仲間を救うために
【精霊竜・シルセスティア内部】
《口内》
「……そろそろイラついてきた」
額の汗を拭い、スズカゼは明らかにイラついた声を漏らす。
幾千幾多と斬り伏せても終わらないナメクジもどきの波は、決して気長と言えない彼女の堪忍袋の緒を千切り始めていたのである。
まぁ、数時間にも及ぶ斬り伏せを繰り返していれば苛つくの事も解らないでもないのだが。
「分裂するんだよね、これ……。斬っても無駄とは解ってたけど、まさかここまで無駄とは」
精霊竜の口内は最早、ナメクジもどきで覆い尽くされていた。
自分が斬り伏せて分裂させておいて何だが、まさかこんなに増えるとは思わなかった。
その内、増加が止まるのでは……、と思っていたのだが。
原因も解らず、止める方法も解らず。
結局、こんなに増加させてしまったのだった。
「どうしよう。ハドリーさんとデイジーさんを救出する前にナメクジで口が覆い尽くされてしまったんだけど……」
ぺっ、してくれないだろうか。ぺっ。
と言うか、それをされたら自分まで吐き出されそうな物だが。
そう言えば気付けば身体に妙な脱力感がある。疲労ではない、大きく息を吐き捨てる事を繰り返したような脱力感が。
恐らく魔力が抜けている。周囲に散らばった岩石が当初より小さくなっている事からも魔力が喰われているのだろう。
胃でないと言うのに魔力が喰われるとは思わなかった。これは思いの外、急いだ方が良いのかも知れない。
「けど……」
そうなると自分が広げてしまったナメクジもどき共が邪魔になってくる。
このまま内部に逃れてハドリーとデイジーに合流しても良いのだが、そうした場合、あのナメクジもどきまで引き連れて行ってしまう事になる。
……満面の笑みでナメクジもどきを引き連れて行った時の彼女達の反応を見てみたい気もするが、今回は止めて置こう。
「吹っ飛ばす術がない訳じゃないけど……」
[天陰・地陽]を使えば、どうにかなる。
現状の魔力を振り絞れば一発か二発は撃てる。精霊の内部という魔力が溢れた場所の事を考えれば三発と言った所か。
まぁ、何にせよ一発撃てればあのナメクジもどきを殲滅する事は可能だ。
分裂もクソもないよう、木っ端微塵すら残さず焼き尽くす事は可能だろう。
結果として竜の頭が吹っ飛ぶことになるが、可能だろう。
「いやいやいや……」
もし竜の頭が空にあれば、まぁ、良い。
だが、もしも水中だったら? 水中の、それもあの竜が身を隠せるほどの深さだったら?
結果は分かりきっている。水圧でぺしゃんこだ。
水深がそこまでなくとも、水面に出るまでに息が続くはずがない。
その上、ハドリーとデイジーはどうなる? 彼女達を見捨てられるはずがないだろう。
「どうするかな」
方法は大きく分けて二つ。
一つ、ナメクジもどきを殲滅してハドリーとデイジーを迎えに行く。
一つ、ナメクジもどきを無視してハドリーとデイジーを迎えに行く。
現状、どちらも不可能。
「……マズいかな、こりゃ」
スズカゼは一歩後退し、ナメクジに左肩を向ける。
このまま踵を返してハドリーとデイジーを助けに行くか?
いや、そんな事をすればナメクジもどき共の群れに……!
「だぁー! 面倒くせぇえええええええええええ!!」
スズカゼに飛び掛かってくる数多のナメクジもどき。
彼女は一瞬だけ斬撃を戸惑うも、仕方なく一閃を振り抜いた。
案の定、切り裂かれたナメクジもどきは地に落ちてから分裂し、その数を増やす。
先程からこの繰り返しだ。本当に手を打たなければ、そろそろ押し潰されてしまう。
「ッ!」
一瞬、思考に囚われた彼女が隙を生むのは必然だった。
数多のナメクジもどきはいつの間にか彼女の頭上を這って背後へと回っていたのだ。
斬り裂ける。可能な話だ。そして分裂させる。
分裂させて、良いのか?
