木箱の中に封ず物は
【サウズ平原】
「……リドラ、説明して貰おうか」
「むぅ……」
獣車内にはジェイドの殺気が充満し、余り良い空気とは言えない。
無論、彼とて不用意に殺気を発するほど愚かではない。
いや、それでも殺気を発さなければならないほど、焦っているのだ。
「何故、レンがあんな事になった?」
事の発端は行商人である獣人、今回の獣車の操縦者レンがスズカゼ達を迎えに来た時だった。
彼女はまずメイアに怯えたのだが、それよりも恐怖を覚えた物があったのだ。
リドラが持っていた木箱。彼女はその木箱に対し、全身の毛を逆立たせて言葉にならない叫び声を上げたのである。
その時、リドラは濁した説明しかしなかった。明確な言葉など何一つ用いずにただ頭だけを下げたのである。
そして、その上で木箱を獣車へと持ち込んだのだ。
「レンは行商人という事もあって危険や殺気には獣人一倍敏感だ。そのレンがあんな反応を見せるとは……。その木箱に何が入っている? 現地で教えるとの事だったが、あんな事があっては黙認する訳にはいかん」
「…………」
「リドラ」
「片方の木箱は、スズカゼの持ってきた卵だ。だが、もう片方は……」
リドラは助けを求めるように、いや、確認を求めるようにメイアへと視線を向ける。
彼女は腕組みして瞼を閉じたまま動かず、寝息すら聞こえてきそうな始末だ。
それは彼女の会話に関わらないという意思表示であると同時に、リドラへの了承にもなった。
彼はその了承を受けてため息混じりに肩を落とし、丸まった背筋をさらに丸め込む。
「……残骸だ。見た目は残骸でしかない」
「それを直接見るのは、危険なのか」
「この木箱はただの木材で作られたように見えても、実際、中にはメイア女王が直接作り出した魔封結界が張られている」
「魔封結界?」
「多大な魔力を確率化させ、その物体の放つ魔力を無理やり封じている結界だ。常人には到底張えない、強力な物だな」
「それは、結構だが……」
四天災者[魔創]が直接運び、直接封じなければならない程の代物。
そんな物が今、目の前にある。
だと言うのに自分は何の危険も恐怖も感じない。ただの木箱としか思えない。
こんな物が、いや、これ程の物が、いったい何だと言うのだ。
「残骸との事だったが、いったい何の残骸だ? 剣か盾か、或いは宝石か」
「そのどれでもない。恐らくは紋章……、だろうかな。何の、かは解らないが」
「紋章?」
「残骸だ、所詮は。メイア女王曰く何の力もなく何の存在でもない、ただの残骸だそうだ」
「紋章の残骸か。王国か何かの紋章の残骸か……?」
「解らない。そもそもこの紋章が[何か]なのを調べるためにも森の魔女の元へと向かう。尤も、それでも解るかどうかは希望的観測でしかないがな」
「……姫は、どう思う? この残骸からは、何か感じるか?」
「んぁっ」
「……寝ていたのか」
「聞いてまふほ。あふぉれふぉ? ざんひゃいがひょうほか」
「姫はまだ寝ているようだな」
「自然に流したな。いや、構わないが……」
スズカゼはそもそも酷い傷を負っている。身体を癒やすために睡眠を欲しているのだろう。
仕方ないと言えば仕方ないが、せめてこれぐらいの話は聞いて置いて欲しい。
……いや、傷を負っていなくても寝ていただろうが。
「溜まり堪った宿題を消費させてやろうか……」
「まだ作っていたのか、それ」
「最近ではちょっとした趣味になってな。釣りと併用して晴釣雨書の生活だ」
「お前は何処に向かっているんだ……」
リドラはため息混じりにゆっくりと背を伸ばし、外の光景に目を向ける。
数時間前とは打って変わって外は緑凪の海となっていた。
どうやら既にサウズ平原に入っているらしく、目的地までそう時間は掛からないだろう。
この美しき緑の海を越えれば変態の住む森に着く。
少し緑が増えたぐらいで爽快から不快に変わるのだから、世の中どうなっているか解った物ではない。
「……何にしろ、これから何が起こるか解らないのだ。無駄に考えても胃を痛めるだけだろう」
「そうだな。ゼルのように朝、胃を抑えて起きてくるようにはなりたくない」
「ゼルさんの胃ってそんなに酷いんですか?」
「「誰のせいだ、誰の」」
「メイア女王、急に尋ねてくるから」
「いや、間違いなく貴女と思うわ」
【大森林】
「つ、着きましタ……」
巨大な木々を前に、レンは隠しきれない怯えと共に獣車内へと声を掛けた。
彼女は一人目、メイアが降り立つと共に獣車の裏側へ身を隠すように逃げ込んでしまう。
メイアは何も言わずにそのまま降りたが、リドラは申し訳ないと謝罪しながら、スズカゼはナイスちっぱいと親指を立ててジェイドに頭を叩かれながら降車した。
「すまないな、レン。こんな場所までこんな連中を連れて」
「い、いエ! 私は構いませんけド……」
「取り敢えずここから先、我々はいつ帰ってくるか解らない。一端帰って貰って構わないから、連絡した時にまた迎えに来て欲しい」
「わ、解りましタ」
怯える少女を背に、メイアを筆頭として彼等は森の中へと足を踏み入れていく。
一人、一人と森の闇に飲まれていく中、レンの視線はただ猫背の男が持つ木箱へと向けられていた。
恐怖だった。あの木箱から感じたのは恐怖だったのだ。
もしそれが殺気だとか嫌悪だとか、そんな類いの物なら自分も迷わず逃げただろう。
だけれど、あの恐怖はそんな物じゃなかった。感じた事のある、恐怖だった。
ただそれが何倍にも何百倍にも増幅されて、襲い掛かって来たのだ。
「だっテ……」
あの臭いは、知っている。
何倍にも何十倍にも増幅された、あの臭いは知っている。
あの、血の臭いは。
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