紋章を構成する物
「それで、用件は?」
メイアの二の腕にすり寄りながら、イトーは満面の笑みで問う。
到着してから既に数十分。彼女の行動だけでリドラとジェイドの胃はキリキリと痛み始めていた。
スズカゼはただ一人、イトーの出したクッキーをぼりぼりと貪っている。
受け身は良し。然れど向かい身はノーセンキューと呟きながら。
「リドラ」
「あ、あぁ。これだ」
リドラはメイアの指示により、足下の木箱を机上に乗せる。
端から見れば何の変哲もない、頭一つ分ほどの箱だ。ジェイドもスズカゼも大した違和感は覚えなかったが、イトーはその木箱を見るなり生塵でも見るような冷めた目付きとなった。
「勘違いならば、と思ったのだけれどね」
「残念ながらそんな事はないわ」
イトーの目付きを確認する事もなく、メイアは木箱の蓋に手を掛ける。
ゆっくりと確実な手付きで、言い換えればより慎重に。
彼女は蓋を持ち上げ、箱の隣に置いた。
そこから覗いたのは、まず白い布地。
中身を傷付けないための緩摩材となっているのだろう。尤も、注目すべきはそこではない。
中身だ、その守られている中身にこそ、注目すべきなのだ。
「何これ……」
スズカゼは呆気にとられ、拍子抜けの意味もあって椅子に腰を落とす。
だが、他の面々はその中身を凝視したまま動かず、言葉を失っていた。
ジェイドは黄金の隻眼を見開き、リドラは額から大粒の汗を流し、メイアは冷めた目付きでそれを見下ろし、イトーは苦々しい顔でそれを睨む。
皆の異常な反応を見れば、中身とやらが拍子抜けするような物ではないとスズカゼでも解る。
ただの、残骸にしか見えない、これが。
「えーっと、何の紋章ですか? これ。ボロボロですけど」
「何か、は解らない。ただ、何か、である事は間違いないだろう」
「リドラ、これは何だ? これは……、何だ」
ジェイドが感じたのは懐かしさだった。
恐怖でも悍ましさでもなく、懐かしさ。
幾多と嗅いだ、幾多と浴びた、幾多と斬った。
この、死の臭いは余りに懐かしい。
「ただの紋章にしては余りに異端過ぎる。何処の国の紋章か、何の紋章かは解らない。だが、異端であり紋章であり危険である事は確かだろう」
「たったそれだけしか解らないのか?」
「それだけ、とは言うがな。これでも研究資料を漁った結果だぞ。過去の物を漁って大国や何らかの宗教組織の物ではないと解った。と、なれば大戦時に乱立した国の物か、歴史に名すら上がらない組織の物だったかに限られる」
「いや、そんな有名でもない国か組織の紋章がこんなに異端異端言われるんですか?」
「見れば解るだろう、これは明らかな[異端]だ。……そうか、違和感を感じなかった理由はこれか。余りに慣れ親しんだ臭いだったから気付かなかったのだろう」
「ジェイドを連れてきて正解だったな。常人ならば見ただけで卒倒するほどの異臭だぞ」
「[見た]だけで卒倒するほどの[異臭]か」
「言葉の綾だ」
ため息混じりに言葉を交わす二人を他所に、イトーは木箱の中身を取り出して机の上に置く。
木箱に刻まれた魔封結界から抜け出たせいだろう。その[異臭]はより濃度を増し、遂にはスズカゼですら異変に感付くほどとなってしまった。
嘗て自分も沈んだ事のある、あの闇に近しい。いや、最早、それと同等なまでに酷い異臭だ。
彼女はその異臭に何処か懐かしさを感じながらも、余りに禍々しさに眉根を顰めて後退る。
「視線を逸らしては駄目よ、スズカゼ・クレハ。これは貴方にも少なからず関わってる事なんだから」
「え? 私?」
「関わってるって言うよりは同じって話でしょ。これ、魔力があるわ」
「魔力がある? ……それ程の異臭を放つ物ならば不思議ではないが、それがどうかしたのか?」
「だから言ってるじゃない。魔力で構成されてるのよ、これ」
「……魔力で構成だと?」
魔力。魔術や魔法を使う上で絶対的に必要な、人体及び自然物に宿る生命の力。
それで構成されているとなると、スズカゼの[魔炎の太刀]がそうだ。
嘗て西の大国ベルルークで四天災者[灼炎]ことイーグ・フェンリーによって創られたその太刀は全てが彼の魔力で構成されており、四天災者の一部と言っても良いほど強力な武器だ。
メイアの言う、スズカゼに関わっているとはそういう事だろうか?
だが、リドラのそんな思想を否定するかのように、メイアは[魔炎の太刀]を眺める少女の仕草を否定した。
「この紋章は何らかの鉱物と魔力で構成された、謂わば混合物質……。スズカゼ・クレハの体質に近い物よね?」
「その通りよ、メイアたん。この物質は[霊魂化]というスズカゼたんの性質に近い物を持ってるわ。謂わばスズカゼたん紋章版ね。ちょっと興奮してきたわ」
「黙りなさい」
「あぁん! 言葉責めも良い! 無表情のまま責められるのも良い!! もっと、もっと罵ってぇ!!」
「リドラ。これが恐怖か」
「こんな所で恐怖とか言わないでくれ。嘗ては国を跨ぐ暗殺者の恐怖がこんな物だとは信じたくない」
「悍ましいのに違いはないだろう」
「その程度で済めば良いがな……」
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