恐怖で死す虫と秘す女王
「よく気付いたわね、そんなこと」
「ほぼ偶然だ。仮定に仮定を重ねて仮定を生み出した仮定の結果が、この仮定だ」
「仮定仮定うるさいわよ」
「いや、事実なのだから仕方あるまい」
ここまでの理論を用いた上で、リドラは仮定という姿勢を崩さなかった。
辻褄の合い方からすれば正解だと思われるが、彼からすれば絶対的な確証がない時点で仮定と何ら変わらないのだろう。
少しばかり慎重すぎる気もするが、研究者など所詮はこんな物なのかも知れない。
「それでもここまで持って行けただけで充分よ。流石ね、リドラ」
「いえ、私の理論はイトー殿の実験ありきの物です。対象に衝撃を与えるなどという思い切りは私にはありませんので」
「もっと崇め称えても良いわよ。……まぁ、それにしてもシーシャ国の紋章とは計算外だったわ。引き籠もりってこういう外部情報が絡むと弱いのよね」
「だったら外に出てくれば良いのに。今なら有能な助手と公爵位も付けるわよ」
「メイアたんが一夜を共にして毎日百人の美女を囲めるなら考えるわ」
「国家転覆級の暴動でも起こす気?」
下らない会話を隣に、リドラは気を取り直すべく一度咳払いを行った。
その咳払いは狙い通りに二人の会話を止めたが、同時に視線を集めてしまう。
彼は四天災者と変態の視線に少なからず動揺してしまうものの、気を取り直すべく猫背を微かながらに伸ばして胸を張った。
「ともかく、私の仮説は恐らく現在では最も有力と思われます。差し当たってこの仮説を確固たる物にする為にはシーシャ国への調査に向かわせていただきたい。無論、護衛も付けなければなりませんがこれはデイジーやサラと言った一般兵に任せます。ですが、私がこの実地調査を行う上でメイア女王に取りたい確認は人選云々ではない」
「……何かしら」
「この紋章を何処で手に入れたのですか」
彼の質問が生んだのは静寂と緊迫だった。
だが、そんな事は問いを行ったリドラ自身が覚悟していた事だ。
今、自分はメイア女王の禁止領域へ踏み込もうとしているのだから。
彼女は一度たりともこの紋章を何があり、何処で手に入れ、どうして持ってきたのかを言わなかった。
命令とあらば解析するのが[鑑定士]としての仕事だが、その過程で入手場所の情報が必要となるのは当然だろう。
尤も、その必要な情報が最高に危険な禁止領域にあるというのに取りに行く辺り、自分は如何に無謀かを再認識しざるを得ない所だが。
「……そうね」
メイア女王は小さくため息混じりに呟いた。
端から見れば下らない隠し事を止めた女性の麗しき姿にも見えるだろう。
だが、その麗しき女性の真正面に立っている猫背の男は全身に鳥肌を立たせ、奥歯を恐れで打ち鳴らしていた。
これが、こんな物がため息か、と。
同時に彼は脳裏の元である話を思い出していた。嘗てゼルが遠征より帰還したときに何気なく話して居た話を。
ーーーーー見世物小屋があったんだよ。
彼は確かにそう言った。あった、と。
ーーーーーある青年が世にも珍しい虫を手に入れたらしくて、それを見世物にしていたんだ。
リドラは当然のように、どんな昆虫だったのか? 色は、体躯は、鳴き声はと問いを重ねた。
しかし、当の目撃者から帰って来た答えは。
ーーーーー死んだらしいぜ、その虫。
ただそう呟いて、その話は終わりを迎えたのだった。
「同じだ……」
虫からすれば人間は如何に巨大で凶悪に見えるだろう。
況してや巨大で凶悪な存在に捉えられ、数多ある巨悪の眼光に晒された虫が感じた恐怖は如何ほどの物だったのだろう。
それは間違いなく、死に至る恐怖だ。自ら死を選ぶほどの、恐怖だ。
「言えないわ」
だが、結局の所、帰ってくる答えは同様でしかない。
言えない、と。単純に拒否の回答。
本来ならばリドラもここで追求を諦めただろう。
女王たるメイアの口から言えないという言葉が出たのだ。ならば自分は聞かないという行為を持って応えるべきである。
だが、今回ばかりはそうもいかない。
彼女からの証言を手に入れなければ研究の行く末に亀裂を走らせるかも知れないのだから。
元がシーシャ国の物だという仮説は立てられた。だが、それがシーシャ国で手に入れられた物かどうかは解らない。
もしその手に入れた場所が答えに繋がるのならば聞かない手は無いだろう。
「しかし、女王」
「言えないなら良いじゃない」
結局、リドラの追求は変態の制止によって終わりを告げる。
イトーも研究者だ。いや、リドラよりも相当上手の上級者だ。
ならば実験対象の入手場所の重要性が解らないはずがない。
だと言うのに、こんなにも容易く諦めても良いのだろうか?
自身ならともかく、イトーならばさらに追求する事も難しくないだろうに。
「確かに現地調査は必須だけれどね。リドラ、貴方ちょっと研究に熱中しすぎて本職忘れてない? [鑑定士]なら鑑定するだけで良いの。解明は必要無いわ」
「……それは、そうだが」
「ま、メイアたんが隠すなんて余程の事でしょうしね。ここに持ってくる時点で解ってた事だけど」
彼女はリドラの手元に研究資料である童話集を押し返し、紋章の入った木箱の前に腰掛けた。
彼女が背を向けてこちらを振り返らないのは、早く実験を開始しようという意思表示と共に、話題を終了しろという意味もあるのだろう。
どうやら、大方ながらにイトーはメイアが黙秘する理由を感じ取ったらしい。
それを感じ取った上で、彼女も黙秘しているという事はーーー……。
「何故……、いや、何が……?」
彼の問いに答える者は誰一人として居ない。
いや、皆の沈黙こそが答えなのだろう。
答えることが出来ない答え。あってはいけない答え。
「……っ」
虫は恐怖で死んだ。
ならば自分は不可解で死ぬのか?
否だ。自分は虫ほど小さな頭をしていない。
だが、自分が小川で決意したのと同様に、真実はいつか必ず明るみに出る。
「……はぁ」
その時、如何なる真実が出るかは解らない。
それでも、まぁーーー……、女王に忠誠を誓う期間としては問題無いだろう。
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