クグルフ国の長
【クグルフ国】
《クグルフ城・応接室》
「いやはや、よくぞいらっしゃいました!」
スズカゼとファナ、そしてメイドの前に居るのは小太りで髭を蓄えた男性だった。
彼は体型に似合わず背筋をぴんと伸ばし、そのでっぷりとした腹を前へ押し出している。
そんな人物だからか、部屋の中には微かに汗臭い体臭が広がっており、スズカゼとメイドは顔をしかめるだけだが、ファナは明らかに嫌悪感を示した表情となっていた。
「私はメメール・フォッゾン。このクグルフ国の長をしております!」
「す、スズカゼ・クレハです。サウズ王国第三街領主として来ました……」
男の差し出した、脂ぎった手。
握手を求めているのだろうが、生理的にそんな手を握るのは戸惑われてしまう。
だが、双方、責任者としての立場があるのだ。そんな理由で手を取らない訳にはいかない。
スズカゼは目元をひくつかせながらも、その手を取って固い握手を交わした。
触った瞬間にぬめりとした感触があり、彼女は思わずひっと声を出してしまう。
「サウズ王国からの長い道のり、大変でしたでしょう。我々のためにお越しいただいて真に申し訳なく……」
「イ、イエッ」
思わず声が裏返ってしまった彼女の腕をメイドの肘が突く。
少し焦ったような彼女の表情に、スズカゼは一度咳払いをして気を取り直した。
「サウズ王国とクグルフ国は輸出入の関係からも良好ですし、こちらとしても良い関係を築きたいのですよ」
「はい! 真にありがたい事で」
「えー、それで今回の話なんですけれど」
スズカゼがそう切り出すと同時に、クグルフ国長のメメールは伸びきった背筋をさらに伸ばした。
それに合わせて彼のでっぷりとした腹と胸が揺れたが、彼は得に気にする様はない。
「クグルフ山岳で盗賊が魔法石を無断採掘したのが原因で、大元の召喚石が暴走し、精霊や妖精に山岳が占拠されている、と」
「その通りです! 馬鹿な盗賊共のせいで我が国は貧困してしまい……!!」
「……ご心中察します。それで、より詳しい話を聞きたいのですが」
「え、えぇ、はい」
メメールが話したのは、少しばかり厄介な事だった。
件の現場であるクグルフ山岳は、今の季節は霧が濃く立ち入ることすら困難らしい。
外套を身に纏わなければ服がびしょ濡れになり、重くて山道を歩けなくなるほどだそうだ。
しかし外套を身に纏っていては、いざという時に反応が遅れて危険なためにクグルフ山岳には未だ調査に行けていないらしい。
なので精霊や妖精達の状態も、魔法石の状態も不明。
いつクグルフ山岳を出て来てクグルフ国に襲撃をかけてくるかも解らないので下手に動く事も刺激することも出来ず、受け身体勢を続けている、と。
「……という訳で、こちらは何も出来ずに指を咥えるしかないのです」
「被害は出てるんですか?」
「いえ、まだ何も……。ですが、これはもう奇跡的な物でいつ国に被害が出てもおかしくないんです」
「なるほど」
「そんな中で貴方達に来ていただいて……、本当にもう救いの女神ですよ!」
「いやぁ、そんな綺麗で巨乳で美肌の女神なんて……」
「いや、そこまで言ってない……、というかむしろまな板」
「あ?」
「な、何でもないです……」
何はともあれ、状況は非常に切迫しているようだ。
現状での情報はクグルフ山岳で精霊や妖精が大量発生し、山岳を占拠しているという事だけ。
これでは幾ら何でも情報が少なすぎる。
調査に行くにしても、何も解らず行けば危険な状態に陥るのは必至。
もっと、ほんの少しでも良いから情報を得るべきだろう。
「……あ、そう言えば」
「何か?」
「その、精霊石を無断発掘しようとした盗賊団はどちらに? 少しでも話を聞きたいんですけど……」
「……あぁ、彼等ならもうギルドに手渡してしまったのですよ」
「ギルド?」
「えぇ、ギルドに」
「そ、そうですかー。ギルドに!」
取り繕うように笑みを浮かべるスズカゼだが、内心ではギルドって何という感想で溢れていた。
隣ではメイドがしまったと言わんばかりに視線を窓外に向けているが、流石にこの場で補足は出来ないだろう。
