真っ二つの紅
《森の魔女の家》
「……ん、これで良し。傷は完治したわ」
「ありがとうございました、イトーさん。何で胸揉まれてるのか知りませんけど」
壁、基、少女の小さな胸から手を放したイトーは手元の包帯を纏めて塵箱へと放り込む。
血すら滲んでいない包帯はほぼ新品同様で、巻いてた意味があるかどうか怪しい所だろう。
尤も、そんな事は治療したイトー本人が一番解っているはずだ。
「素振りも軽い運動もOK! と言うか普通にいつもの訓練しても大丈夫よ。戦闘も問題無いでしょうし」
「いやぁ、はっはっは。流石に暫くは戦闘もない事を願いたいですけど。そうもいかないですよねぇ」
いかせない、の間違いじゃないの? という言葉をイトーは呑み込んだ。
言葉を聞く限り、ある程度は赤色の下地も収まったようだ。
だが、そんな物は一時しのぎの代物でしかない。謂わば常に湧き出す泉の上に薄い布を張ったような物だろう。
やがて増える水に突き破られるか溢れ出すかは解りきった事でしかない。
敢えて望みを掛けるなら、湧き出す元栓が圧力で割れる事ぐらいだろうか。
尤も、それは有り得ない事だというのも、解りきっている話だ。
「そう言えば紋章の研究はどうなったんですか? リドラさん、目の下が真っ黒でしたけど」
「まぁー……、進展はあったと言えるし無かったとも言えるわね」
「それは、どういう?」
「実質的な成分は解析不可能。仮説は幾つか立てたけど、初期のリドラが立てた仮説を超える物は無かったわ」
「えーっと、それってつまり」
「お手上げね。結局、ちょっとした仮定とちょっとした成分しか解析できなかったわ」
「それでも結構凄いんじゃないですか? だって何も解らない状態から……」
「どうだかねー。四天災者に最高峰レベルの研究者に協力して貰ってもこの結果だから、正直肩落ち物よ」
「ま、まぁ、そう言わずに」
「殆ど解析できなかったのは事実だしぃー」
嘘だ。
殆ど解析できなかった? そんなはずがあるか。
自分だけなら有り得た結果かも知れない。だが、この仮定は無意味その物である。
当然だろう。今回の解析に協力したのは世界でも指折りだとしてもおかしくない[鑑定士]と魔力関係の最高峰である四天災者[魔創]なのだから。
自身の知識量と合わせれば正直な所、この世に解析できない物はないと言い切れる。
今回の紋章についてもそうだった。解析出来た、分析できた。
理解だけは、出来なかった。
「ま、あの紋章は残骸ってのは間違いないわ。謂わば絞りカスよ」
「絞りカスぅ? 何を絞ったんです?」
「さー? その内解るんじゃない?」
「えらい適当ですね」
「人生適当の方が楽って再確認したわ」
「あ、それは同意です」
スズカゼは上着を羽織り直し、魔炎の太刀を腰元に据える。
前に決めていた通り、傷も完治したのでこの太刀を手に取ったのだ。
幾度となく世話になった武器。思えばベルルーク国を訪れた以来から使い続けているのだから、かなり長い間使ってきた事になるだろう。
経歴からすれば最も始めはベルルーク国で砂漠より押し寄せるアルカーという化け物を全滅させた事だろう。
次は貴族の宴に誘われたときに。あの時は死にかけて今と同じくイトーの世話になったが、この武器が無ければここに辿り着くのは首と胴の別れた死体だったかも知れない。
次はトレア王国、シルカード王国、ギルドだ。この三つでも様々な騒動が巻き起こり、自分は巻き込まれてきた。
言葉にすれば短い物だが、感じてきた時間は余りに長い。
そうだ。今度、もしベルルークに行くような事があればイーグに礼を言おう。
彼の創ってくれた[魔炎の太刀]の御陰でここまで生き延びて来たのだ。この紅蓮の刃が何度、私の命を救ってくれた事だろう。
この道具はこれからもきっと自分を救ってくれる。自分の体も大事だが、この太刀も大事にしパキンッいと……。
「ちょっと待ってパキンって何」
「あ、折れてる」
「えぇええええええええええええあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッ!?」
鞘の中から抜けたのは半分しかない紅蓮の刃だった。
元からそこで途切れていたのではないかと言うほどポッキリと綺麗に。
割れ目など最早、芸術的なほどに美しい。いや、そんな事はどうでも良いが折れている事が問題なのだ。
「え、あ、あはっ?」
「落ち着きなさい。鎮静剤打つわよ」
「何でだぁああああああああああああああああああああああ!! いや、もう限界だった!? そんな馬鹿なぁあああああああああああああああ!!」
「短期間に集中して使えばそうなるわよ。それに、かなり無茶させてたんじゃないの? 魔力で創られてる剣なんだから大量の魔力を通わせたとか」
「大量の魔力?」
思い当たる節の数々。
魔力を一気に撃ち放ったあの一撃……、と言うか何発撃ったっけ。
何にせよあの一撃か、あの一撃が原因なのか。
「魔力で創られてる物に異物を混入させれば当然そうなるわね。当初はそれを考慮した空白を用意していたようだけれど、軽く容量超えたみたい」
「やっちまった……」
どうしようか、どうしようか。
イーグに礼をして参るどころか、お礼参りをされかねない。
物理的に蒸発してしまう。豪炎の中で溺れる事になってしまう。
「ど、どうしましょうか。どうしよう、これ」
「んー、直しましょうか?」
「マジでぇ!?」
「可能よ。魔力で構成されてるんだし元型は壊れてないからメイアたんに頼めば大丈夫じゃない? 四天災者の魔力で創られてるんだから同じ四天災者に頼めば可能なはずよ」
「っしゃァ! ちょっと頼んできます!!」
少女は椅子を飛び越えて凄まじい速度で退室していく。
その姿たるや、つい数週間前までは死にかけの瀕死体だったとは思えないほどの軽快さである。
元気に掛けては間違いなく一級品ね、とイトーは軽く顎を引いた。
「……はぁ」
その元気がいつまで続くのだろう。いつまで保つのだろう。
これから彼女を迎える数多の激動は彼女の元気をいつまで生かすのだろう。
それはきっと、有り得ない方が良いのだろう。有り得てはいけないのだろう。
けれど、それは無い。有り得てしまうのだ、これは。
あの紋章の正体を知っていれば、必然的にーーー……。
「そう遠くない未来に、ね」
読んでいただきありがとうございました




