閑話[残された少女は走り回って]
【リドラ別荘】
「…………」
安くて不味い珈琲を飲む男と、それを眺める一人の少女。
彼女は見知らぬ家に放り込まれた小動物のように顔を半分だけ扉の隙間から覗かせて、静かに男を睨んでいた。
鉄の腕で陶磁器を仰ぐ男はやがてそれに気付いて、いや痺れを切らして少女へと語りかける。
「ファナ、何してんだお前」
「…………」
「いや、黙ってちゃ解らねぇだろ。どうしたんだ」
「……チッ」
「えっ、何で俺舌打ちされてんの」
目的の物は無かったのか、彼女は舌打ちと共に鉄の騎士も元より去って行った。
残された彼は揺れ動く安くて不味い珈琲を横に、ただ呆然とするしかない。
自分が何かをした覚えはないし、何かをされるような覚えもーーー……。
……いや、確かに大分前にある事件はあった。しかしアレは事故だし、その時からかなり時間も経っている。
まさか今更恨み辛みを吐くわけでもあるまい。彼女はそんなタチではないはずだ。
吐くぐらいなら魔術大砲をぶっ放してくる。間違いなく。
「いったい何なんだ……?」
男は彼女の行動に疑問符を浮かべながらも、再び珈琲を喉に流し込む。
安くて不味い珈琲の苦みと最近は軽くなってきた頭痛に疲労感を感じながらも、彼は軽く息を吐き捨てて青き空に視線を向けていた。
「…………」
「うぉっ、吃驚した!」
続いて、少女は外の薪割り場に姿を現した。
頬に包帯を貼り付けた男はそんな彼女に驚いて飛び跳ね、思わず薪木を脚に落としてしまう。
頬だけでなく脚までも、と男は転げ回りながら苦痛を叫んでいた。
「な、何だよ。驚くじゃねぇか」
「…………」
「薪木はまだ燃やさなくて良いぜ? 数十本しか割れてないから割るのを手伝ってくれるなら有り難ぇけど」
「……頬は、どうした」
「ジェイドに殴られた。くっそー、あの馬鹿ンところに行かせただけなのに。……いや、殺されなかっただけマシかも」
「…………」
「で、どうしたんだ? 何? 暇なの?」
「……違う」
「え、あ、そう」
男が薪を取ろうと屈むと同時に女性は姿を消す。
いつの間にか居なくなった彼女に首を傾げながらも、男は再び薪を割り始めていた。
まぁ、その時に他所事を考えていたせいで妙な割り方をしてしまい、吹っ飛んだ薪木が彼の顔面に直撃するのはまた別の話としておこう。
「ファナ、そんな所で立ってないで書斎に入ったらどうだ」
「……!?」
次は覗き見るより前に、彼女は漆黒の獣人に発見されてしまう。
少女は胸の底から湧き上がる不快感に眉根を歪めながらも、ゆっくりと書斎の中へ脚を進めていった。
中では漆黒の獣人が黄金の隻眼を右へ左へ動かしながら、ゆっくりと指を紙幣の中に差し込んでいく。
彼が読んでいるのは何が何だかよく解らない歴史書。
恐らくはこの書斎に置かれていた物を、持ち主に許可を取った上で読んでいるのだろう。
尤も、今は別にそんな事は関係の無い話だ。
「どうした、ファナ。貴様が目的も無くぶらぶらと歩き回るなど珍しい」
「……貴様には関係ないだろう」
「そうだな」
彼は本のページを一枚捲り、再び黄金の隻眼を右から左へと流す。
言葉通り、彼にとっては別にファナのことなど興味はないのだろう。
ファナ自身も彼に興味がないのは明らかだが、敢えて彼女は部屋から出ていなかった。
まぁ、所詮は子供の負けず嫌いだ。ここで出て行けば負けな気がしただけの話だろう。
「オススメは二列目の棚にある[魔術魔法に関する考察書]だ」
ファナは伸ばしていた腕を高速で移動させ、その隣にある[元祖武術流派研究書]を手に取った。
横目で見れば男は物言わず本に視線を通しており、こちらの事など我関せずと言った風だ。
そんな様子にまた不快感を感じながらも少女は獣人と対角線上になる場所へ腰掛けて、本を開く。
「少しは体も鍛えるんだな」
漆黒の獣人は鼻を鳴らすように、子供に微笑む大人のようにそう言い放つ。
少女は、獣人が自分の言葉に従わないであろうことまで見過ごした上で本を勧めた
ことに気付き、不機嫌そうにその本を閉じる。
乱暴に戸棚へ本を戻し、少女は部屋から出て行った。
最早、勝ち負けなど眼中には無かったのだろう。まぁ、負けたのだから終わった勝負について関係ないのは当然な話だが。
「……少し、悪戯が過ぎたか」
残された獣人は本を閉じ、軽く肩を鳴らす。
もう長く本を読んでいるが、どうにも目が疲れてしまった。
そろそろ誰かに珈琲でも淹れて貰って…………。
「……あぁ」
成る程、そういう事か。
思えば確かに彼女以外は居ない。
……所詮は年相応の娘、と言った所だろう。まぁ、解らない話でもない。
それを口に出さない辺り彼女らしさが垣間見えているではないか。
「む、ジェイド。先程、ファナが走って行ったが……、何かされたのか?」
「せめてそこはしたのか、と聞け。ファナに殺されるぞ? リドラ」
「それは困るな」
猫背の男は左右を確認して、再び漆黒の獣人へと視線を向ける。
何をしたのだ、と再び問うた彼に対し、獣人は軽い笑みで応えて見せた。
「野郎所帯に小娘が一人だ。心寂しくもなる……、という話さ」
「そんなタマか、あの子が」
あくまで予想に過ぎんがな、と付け足して獣人は再び本に視線を落とす。
そんな彼を見ながら猫背の男は走り去っていった少女の方向に視線を向けて、獣人に視線を向けてと繰り返し、やがて大きくため息をついた。
研究は出来ても人心というのは解らんな、と。
そう呟きながら。
読んでいただきありがとうございました




