閑話[傲慢なる王と従者の遊戯]
【ギルド本部】
《ギルド統括長私室》
「チェックだ」
「…………む」
女性は城壁と騎士に迫られた王を後ろに避けるが、男はそれを追ってさらに進める。
幾度か王は逃げるも、その度に城壁と騎士に迫られて逃げ幅は無くなっていく。
遂には城壁に阻まれ騎士の剣を前にして、王の後ろは崖だけとなった。
「降参です」
「くくっ、弱いな? ヌエ」
「ヴォルグ様が御強いのかと。私も多少の覚えはありますが盤上遊戯は苦手な部類ですし」
「貴様は情報戦どうたらと御託を捏ねる暇があるならば、遊戯の一つでも嗜んだらどうだ? こういう物は程よい暇潰しになるぞ」
「いえ、潰せるだけの暇がありませんので。尤も、これからは多少出来ると思いますが」
ヌエは盤上に駒を並べ直しながらも、微かに安堵の息をつく。
今回の一件、補佐派の件は彼女にとっても大きな悩みの種だったのだろう。
いや、種と言うよりは最早、大木に成って華を咲かせ、実まで落とす始末だが。
まぁ、その実も少女を殺すべく毒を盛ろうとして逆に燃やされてしまったのだから、世話の無い話である。
然れど、こちらの目的を一つ達成してくれた事を思えば、一概にそうとも言えないかも知れないのだが。
「しかし[魔創]が狙いを言い当てたときはひやりとしました。[獣人の姫]とその取り巻きに感付かれないだけの偽装はしていたつもりでしたが」
「だから言っただろう。作戦にせよ戦闘にせよ、いつ予想外の出来事が起こるやもしれぬのだ。それを予測するには模擬の場がいる。そして、それに適するのがコレなのだ」
こつこつと駒の脚を盤上に叩き、ヴォルグは鼻を鳴らすような笑みを見せる。
顔を布地で覆われたヌエは表情の変化こそ見えないが、多少不機嫌になっているのは間違いない。
嘗て部下に愚痴をこぼしていた彼女だが、それも当然というのがよく解る一面である。
「……もう一度、お願いできますか」
「何度目だかなぁ?」
「もう一度、お願いします」
「くく、良いだろう。ただし、だ」
ヌエが揃え終えた盤上の中、ヴォルグ側の騎士が摘まれて空へ浮く。
騎士は剣すら使わずに全ての歩兵と騎士と一つの城壁と二つの僧侶を脚で盤外へと弾き飛ばした。
折角苦労して揃えたのに、とヌエはため息をつくが、摘んでいた騎士を盤上へ置いた彼が続けた言葉で布地から覗く眼光はため息の色から苛つきの色へと変わることになる。
「我が使うのは王、城壁、女王のみだ」
「……駒三つで勝負なさると?」
「ただしこちらは一度に二回動かせる。進むマス目も二倍で良いだろう。さらに駒は貫通、即ち一つ殺ったとしても範囲内全ての駒を討てる。だが、それは貴様の駒が最後の五つになるまでにしてやろう。……どうだ?」
「よもや、不死などとは仰りませんね?」
「無論。当たれば死ぬ。当てられるならば、な」
良いでしょう、とヌエはまず歩兵を動かす。
定石も何もない。まず動かさなければ他の駒すら動かせないというだけの事だ。
だが、ヌエは何も考え無しにその駒を動かした訳ではない。
女王は二度動ける。しかも範囲内を際限なく。ならばまず、間違いなく一手目は女王の駒でこちらの大半を掻っ攫う気だろう。
この下らない勝負の条件を呑みはしたが、所詮は接待遊戯だ。相手の下らない提案にも成らなければならない。
果たして、この下らない勝負の中で自分は必死に考えている振りを続けられるだろうか。
「言い忘れたが我は女王と城壁で駒は掻っ攫わぬぞ」
ヌエは盤上の下に指を滑り込ませ、あと少しで引っ繰り返すところだった。
これも接待だ、と自分に言い聞かせてらしからぬ激情を実の底に沈めていく。
そうだ、接待なのだ。こういう人なのだからそこそこ苦戦している風に見せかければ満足するだろう。
その中で自分を舐めきっているこの男を負かしてやったとて、それも接待だ。
その後、影でほくそ笑んでやったとしてもそれは接待だ。心の中で嘲笑ったとしても接待だ。
接待なのだから問題ない。
「ではまず城壁から動かすとしようか」
こつりこつり、と動く城壁。