ファナに至ってはどうだ。もう興味が無くなってしまったのか大きく欠伸をしている。
誰も助けてくれない。泣きそう。
「あの、お茶です」
そんな中、少し固まり気味になっていた空気の中に獣人の少女が足を踏み入れてくる。
今、この場には居ないがハドリーと同じ鳥の獣人のようだ。
尤も、彼女ほど獣成分は多くなく人間に近い。
そんな少女の手には四つのカップがあり、中には香ばしい薫りを放つ温かい珈琲が入っている。
少女はそれを危なっかし気に運び、どうにかスズカゼ達とメメールの前に置いた。
「あぁ、ありがとう」
メメールはそんな少女に微笑みかけ、少女もまたメメールへと一礼してから急いで出て行った。
彼女の後ろ姿を見ながら、スズカゼは何処か嬉しそうに微笑み、メメールへと疑問を投げかける。
「……さっきの少女は」
「あぁ、有能な子ですよ。その辺りの給仕よりも腕が立つ」
「…………うん」
先程のは、何と言う事はない、今のサウズ国第三街でも見られる普通の光景。
だけれど、それはスズカゼからすれば非常に嬉しい光景でもあった。
サウズ国でも未だ根付く獣人差別の意識。
それは暴動が成功し第三街の地位が向上した今も変わらない。
否定派の人間も未だ居て、第二街に入街した獣人達と度々トラブルを起こすし自分達に対する嫌がらせもある。それに、この前の黒尽くめの一件も。
だが、この国では先程の獣人の少女のように、こんなお偉い方が居るような場所でも獣人が働いている。
それはつまり、少なくとも平等に扱われているという事だ。
「気になりますか、彼女が」
「……顔、出てました?」
「あぁ、いえいえ。話には聞いていますからね、獣人の姫……、と」
「獣人の姫?」
「えぇ、獣人の救世主故に、姫。獣人の姫だと聞いています」
メメールは珈琲を口に運びながら、世間話をするように微かな微笑みを見せる。
慈しむようなその儚げな笑みに、スズカゼは思わず背筋を伸ばした。
彼女にはメメールの姿が肥満体型な中年の男から、一人の国長として見えたのだ。
民を思い、国を支える人物として。
「私はこの国の長になって、もう20年は経ちます。未だ後継者が居ないのが悩みですが、それで良いと思っている自分も居る」
「……どうして、ですか?」
「もし後継者が獣人否定派の人間なら、どうしますか?」
「……!」
「私は不安なのです。人が信じられない……、と言えば言い過ぎかも知れませんが、実際にそうなんです。もし獣人否定派のような者が後継者に着けば、この国は崩壊してしまう。この国は壊れてしまう……。私はそれが何よりも恐ろしい」
「……貴方は、獣人賛成派なんですか?」
「勿論! 民は民! 私の大切な家族ですから」
油でテカテカとした頬端を吊り上げ、メメールは白い歯を見せて笑う。
バルドが持つような仮面の笑みではない、心からの笑みである事がスズカゼには解った。
この人はきっと、メイア女王のように国だけを思う人物ではないのだろう。
民を思い、国という一つの組織をまとめ上げる、本来有るべき長の姿なのだ。
「……だからこそ、守らなければならない。しかし無力な私達にはそれが成せないのです」
メメールは膝に肉に関節が埋もれた手を着き、脂ぎった髪を勢いよく下げた。
国長が、自分の半分の生きていないような少女に頭を下げたのである。
何の躊躇いもなく、堂々と。
「お願いします……! どうか、どうか再び我が国に安息を!!」
彼の声には必死さが籠もっている。
スズカゼはその声を聞き、歯を食いしばって力強く頷いた。
「……今回の件、任せてください。必ず精霊や妖精を抑え、クグルフ山岳を取り返します。必ず!!」
その言葉を聞くなり、頭を下げていたメメールの表情はとても明るい物となる。
彼は再び脂ぎった手を差し出し、スズカゼへと握手を求めた。
彼女はその握手を嫌がるような事はせず、しっかりと応える。
それは一人の少女と肥満体型の中年男の握手ではない。
サウズ王国第三街領主とクグルフ国長の握手だった。
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