杯は歪者を呼ぶ
「な、ななな……」
少女は思わず絶句していた。
当然だろう、つい先程まで平穏の中に居たというのに、今は喧騒に放り込まれたのだから。
「ど、どうしましょう……」
振り返った彼女の視界に映る者は誰一人として居ない。
皆は爆音を聞くと同時に各々の武器を手に取り、既に街へと走り出していたからだ。
己より民を護れ。信念や理念は二の次だ。
そう、ゼルに教えられているが故に。
「流石……」
少女は騎士達の行動力に感心しながらも[魔炎の太刀]を握り締めて走り出していた。
先程の爆発、そしてあの黒煙は間違いなく第三街からだ。
既に騎士達も向かっている。人民救助に関しては問題無いだろう。
そう、問題はそれを起こした[犯人]について。
「……うん」
第三街で事故が起きた、という線も無くはない。
だが、その可能性は現状から考えるにかなり低いはずだ。
何より、あの天を突く程の黒煙。ただの[事故]にしては大き過ぎる。
とすれば事件だ。何者かによって故意に起こされた[事件]。
騎士団の役目がその[事件]より民を守る事なら、自分の役目はその[事件]の犯人を捕まえること。
そう、一切の容赦なく捕まえることだ。
「覚悟して貰いましょうか」
《第三街北部・広場》
「人は……」
分厚い本を片手に、その男は眼鏡を中指で押し上げる。
いや、男と言うよりは獣人と言うべきか。その体毛深い手足と頭を見れば嫌でも判別が付く。
眼鏡の奥で細められた黄土の瞳は違う事無く獣のそれであり、同時に指先の爪も獣の物だった。
だと言うのにその男の、獣人の落ち着きようは獣のそれではない。
言うなれば老父のそれか、はたまた賢者のそれである。
「何故に抗うのか」
本を読む獣人は、静かに息をつき、立ち上がる。
異様なまでに落ち着き払ったその一挙一動を見る者は居らず、同時に聞く者も居ない。
彼が居る広場には誰一人として近付く物が居ないのだ。
その男を中心に円を描き、それを不可侵とするが如く。
彼の周囲には誰一人として人も獣人も、居はしないのである。
そう、彼の背後で膝を突く二人の黒尽くめを除けば。
「我々も向かいますか」
「杯は掲げられましたぞ」
「解っている」
男は本を閉じると同時に、眼鏡を一度外して再びかけ直した。
その動作を合図にするが如く、背後の二人は一斉に立ち上がる。
[準備]を終えた彼等は誰も居ない広場を悠々と歩き始めた。
この国を滅ぼす為に。否、この国を[脅かす]為だけに。
「行くぞ。我等が[頂の本]の名を轟かせに」
《第三街南部・廃墟屋上》
「馬鹿と煙は高い所が好きっつーが、儂等もそうじゃろうかなぁ」
「そうなんじゃないかぬ? だって私達、高い所に居るたぬ」
「では鳥は全て阿呆という事になるが、どうなんですの?」
「それは判断しかねるのぅ。鳥の頭はすっからかんという学者も居るぞ」
「まぁ、隊長の頭はすっからかんでしょうけども」
「貴様クビにするぞ」
屋上にて地を見下ろす、三人の人影。
一人は文字通り老齢故に白髪と白髭を蓄えているも、とても年相応とは思えない巨大な葉巻を口に咥え、若者のそれすらも遙かに超える剛力の腕を持っている。
その左右には両腰に手を突きながら煙草を上下に揺らす狸の獣人と、和服らしき物を羽織り煙管を吸う狐の獣人が居た。
三人は三様の葉から三種の煙を出し、確かな声で述べる。
「さて、切り込み兼主力部隊としての役目は果たすか」
「果たさぬは[白き濃煙]の名折れですわぁ」
「あぁ、全くだな」
彼等の姿は、白煙が靡いて風に尾を引かれると同時に消えていた。
残されたのは鼻奥を突き刺すような煙と微かな焦げ跡のみ。
彼等の消え去った後を確認できる物など居らず、気付く者すら居らず。
第三街は未だ爆音を除き、平穏に身を浸していた。
《第三街西部・大通り》
「豚は何色ぉー。血の色かぁー」
溢れかえる野次馬の中を、男は流れに逆らって進んでいく。
相変わらず下手なその歌は喧騒の中に掻き消されていくが、歌男はそんな事など構わずに陽気な声で歌っていく。
豪炎が燃え盛る音と異臭を演奏にした、その歌を。
「東の獣ぉー西の煙ぃー南の歌ぁー北の本ん-。眺める豚は何を見るぅー」
下手ながらに陽気な歌はやがて人混みを脱け、大通りを脱けて小さな広場へと辿り着く。
爆発現場から遠く離れたその広場に人影はなく、幾つかの玩具や露天などが残されていた。
悪品質とは言え安価な商品のそれらには目もくれず、男は[ある物]の前へと進んでいった。
「……はっけーん」
男は[それ]に爪先を掛け、静かに持ち上げる。
段々と開いていくそれに醜く顔を歪めつつ、男は一気に蹴り上げーーー……。
「何をしている」
蹴り上げ、られなかった。
男の奇異な行動を目にした騎士が武器を構えながら、言葉を持ってそれを制止したのである。
男は静かに足を降ろしながら、醜い笑みを浮かべたまま騎士へと視線を向けた。
騎士は悍ましい視線を受けて背筋を凍らせながらも、ぎりっと歯を食いしばって一歩前へ出た。
「何か用かな? 騎士様」
「何をしている、と聞いているんだ。[それ]に何の用事がある?」
騎士は武器を持ったまま、一歩二歩と近付いていく。
嫌な予感がする。訓練場であの小娘と対峙した時よりも遙かに嫌な予感が。
あの小娘に撃ち込まれた腹がズキズキと痛む。いや、もしかしたら胃が痛むのか?
この男からそれ程の重圧を感じ取っているというのか?
「お前の知った事じゃぁない」
涎、と言うよりは唾液と言うべきか。
余りに生々しく開いた男の口を伝い、それは地に落ちる。
騎士は反射的に男から距離を取り、武器を眼前として防御の構えを取った。
取った、取ったのに。
自信の意識は数瞬後には闇の果てに引き摺り込まれていた。
「お勤めご苦労様でぇーす」
男の姿は[それ]の中に消え、残されたのは幾つかの玩具と露天。
そして、地に伏す男ばかりとなる。
静寂は歌など孕まず、喧騒と焦煙という演奏を残すばかりだった。
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