紋章の正体
「ふぁあ……」
少女はベッドの毛布を剥ぎ取り、天井へと大きく腕を伸ばす。
胸の上で転がる卵の温もりが心地よく感じるだけあって、傷は完治している。
いや、完治していたと言うべきだろう。何せメイアとの語らいから既に一週間、総計で二週間経過しているのだから。
「傷の具合はどう?」
「完璧ですね、そろそろ素振り再開しても良いかも……。ってかもう普通に入ってきてますね、寝床に」
「メイアたんの所に入れれば、と思うんだけど。入ったら殺されるし……、洒落抜きで」
「そりゃそうでしょうけども。……うーん、傷は完璧に治ってるんですけどねぇ。駄目ですか、訓練」
「だぁーめっ。夜の訓練ならOKよ」
「よっしゃ、夜に素振りしますね」
「そっちじゃない」
いつも通りの下らない漫才を繰り広げ、スズカゼはベッドから飛び出る。
その小脇に卵を抱えながら、扉へと歩みを向けたのだ。
イトーはいつも通り特に気に掛ける事もないかと自分もベッドから出たが、彼女の小脇にある卵が視線を引いた。
「動いてない? 卵」
「え?」
スズカゼは卵を顔の前に掲げてみせる。
確かに前よりも躍動感が増しているような……、最近、毎夜抱いて寝ていたのだ良かったのだろうか?
抱いて寝たと呟いた瞬間にイトーが目を輝かせたが放っておくとして、さて、そうなればそろそろこの卵が孵るかも知れない。
何が生まれるかは解らないが名前を考えておくべきだろうか。
「太郎……? いや、ねぇな」
「何の話か解らないけどそんな在り来たりな名前はないわね」
「そりゃそうですけども。……にしても、これ何の卵か解らないんですよね?」
「解らないわね。そもそもロドリス地方からあの馬鹿が拾ってきた物だから何が何だか……」
「ロドリス地方ですか。行ったこと無いなぁ」
「今度、暇があれば行ってみると良いわ。何の準備もなく行くと三秒ぐらいで死ぬから」
「何をさらっとトンデモない所勧めてるんですか。と言うかそこで卵拾ってきたメタルさんって何者……」
「まぁ、あの馬鹿だし。それより今日はリドラと紋章について専念するから治療は無しね。でも素振りとかの運動は駄目! 卵抱えてゆっくりしてなさい」
「卵抱えてゆっくり、かぁ。暇が加速するぜ、ですね……」
「加速しちゃ駄目でしょ。するでしょうけど。まぁ、今日はゆっくりね」
イトーは卵を抱えた少女の脇下を通って木扉を押す。
その際に脇腹をなぞっていったのは間違いなく故意だろう。
スズカゼは気抜けた声を上げながら体をくねらせ、危うく卵を落としそうになった。
「あの変態め……」
普段、自分が同じ事をしているという事実には思考が至らない彼女。
もしこの場にゼルかリドラかジェイドが居れば、お前が言うなと言っていただろう。間違いなく、だ。
「で、今日の研究だけどメイアたんに協力して貰おうと思います」
所変わってイトーの研究室である奥の部屋。
真っ白な薄衣を纏った小娘は女性の尻に頬を擦り寄せながら、そう述べた。
猫背の男はもう慣れたと言わんばかりに無表情を保ち、女性はもう無駄だと言わんばかりにげっそりとした表情を貫いている。
「で、何を協力していただくのだ?」
「前に紋章へと火炎を与えた時、反応があったでしょう? アレの強化版をやろうと思うのよ」
「ふむ、確かにより強い反応が出るだろうが……。その前に一つ良いか?」
リドラはイトーとメイアの前に、ある一冊の本を差し出した。
彼が自ら著したその本の題名は[童話研究]。恐らく本その物の題名ではなく、分別のために付けられた名前だろう。
イトーはそれを受け取るなり栞の挟んであったページを開き、大雑把に目を通す。
「童話、ねぇ」
「その中の[5つの宝石]という項目を見て欲しい」
イトーとメイアは互いに頬を擦り寄せ、と言うかイトーから一方的に擦り寄せて同じ項目に目を通す。
その中の一説に、こういう文節があった。
[少年はある国で生まれた。決して大きくない小さな小さな国で。その国は神様を信じていて、神様の持ってきたとされる5つの宝石を崇めていた]と。
メイアはその文節を見ても童話の一節にしか見えず、軽く小首を傾げるだけで終わった。
だが、イトーは違う。彼女はその一節を見るなり眉根を寄せて微かに口端を結んだのである。
「神様、ね」
「この文節が出た時点で5つの宝石はその小さな国より紛失している。少年はこの後、世界の異変を収めるには5つの宝石が必要だとある老人から聞くそうだが……。ここは重要ではない」
「重要なのは神様、って点かしら? 小さな国にあった5つの宝石。そして神様という文字。神様と言えば有名な童話には」
「[ツキガミ様]という命を創り死を創った神様の話がある、という訳だな。だが、まだ私の理論は続く」
リドラはイトーの手から本を下げ、そのまま数十ページを捲り続ける。
やがて彼の手が止まり、再びイトーの元に渡された童話集が指し示す話は[ツキガミ様]だった。
「ツキガミを崇めるのは北の大国、スノウフ国が主だが……、[5つの宝石]を見るに少年の出身国はどう見ても北部ではないのだ。さらにその話、[ツキガミ様]を見て欲しいのだが……、一節には雪国と出ているが、それだけだ。北国で発祥した物語ならば何故[雪]や[寒い]などの単語が殆ど出て来ない?」
「こちらの国に流れてくる時点で削れたのでないかしら? 所詮は口伝てでしょう。その国に合わせて削れたとしてもおかしくはないわよ」
「その通りです、メイア女王。ですが、それは裏を返せば伝える人間が居てこその話。我が国に宗教という概念は殆どありません。確かにスノウフ国の国教、フェアリ教徒の物も皆無ではありませんが……、何か思い当たりませんか?」
「何か、って何よ」
「我が国の分国領で唯一、フェアリ教を信仰していた国があるのです」
「……どういう事? そんな国、覚えがないんだけれど」
「でしょうな。何せ大戦前に潰れた、スノウフ国との境目にある国です」
「境目……?」
サウズ王国とスノウフ国の境目にある滅国。
メイアはそこまで思い出した時点である出来事を思い出した。
嘗てスズカゼ・クレハ一同に向かわせた滅国跡地。ギルドの介入によって収束したものの、スノウフ国の一同と衝突した事のある土地。
「シーシャ国……!」
「そうです。この国は嘗てフェアリ教を信仰していたと思われる。故に私はこの国の国紋を調べ直しました。……結果」
リドラは一枚の紙を差し出し、そこにシーシャ国の国紋を書き込んでいく。
薄い線で描かれたその紋章の上に線が走り、やがて見覚えのある形を作り出した。
シーシャ国紋の五分の一、あの紋章の残骸と同じ絵柄を。
「あの紋章はシーシャ国の国紋に違いありません。……答えは、あの国にあるのです」
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