それは歩兵のギリギリ届かない位置で止まり、静観するように沈座した。
ヌエは微かどころではない苛つきを覚えながらも駒を一つ動かし、相手に権利を譲る。
それを幾度か繰り返し、やがて気付けばヌエの駒は騎士と王と女王だけに成り果てていた。
どうしてそうなったのか、と言われれば事細かに説明する事が出来る。
ヴォルグは如何に小賢しいやり方で、具体的にはその駒を取れば味方が取られる位置に常に自駒を居続けさせるというやり方で、ヌエの駒を奪い去って行ったのだ。
かといって王を狙えば背後から突かれ続けてしまう。
王も狙えず相手も倒せず逃げられもせず。
もう今現在で、自分は接待どころか本気でやっていると言うのに軽く弄ばれている事に気付いてしまった。
終ぞ勝つための光明すら見えず、現状は負けの一途。
追い詰められた王の隣には女王と騎士。追い詰めるのは城壁と女王。
王は未だ動かず沈座したまま、遠方でその様を眺めている。
「さて、騎士と女王のどちらが王を庇う? 尤も、一時凌ぎでしかないが」
「…………むぅ」
ヌエは取り敢えずの思考に浸った。
最早、彼女に手を抜いて御接待などという言葉は存在しない。
全力でこの男の鼻を明かしてやりたいと思っている。思っては居るが、明かせるだけの準備がない。
「……」
ヌエは騎士の駒を城壁の前へと進めた。
王を剥き出しにして、騎士を城壁の前へと進めたのだ。
城壁を脚で蹴り飛ばして盤外へと押し出し、彼女の騎士はそこに陣取った。
騎士は王ではなく、女王を守ったのである。
「振り直しは許さぬぞ」
「構いませんが」
「愚か者め」
ヴォルグ自身が指定したルールに乗っ取り、一度行動で貫通も失った女王は騎士を弾き飛ばす。
残るヌエの駒は女王と王。奇しくも残るヴォルグの駒も女王と王となった。
相対する双対の王が向き合う中、ヴォルグは勝利を確信した上でここからヌエが如何に動くのかを楽しみにしている。
ここからどう出る? ここからどう脱出する?
貴様はここから、如何に。
「チェックです」
こつん。
ヌエの女王はヴォルグの王より暫し離れた場所に置かれた。
王では届かず、女王は届くその位置に。
「…………む?」
「チェックです」
言い直すヌエを前に、ヴォルグは再び盤上を見直した。
自身の女王はヌエの王には届かない。かといって我が王を狙う女王の動きを阻害することも出来ない。
そんな彼の様子を見てヌエは訂正します、と呟いてから肩を軽く落として安楽の息をついた。
「チェックメイトです」
言葉通り、詰んでいる。
どう足掻こうとも無意味なのが良く解る、盤面だった。
「そもそも設定と貴方の性格からして気付くべきでした。この盤上など言うまでも無くその性悪さを表しています」
「ほう、言うではないか」
「王を絶対と考える貴方だからこそ、まず周りを滅ぼしたのでしょう。三つしか駒がないこの盤上で王を動かさない貴方だからこそ」
「故に騎士を囮に取ったか」
「はい」
「……くはは、悪くない。王を殺すは女王、か。悪くない」
盤上より王を降ろし、ヴォルグは席を立った。
ヌエは落ち着きを取り戻し始めた心の中で微かな喜びを感じながらも、残った駒を片付け出す。
そんな中、ふと気付くことがあった。
どうして彼は王の他に女王と城壁を選んだのか。
騎士でもなく僧侶でもなく歩兵でもなく。どうして女王と城壁を選んだのだろうか。
「そう言えば、そうでしたね」
その理由を思いつくのはそう難しい事ではなかった。
いや、むしろ当然の帰結であったのだろうと思う。
となれば彼が自身の盤上に騎士と女王と王を残した理由も合点がいく。
「何とも……、物好きな方ですね」
ヌエの呟きが終わる頃には、もう机上に盤と駒はなかった。
綺麗に折り畳まれて彼女の脇に挟まれたそれは、間もなく本棚の上へと眠る事となるだろう。
次に起きる時がいつなのかは解らない。
尤も、直ぐに目覚める気がしないでもない、とヌエは小さくため息をついていた。
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