錠を解く鍵
「えーと、その、スズカゼ嬢」
「何でしょうか」
「……正気ですかな?」
「無論です」
オクスの手には随分と太い、通常の物より二倍ほどある縄を手にしていた。
その縄の先には凹凸のない少女の身体が二重三重四重五重に巻かれている。
脇腹から腰元に掛けて縄を纏った少女はその手に太刀を持ちながら、自信満々な様子で胸を張った。
縄の巻き筋以外に突起のない胸を。
「私が言うのもなんですけど、この人かなりアレですのでぇ」
「さ、サラ・リリエントと申したか。貴殿の主は、その、何と言うか……、アレだな」
「私は会った瞬間にお尻触られたでス。アレな上にアレですヨ」
「アレなのか……」
時を巻き戻り、まぁ、巻き戻す必要な無いだろうが敢えて巻き戻すとして。
ほんの数十分前、スズカゼとオクスがサラ達に合流した時。
彼女達は少しの自己紹介を経て現状を説明し、ハドリーとデイジーを救出する為の計画を立てるよう提案した。
とは言え、あの巨体に挑んで彼女達に危害を加えないよう注意し、救出するなど不可能な話だろう。
故に彼女等は深く頭を悩ませ、少女の行った提案に賛同するまで口を噤んでいた。
そう、私が乗り込みますと自信満々に少女が述べるまで誰一人として口を開けなかったのである。
して、時は戻って現在。
少女が自信満々に述べた策を決行する直前である現在まで時は戻る。
「まず私が奴の口内に侵入します。それでハドリーさん達を発見したら縄を引きますんで、そっちから引っ張ってください。口内が閉じられてたら私が中からぶすり! 奴は間違いなく痛みで口を開けるでしょう」
「いや、あの」
「大丈夫。レンさんが取り扱ってるこの縄、かなりの長さがありますし問題はないですよ!」
スズカゼはそう言うと他の面々が気まずそうに制止するのも聞かず、水面の近くへと歩んでいく。
自信満々なその姿は白黒の騎士と銃の騎士と獣人の商業人からある言葉を奪ってしまう。
彼女達は自身の持つ懸念を口に出来ずに、ただ頬に汗を流すばかりだった。
「それじゃ、行ってきます」
少女は太刀を肩に担ぎ、水面の側に立つ。
蒼き空は蒼快の海にその姿を映し、反した映し身のまま静寂を護る。
静寂こそが正しき姿だと言わんばかりに、その水面は波紋の一つすら起こさない。
「出て来い、竜」
彼女の言葉は、静寂を護る水面を破く事はない。
一風となって吹き荒ぶ言葉は波紋すら生めずに空へと消えていった。
「……」
どうやら、竜は自身の言葉に答えるつもりなど無いらしい。
成る程、それならば良い。そうならば良い。
静寂の中に隠れて出て来ないのならば、それまでの事。
ならば取る手は一つ。
「引き摺り出す」
この水面に自身が親近感を覚えた理由は幾つかあるのだろう。
だが、その中でも容易く想像出来ることが一つある。
聞けばあの竜は精霊だと言うではないか。成る程、ならば自分が親近感を感じるのも道理。
この海にも魔力が含まれているのなら、親近感を感じるのは道理。
魔力があるのなら、それで良い。
「すぅーーーーー……」
自分の身体は、半分ほど魔力で構成されている。
過度の魔力は自身を蝕みやがてその身を精霊と化す病、[霊魂化]。
それがこの世界に来た自分に化せられた十字架だ。余りに重い十字架だ。
然れど、それがどうした。高が十字架程度がどうしたと言うのだ。
十字架など、魔炎で焼き尽くすには余りに脆すぎる。
〔嗚呼、灯き日よ、暗き月よ。嗚呼、紅き火よ、黒き憑よ。溶けて混ざれ。解けて魔ざれ。融解せよ、結回せよ。境界を解き払い、狭界を溶き祓え。異なる双対の存在を無二の焔とせん〕
詠唱だった。
上級魔術や上級魔法に用いられる、詠唱。
それを彼女が意識して使用したのかどうかは解らない。
精霊という一点に置いて共通する、同質の魔力。
その魔力が今、彼女の眼前に悠々と広がっているのだ。
それは言い換えれば、自身と同質の魔力が悠々と広がっている事に変わりない。
即ち、それは、その全てが自身の魔力として変換できる事を指す。
〔天陰・地陽〕
謂わば、解錠。
鍵穴に鍵を差し込み、そして回す。
たったそれだけの行為。少女が行ったのも、それだけの行為だった。
静寂の水面という錠に魔炎の太刀という鍵を差し込んだだけの、たったそれだけの行為。
静寂を切り刻み、水面を焼き尽くす、魔炎の焔。
「こんな、事が」
水柱などではない。文字通り、海は[解錠]された。
数多の飛沫を被りながら、オクスは眼を剥いていた。
こんな馬鹿な話があるか、と。こんな有り得ない話があるか、と。
「噂には聞いていた……。型破りに肉を付けたような少女であると……。だが、これ程とは。これ程とは思わなかった」
小手先の技術ではなく、魔術や魔法でもなく。
ただ純粋な魔力の一撃。万物を屠る、魔力の一撃。
静寂の水面を容易く切り裂き、その主を引き摺り出す一撃。
有り得て良いはずがない、あんな一撃が。
「じゃ、ちょいと行ってきます」
少女はにこやかに手を振り上げ、竜の牙の隙間に消える。
轟音と共に抉れた大地には竜の顎が突き刺さっていた。
竜は他の有象無象には目もくれず、ただ自らの住処を荒らした少女を呑み込み、再び荒れ狂う海へと姿を消していった。
「……私は今、驚愕している。あの竜が釣られた事に、ではない。あの少女が放った一撃に、だ」
オクスの言葉に同調するように、他の面々は驚愕の意味も込めて頷きを見せた。
サラの知る少女は、決してあんな一撃を撃たない、撃つはずがない。
レンの知る少女はあんな武器を翳したりはしない。あんな一撃を有さない。
治療のために姿を消した数週間、或いは別荘に住み始めてからの間。
少女にいったい、何があったというのか。
「と、取り敢えず私達は待機ですわね。中のスズカゼさんが縄を引っ張るのを待つだけ……、なんですけれども」
皆が視界を向けた先に転がる、すっぱりと千切れた縄の断面。
オクスは試しに引いてみるが、まぁ、当然のこと引っ張れるのは空気のみである。
「……だと思ってましタ」
「まぁ、当然だな……」
読んでいただきありがとうございました




