけれど、それは妙ではありませんか? その身を守るのは……」
「いや、違うのう。四天災者はそれが目的ではない。あくまで国としての頭を護る事が目的なのだろう。謂わば骨よ。自身を護る虚構の盾じゃ」
葉巻を咥えたままにぃ、と笑む老体。
然れど、納得を含むその笑みには一抹の疑問があった。
何故、四天災者はここまでして国の形を取るのか。
本来、国というのは[力]を作り出すための組織だ。
それを単体で持ち得て居る人物が、何故に国を作る?
西の四天災者は己の居所の為に、北の四天災者は己の理念の為に、彼の四天災者は己の欲望の為に戦ったと聞く。
そして東の四天災者は国家のために戦った、とも。
この国を護る理由があるのか? あの四天災者に。
民が大切だから、か? いや、違う。それならば、こんな作り方はしない。
だとすれば何だ? 居所か、理念か、欲望か。
……否、全て違うのだろう。
この国を作り出し、四天災者で唯一、王の位置に立つあの女は。
いったい、何を考えて居ると言うのだ。
「隊長!」
老体の背後から頭部へ容赦なく振り下ろされる一閃。
強靱な刃の一撃は白煙を切り裂き老体の白髪を掠めると同時に後方へと跳ね飛んだ。
そう、老体はその一撃を見ることなく裏拳で跳ね飛ばしたのである。
「四国大戦では、この程度の斬撃……、雑兵すら撃たなんだぞ」
振り向いた老体の瞳に映ったのは。
既に満身創痍と言って良いほど顔を青ざめさせ、息を切らす一人の女性だった。
先の一撃が最後の一撃だったが如くその手に持ったハルバードを垂れ落とし、肩で息をすると表すのも烏滸がましい程に疲労しているのだ。
老体はその姿を見て反撃する気も追撃する気も失せてしまった。
まさかこんな状態の小娘すら出さねばならぬ程の国なのか、と。
「我が仲間に何をした……!」
「何、臓の腑を一つほど潰したまでよ。死にはせん」
「貴様……!!」
女性は、デイジーはハルバードを構えようと足を踏み込む。
然れど待っていたのは凄まじい疲労感と鈍々しい痛みだった。
彼女はその場に膝を突き、酷く息を切らしながら、眼光だけは立派に老体を睨み挙げる。
「引け、小娘。儂とて満身創痍の子供をいたぶる趣味はない」
「黙れ……! 貴様の命令など受けるか!!」
「そうか、では仕方あるまい。戦場で敵の情けを断るは死と思え」
老体は先の情けが嘘のように平然とそう述べると、一気に拳を振り上げた。
岩石を砕き鋼鉄すら凹ませるであろう、その強靱な拳を。
「去ね」
拳は空を潰し、振り抜かれる。
全力で、何の加減も遠慮もなく。
一気に振り抜かれ、黒い塊を空へと舞い上げた。
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