騎士団長と騎士と漆黒と暇人と
「……ん、来たか」
一階で安い珈琲を飲んでいた男は、女性の到来に視線を向けた。
その女性は室内だと言うのに軽甲を纏っており、顔を見られたくないかのように深く下げている。
まぁ、先程のような事があったし仕方ないか、と男は再び珈琲を呷った。
「まぁ、座れ。話がある」
男はそんな女性に席を顎で示し、彼女はそんな彼の指示通り席に着く。
部屋の中に彼等以外の姿はない。事前に人払いされていたからか、まだ日の低い内だからかは解らない。
それでも今、自分達を包んでいるのが静寂だけだという事は確かだった。
彼女はその空気を何処か痛々しく感じながら、席へと軽く腰掛ける。
「あの、団長。先程は……」
「別に乳臭い餓鬼なんぞに興味はねぇよ。いや、ウジウジ悩んでる小娘に興味はねぇ、って言った方が良いか」
「そ、それは、あの」
「デイジー。まぁ、お前の事だ。サラみたくさっさと割り切りゃ良いことをいつまでも悩んでんだろう」
デイジーは彼の、ゼルの言葉を受けて先程とは違う意味で顔を伏せた。
図星だ。自分はサラみたく割り切れない。ずっと悩んでいる。
きっと団長はそれを見抜いたのだろう。いや、見抜かれて当然か。
彼の観察眼はリドラとは別の意味で長けているのだから。
「実力ってのは時にどうしようもなく無慈悲なモンだ。努力も運も知識も、何もかも軽く潰しちまう。四天災者なんざ良い例だろ」
「そ、それは解っていますが……」
「ん、口だけでもそう言えるなら上等だ。じゃ、お前帰れ」
「……はい?」
「帰れ。サウズ王国に」
彼の言葉を受けてデイジーは思わず立ち上がっていた。
帰れ、とはどういう事だ? 実力すら足りない自分は居る価値もないという事だろうか?
もしそう言われれば返す言葉など無いが、そう言われたとは信じたくない。
愚直なまでに従う事こそが自身の取り柄だと言うのに、それすら奪われてしまってはどうしようもないからだ。
どうしようも、ない。
「何か勘違いしてるみたいだから言っとくが、別に帰還命令とかじゃねェぞ? 俺が言ってんのは騎士団の様子見てこい、って事だよ」
「へ? あ、はい。そうでしたか……」
恥ずかしい勘違いをして一人で悩む、と。
どうにも今日は恥ずかしい恰好ばかり晒しているような気がする。
こんな日はサウズ王国第一街にあるお気に入りの喫茶店ローティで気分転換でもすべきなのだが、今はそうも言っていられないだろう。
そもそもあの店には滅多に行けない。資金的な意味で。
だからこそ気分転換になるのだが、話せば長くなるので考えるのはここらで止めておこう。
「長らく空けてるからなぁ。あの馬鹿共が怠けてねぇか心配でよ」
「み、皆は真面目だし心配ないかと思いますが」
「真面目ってのはな、監督役が居なけりゃ酒飲むわ盤遊戯に興じるわ無断欠勤するわの馬鹿共じゃない奴のことを言うんだ。本当はバルドにでも任せたかったんだが、アイツは王城守護部隊の叩き直しで手一杯なんだとよ」
「そ、そうですか……」
「一応の監督役は招いてるんだが、連中は外部の人間だしなぁ。友好の証だか何だか知らねぇが利用しやがって……」
ブツブツと愚痴る彼の言尻が最後まで聞き取れる事は無かった。
何やらとんでもなく不穏な言葉が聞こえた気がするが、気のせいではないはずだ。
自分をそんな不穏な地に放り込もうとしているのだから、この人も相当アレではないのだろうか。
「……では、サラと共に一時帰還せよ、と? ご命令でしたら従いますが」
「いや、スズカゼも連れてけ。ある意味じゃアイツも必要だ。体、鈍ってるだろうしな」
「い、嫌です」
「連れてけ、命令だ」
「嫌です。命令違反させてください!!」
「無理。お腹痛いの、俺」
「胃の間違いでしょう!!」
「態とだよ! 現実見たくねぇの!!」
ぎゃあぎゃあと喚く彼等の会話を壁際から眺める、一人の男。
ボロ布を纏った彼は全身を海水で濡らしながら怯えていた。
いや、怯えている、というのは非常に的確な表現なのだが、さらに挙動不審という言葉を付け足すべきか。
「何をしている」
と、その挙動不審な男の肩を叩く漆黒の爪。
彼はその腕に弾かれたかのように数メートル近く尻を突いて後退り、声にならない悲鳴を叫んでいた。
尤も、まぁ、声になっていないのだから叫ぶという表現はどうかと思うが。
「ジェ、ジェイドか……。吃驚させんなよ」
「帰って来ていたのだな、メタル。と言うか今帰って来たのだな」
「いや、危うく未知の大陸に辿り着くかと思ったわ。海獣にも何回喰われ掛けたか」
そう呟く男の衣服には、確かに生物の歯形が付いていた。
生物と言うよりは確かに海獣と言った方が良いような、巨大で鋭利な歯形が。
この歯形を見る限りこの近海に現れるザッパードという海獣より凶暴なそれなはずだが、よく生き残れた物だ。
「全く、心配させてくれた物だ。貴様が居ないから例の人物の所から帰って来たとき、焦ったぞ」
「え? ジェイド、そんなに俺のこと心配してくれてたの? いやぁ、嬉しいなぁ! もう最近は散々だったし俺のこと心配してくれるような奴なんて殆ど居ないし海に飛び込んだ後は数日ぐらいで力尽きそうになるし未開の部族が乗った漁船に襲われて捕らえられて変な儀式の生け贄にさせられそうになるしどうにか脱出したら力認められて異族の英雄とか言って崇められるし逃げようとしたら部族の娘差し出すとか言われるしそれでも逃げたら部族から奴は異族の神使だったのだろうとか言われるし海に飛び込んだ後に速効で海獣に襲われるし……、帰って来たら何か真面目な空気だし!!」
「そうか。色々と言いたい事はあるが、海獣に襲われたことだけを抜粋した理由を教えてくれ」
「怖かったんだぞ!」
「それで未開の部族云々を省く理由がイマイチ解らんな。と言うかよく言葉が解ったな……。いや、それ以前によく生きて帰って来たと言うべきか。俺は嬉しいぞ」
「じぇ、じぇいどぉおおおお……!」
「俺が殺せないからな」
「え」
黄金の隻眼光を唸らせながら刀剣を引き抜くジェイド。
自分が逃げた事により彼がどんな目に遭ったのかを察したメタル。
彼等二人は一瞬だけ静止の中に身を置き、やがて互いに動き出す。
「だから私は!! ……何だか外が騒がしいですね」
「気のせいだろ」
無論、ゼルがこれを知りながらも無視した事は言うまでもない。
また、結局デイジーが団長命令に逆らえなかった事も同様に言うまでもないだろう。
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