呑まれた彼女達は
《食道》
「……ご無事か、ハドリー殿」
頬端から血を流す女性は軋む腕を抑え、そう問うた。
その問いは余りに息苦しそうで、一字一句が胃の奥底から吐き出されたように重々しい。
恐らく腕に亀裂を、少なくとも重度の打撲を負っている。
その激痛たるや鋭くないが故に、鈍々しく響くが故に苦となるのだ。
「デイジーさん、腕が……」
「何、この程度……」
ハルバードを杖に、彼女は苦痛を噛み潰して立ち上がる。
この竜の内部に侵入してから既に数時間。口内で珍妙な生物に遭遇し、体内へ逃れてから大分時間が経った。
また、何度か訪れた激震により跳ね上がる岩石から逃れたために、予想以上に奥地へと入ってしまったのである。
さらに言えば激震は予想以上に奥地に入ってしまったという事態のみでなく、跳ね返った岩石による衝撃すら生み出した。
その衝撃はハドリーを襲ったものの、デイジーの身を挺した防御によって奥へと転がっていった。尤も、彼女の左腕と引き替えにだが。
「申し訳ありません、私が気付いていれば……」
「そう仰らないでください。貴方の意見が無ければ私はまだ口内で戦っていた事でしょう。あのままあそこに居れば激震による瓦礫の餌食か、はたまた化け物の餌食かのどちらかでしたから」
「けれど……」
「もっと私が強ければどうにかなったのですがね」
自虐気味に苦しい笑みを見せるデイジーの姿は、余りに痛々しい。
強がりという意味でも、弱々しいという意味でも。
「庇っていただいて何ですが……。デイジーさん、無理をなさらないでください。私を庇って貴方が傷付いたのでは」
「そうはいきません。私は騎士だ、誇り高きサウズ王国騎士団の一員です。そして貴方は私の主であるスズカゼ・クレハ殿の大切な友人であり、仲間だ。同時に私の大切な仲間であり、友人でもあります。……そんな方を護らずして、誰を護るというのですか」
「けれど……」
正直、この竜の体内でデイジーが自分を庇いながら生き残れるとは思えない。
現にこうして左腕を失っている。両腕を使う武器の所持者ならば致命的な傷と言えるだろう。
それに、何故だか彼女は強がっているように見える。自分なら出来る、自分は大丈夫だ、と喚く子供のように。
「デイジーさん、取り敢えず暫く休みましょう。あの化け物は不死身と言っても差し支えないほどの再生能力と増殖能力を持っています。こうなっては口に戻るより、ここで救助を待った方が……」
「いえ、大丈夫です。この体内に居ては、いつ貴方に被害が及ぶやも知れません。私は大丈夫ですから急ぎ口内直前まで引き返しましょう」
「その腕で、ですか?」
だらりと垂れ下がった左腕は彼女の呼吸に合わせて力無く揺れている。
力が入っていない、いや、力が入れられない証拠だ。あんな状態では満足に武器すら振れないし、充分に走ることすらままならないはずだ。
彼女ならば片腕で武器を振ることも出来るだろうし、痛みを堪えて走ることもできるだろう。
然れど、それは彼女の体力を削り死を迫らせることを意味するはずだ。
「この腕、だからこそです。スズカゼ殿は腕が折れ臓腑が潰れても太刀を振ったと聞きます。団長は腕がもげようと脚が千切れようと頭が弾けようと荒れ狂うほどの人です。[闇月]と呼ばれたジェイド・ネイガーはスズカゼ殿を助けるために四天災者であるメイア女王の座す王城にさえ乗り込みました。ならば、私も高が片腕程度で止まる事は出来ません」
「それは、それは……」
それは違う、と。
その一言が言えない。言えるはずがない。
スズカゼとゼルは違うのだ。況してやジェイドも同様に違う。
彼等が強くあれるのは護るべき存在があるからだ。決して負けないという意思があるからだ。
強くあらねばという意思ではなく、強くあろうという意思があるからだ。
彼等は決して意図して強いのでは無い。彼等の強さはーーー……。
「……ハドリー殿!」
デイジーは両足を地に着け、ハルバートの切っ先を腰元に据える。
彼女の眼前には壁にべったりと張り付いた化け物共が多く存在していた。
話に夢中で気付かなかったのだろう。いつの間にか、かなりの距離を詰められていたらしい。
後ろは胃。前は化け物。溶かされるか、潰されるか。
二つに一つ。
「ハドリー殿、どうすれば……」
「……賭けるなら胃の方に進むべきです。私達を呑んだ物が通常の生物とは思えません。流石に何であるかを予測することは出来ませんが精霊であることは予測できます」
「そ、その予測がどうして胃の方に進むべきだという結論に至るのですか?」
「精霊は物理的な食事をしません。無論、することもありますしそれで魔力を摂取する物も居ますがごく少数です。一般的に精霊は食事で魔力を摂取しようとしますから」
「つまり……?」
「胃に後退しましょう。かなりの賭けになりますが、前のアレに突っ込むよりマシです」
デイジーは眼前より迫る化け物共と、広々として果ての見えない奥地へ交互に視線を向けた。
確かにハドリーの言う通りだ。筋も通っている。
確証は無くても信じられるだけの筋が通っている。
だが、スズカゼはここで逃げるか? ゼルはここで逃げるか? ジェイドはここで逃げるか?
逃げては、自分は強くなれないのではないか?
「……ハドリー殿、私は」
駄目だ、これは我が儘だ。
これを言ってはハドリーを巻き込む事に他ならない。
自分の探求する強さのために他人を巻き込むなど、言語道断。
スズカゼやゼルが、ジェイドが、そんな事をしているはずがないではないか。
「行きましょう、ハドリー殿。殿は私が勤めます」
じりじりと化け物から距離を取りながら。
デイジーはハドリーを先に進ませ、自身は殿を勤める。
その方向が救援から遠ざかっているとも知らずに、じりじりとーーー……。
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