水面を切り裂く憤怒の斬撃
「ッ……!!」
白黒の斑を纏った騎士は奥歯を噛み締め、全身の速度を急激に制止させた。
地球上の重力を全身で受け止めるが如く大地を穿ち、彼女は全力で停止した。
二人の生命を呑み込んだ[竜]は停止した彼女を巨大な眼球で一瞥し、まるで興味が無いかのように頭を上げる。
巨大な岩石が空中に浮くかのように轟音を轟かせ、その頭は再び天高く影を作り出した。
「間に合わなかったか……!」
白黒の騎士、オクス・バーム。
彼女は現状をより的確に、冷静に判断していた。
あの[竜]は最上級精霊の[精霊竜・シルセスティア]。海を司る、精霊の最上級格だ。
あの竜が如き姿は伊達ではなく[精霊山・ザガンノルド]と同様に比類無き圧倒さを持つ。
一国すら潰す事が可能な、余りに圧倒的な存在。
「どうすべきだっ……!」
竜の鱗は刃を弾き、弾丸を防ぐ。
正直言えば、喰われた時点で諦めるべきだ。
だが、目の前で人が死ぬのを見過ごせるほど自分は腐っていない。
腐ってはいない。腐ってはいないが、不可能を可能に出来るほどではない事も理解している。
「この状況を、どうすべきだと言うのだ……」
不可能だ。
奴の口内に入った時点で彼女達の死は確定している。
自分が礼儀正しい挨拶などする前に注意すべきだった、自分がここに来た理由を。何と愚かな事か。自分の愚行のせいで、彼女達をーーー……。
「ちょいと肩、お借りします」
オクスの肩に走る、凄まじい衝撃。
それは間違いなく[ちょいと]等という物ではなかったが、彼女からすればそんな事はどうでも良かった。
肩を踏み台にした人物の跳躍は、浮き上がった岩石など軽く超えるかのように。
紅蓮の尾を引き、殺意の刃を振り翳す。
「なぁ、お前が喰うて良ぇモンちゃうやろ?」
豪炎を刃に纏い、殺意を眼光に宿し。
竜の巨大な眼に映る少女は一切の躊躇無く、その紅蓮を振り抜いた。
「吐けぇや」
竜の視界を覆い尽くす紅蓮の一閃。
水は火に強いなどという摂理を容易く切り裂く、その一撃。
竜は咄嗟に身を引いたが、その巨体が素早く動けるはずもなく。
眼球を焼き切る、紅蓮の一撃が視界を断す。
「待たれよ」
然れど、その一撃は竜の眼球を切り裂く事はない。
直前で大斧により弾き飛ばされ、切っ先は水面に向いたのである。
弾かれた少女の視界に映ったのは白黒の斑と豊満な胸。
そして、険しくも困惑に染まった眼光を浮かべるオクスの姿だった。
「ーーーーーーぐッッ!!」
斬撃を急に止めては全身に急激な負担が掛かる。
故に彼女は水面へと刀を振り抜いた。何も無い、敢えて言うなれば遙か彼方にある水面へと刀を振り抜いたのだ。
斬撃は空を斬り、そして、水面を斬る。
眼下に広がる、果て無き水面を、斬り裂いたのだ。
「御免」
オクスはその水面を視界に映してから思考するよりも前に、まずスズカゼを地面へと移動させた。
彼女達が地に降り立った時には既に、竜はその姿を消していた。
最上級精霊であるシルセスティアをも警戒させる一撃。
それを、この少女は放ったのだ。
「……何するんですか。オクスさん」
当の少女はそんな事を気にも留めず、ただ自身を標的より引き離したオクスへ憤怒の眼光を向けていた。
当然だろう。自身は仲間を救おうとしたのに、それを止められたのだから。
「落ち着かれよ、スズカゼ・クレハ嬢」
「落ち着けますか! ハドリーさんとデイジーさんが喰われたんですよ!?」
「だからでしょう。もし貴殿が貴奴の眼を裂いていれば口の中に居る彼女達は微塵に食い潰されていたでしょうな」
「何っ……!」
「痛覚を感じた生物は歯を食いしばる事によりその苦痛を遮断しようと試みる。[丸呑み]にされた彼女達が居る口内で歯を食いしばられたりなどしたら……、どうなるか解らない訳ではあるまい」
「ま、丸呑みぃ? 食べられたんじゃ」
「貴殿は食事の時に目にも見えないような塵が口に入ったとして、それを噛むか?」
「え、あ……」
だとすれば、あの竜はハドリーとデイジーではなく大地を喰ったとでも言うのか?
確かに奴が喰った場の大地は大きく抉れている。大地を喰ったと言われれば、まぁ、信じれないでもない。
だが、それを決めつけるのは早計だろう。大地を喰いたいのならばもっと別の場所を喰えば良いはずだ。
態々、塵のある場所を食う必要など無いはずだろう。
「言わんとする事は解る。だが、奴は大地を喰っている訳ではない。魔力を喰っているのだ」
「魔力?」
「魔力は自然より産まれ、自然に還る。その一部である大地を喰う際により魔力がある部分を喰らったのだろう」
「あぁ、だから……」
いや、待て。
ハドリーは獣人だ。魔力を持たない。
デイジーは人間だ。しかし、魔法や魔術は使えないはず。
微塵も魔力が無いなんて事はないと思うが、それでも自分とオクスを無視して喰らうほど魔力を有しているとは思えない。
「スズカゼ殿、貴殿の仲間は彼女達だけか?」
「え、あ、いえ……。他にも居ます」
「そうか。では、まずその者達と合流しよう。多少は策が練れるはずだ」
「りょ、了解しました……」
いや、今は考えても仕方あるまい。
重要なのは[精霊竜・シルセスティア]が何を喰い、何に興味があったのかではなく、ハドリーとデイジーを救う事である。
彼女達をあの竜の腹から捌き出さなければならない。
まずはその為に動くべきだ。それしか、ない。
その為には如何なる人物の手でも借りよう。例え、会ったばかりの人物の手だったとしても。
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