「……っ」
一瞬の迷いは一閃を封じ、スズカゼから斬撃という選択肢を奪う。
ナメクジもどきの打撃は彼女の肩を打ち、そのまま数メートル近く吹っ飛ばした。
肉壁に叩き付けられて衝撃が全身を走り回り、彼女は思わずその場に腰を突いた。
大したダメージではない。立ち上がれるし、武器も触れる。
例え幾千と広がるナメクジもどきを前にしても、だ。
「多過ぎるっ……!」
その上、一体一体の一撃が重過ぎる。
大した防御力がないのは増殖出来る為だ。実に理に適った生物である。
いや、今はそれ所ではない。こうなってしまっては救うだ何だと言っている場合では……。
「邪魔だ、化け物共」
スズカゼを救うが如く、化け物の壁は一部の隙間を生む。
振り抜かれたハルバードの切っ先はナメクジもどき共の分裂など知った事か、と言わんばかりに全てを薙ぎ払ったのである。
その隙間から覗いたのは一撃を振り抜いたデイジーと、彼女を支えるハドリーの姿だった。
いや、正しく言えば。
酷く疲労にやつれた顔で片腕をぶら下げるデイジーと、流れ出す汗に頬を濡らすハドリーだった。
「二人とも……」
「スズカゼ殿、お手数をお掛けしました。ハドリー殿の疲労が酷い。早く脱出すべきです」
坦々と述べる彼女だが、傍目から見ても明らかだった。
ハドリーの疲労よりもデイジーの傷の方が余りに酷い。片腕は折れてこそいないだろうが、膿み始めている。
魔力は生命の元だという。傷を癒やすのもそれが必要であるならば、ここは治癒という一点で言えば最悪の場所に成り得てもおかしくはない。
ただの打撲が、ここでは余りに酷い傷になってしまうのだろう。
「デイジーさん、腕が……」
「何、この程度どうという事はありません。それより早く立ち上がってください。この化け物共相手にいつまでも座っていられるほど、この状況は楽観的ではありませんよ」
冗談めいた言葉も、今となっては痛々しいようにしか感じない。
そして同時に、可能性は二つから一つになった。
ナメクジもどきを殲滅してハドリーとデイジーを迎えに行くことから。
ナメクジもどきを無視してハドリーとデイジーを迎えに行くことから。
ナメクジもどきを殲滅させてハドリーとデイジーを護り、外へ出ることへと。
「スズカゼ殿、ハドリー殿をお願いします。ここは私が足止めしますので、どうかお外に」
「で、でも、外は……」
「恐らく内部から一撃を与えれば可能なはずです。水中に放り出されない確証はありませんが……、このまま化け物共に潰されるよりマシでしょう」
確かに、デイジーの言う通りだ。水中に放り出されても確実に死ぬ訳ではない。
ほぼ無傷の自分と、ハドリーは、だが。
デイジーは無理だ。あの状態で水中に放り出されよう物ならショック死する可能性すらある。
不可能だ、全員を無事で脱出させる事は。
「不可能、か」
ナメクジもどきを殲滅しなければ全滅。
ナメクジもどきを殲滅し[一人を見捨てれば]生き残れる可能性がある。
「……はっ」
可能性があるとは言え、実質は50%を超えなくてもおかしくない可能性だ。
それでもこの状況を打破するには充分過ぎる可能性だろう。
賭けるべきだ、前者に。生き残りたいのなら。
ここでデイジーを見捨てれば自分とハドリーは生き残れる可能性がある。
見捨てなければ確実に死ぬ。二つに、一つ。
「馬鹿馬鹿しい」
何が二つに一つだ。何がデイジーを見捨てれば、だ。
何が選択肢。何が可能性。
下らない。そんな仮定は無意味以外の何でもない。
だが、この状況が生存不可能な状態である事に変わりは無い。
不可能だ。生存確率0%だ。
生き残れない。生き残れるはずが、ない。
「それがどうした」
生存率0%がどうした。たった、その程度の[限界]だろう。
解決策は知っている。何より自分が知っている。
何、ちょっと[限界]を超えれば無理な話ではないのだ。
ならばやるしかない。[限界]など人が勝手に決めた[境界線]だ。
「境界線をブチ破るなら」
ナメクジもどきをブチのめし。ハドリーとデイジーを救出し。
余裕を蹴飛ばし限界を斬り伏せて、境界線を超えろ。
出来る出来ないじゃない。[自惚れ]と[自信]の境界線を取っ払え。
水下だろうが地上だろうが空中だろうがーーー……。私の斬撃を止めるにはたり得ない。
〔嗚呼、灯き日よ、暗き月よ。嗚呼、紅き火よ、黒き憑よ。溶けて混ざれ。解けて魔ざれ。融解せよ、結回せよ〕
今、ハドリーとデイジーが危険に晒されている。
自分の大切な仲間が、ナメクジもどき共に囲まれて危険に晒されている。
ならば止めよう。ならば救おう。
自分の力は、我が信念と仲間の為にあるべきだ。
彼女等を救うためならば、如何なる力でも振るうべきだ。
〔境界を解き払い、狭界を溶き祓え。異なる双対の存在を無二の焔とせん〕
ナメクジもどき共を吹っ飛ばし、ハドリーとデイジーを救う方法。
一つだけある。限界のその先に、一つだけ救う術がある。
〔天陰・地陽〕
我が力は仲間を救うために。
その為ならば、化け物にでも何にでもなろう。
この一撃で、仲間を救うためならば。
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