閑話[闇に浮かぶ紅火を想いて]
「阿呆めが」
漆黒に食い尽くされた世界。
その中心で、微かな光を放つ岩に座す男はそう吐き捨てた。
文字通り、侮蔑の意味を込めるように、冷淡にだ。
「……」
対する女性は何も言わない。
己の内に渦巻く思想こそあれど、何一つとして口に出しはしない。
自分にはその権利がない事を重々承知しているからだ。それを語ってはいけないと、子供でも解る規律を守るためにだ。
その点で言えば説教を受ける子供、とでも言えるかも知れない。
いや、萎びる様子はあれども反省と後悔の色がない所を見ると、そうも言い切れないだろうか。
「貴様の行動は我々の理念に大きく反しかねない。本来ならば接触すらも儂の役目だと言うのに」
「解ってる。けれど、貴方は彼女にとって少し厳しすぎる。あんな過酷な運命を背負った子にとって、貴方は厳しすぎるわ」
可憐で妖艶な女性の言葉を受け、武骨で巨漢な男は口元を縛る。
幾度となく繰り返した思想を今一度聞かされれば、当然の反応だ。
幾度となく繰り返し、苦く自身を噛み締めたというのに。
それを再び聞かされようとも、自分は如何ともし難いのだ。
もう既に決まってしまった、いや、そうすべきである運命を前には。
「……解っておる。あの小娘が如何に苦しい運命に立ち向かわなければならぬか、その激動に身を置かねばならぬのか。解っておることだ。我々は幾度とない思考の上でその案を用いた。あの小娘に重荷を背負わせることになった。この世界の、或いは全ての選択だ。解っておる、解っておる」
「だったら、あの子には時が来るまで助けを与えても良いでしょう? 我が儘だという事は解っているわ。この場に居ない彼が聞けば鼻で笑うような事だとも……、解っているわ」
「解ってなどいないさ。解っているはずがない。あの子は試練に向かわねばならぬ。いつか来る大きな壁を前に、試練に向かわねばならぬのだ。その為の我々だろう。あの小娘を成長させる為の、我々だろう。……助くべきではないのだ。見守るべきなのだ」
「だからと言って、こんな……」
「……あの少女は救いだ。この世界を助けるための[鍵]だ。いつか訪れる大悪を封ずる為の、鍵なのだ」
「…………」
女性は先の男が如く口端を縛り、頭を垂れる。
解っている。その救いの為に少女を用いたのは自分なのだ。自分達なのだ。
彼女が過ごした[この世界での]月日を生んだのは、自分達なのだ。
彼女に重い枷を填め、その心に刃を突き立てているのは自分達なのだ。
「助けて、あげられないの」
「時を待て。あの小娘に干渉するにはまだ早い」
「けれど、あの子は大切な」
「諄い。あの小娘を助けてやりたいのは儂とて同じ。然れど、そうもいかんのじゃ」
「……時を待つしかないのね。その時を。再び世界が激動する、その時を」
「うむ。時が来れば存分に助けてやろうぞ。その時まで今暫し、今暫し……」
二人は頭を垂れ、暗闇の中に意識を落とす。
助けたいのは互いに同じなのだ。手を差し伸べてやりたいのは互いに同じなのだ。
当然だろう、当たり前だろう。
自らが生んだ子供に、手を差し伸べたいと願う気持ちは。
「……そう遠くない内だ。今暫し待つが良い。今暫しだ。早くあの小娘を支えてやりたいのなら、今暫し」
「歯痒いわね……。何も、出来ないなんて」
「然れど耐えねばならぬ。この痛みは対価と思うてこそ意味があるのだ」
男は膝を伸ばして踵を返し、大入道のような身体を闇の中に融け込ませていく。
女性は彼の後ろ姿を横目で追いながら、その視界を涙で潤ませていた。
自分の無力さに、自分の娘とも言える存在の大きさに。
そして、来たる激動に身を置く彼女を憐れんで。
「……無力ね、私は」
再びの呟きは最早、誰も聞く者など居ない。
その闇の中、彼女以外の人間は誰一人として居ない。
それを自覚しているからこそ、女性は大きなため息をついて、深く目を閉じた。
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