彼女にとっての国
《酒場・月光白兎》
「ただいま戻りましたぁ」
気抜けた挨拶と共に少女と女性は酒場への扉を潜る。
外まで響いていた喧騒も彼女達の入場によって止み、皆の視線がそちらに向いた。
スズカゼは気恥ずかしそうに頭を下げ、メイアは堂々と室内を見渡す。
「おぉ……!」
まず静寂を打ち破ったのは先程まで気絶していたはずのシンだった。
彼は凄まじい速度で回転してスズカゼ達の、正確にはメイアの前に回って跪き、頭を垂れて彼女の手を取った。
白雪のように美しい手に触れた彼は感動の余り喉を振るわせ、涙を瞳に溜めて微笑みを浮かべる。
「何と美しい……! あぁ、貴女のような方に出会えて何と光栄なことか! どうか、この私めとお茶を一杯……!!」
「……何、これ」
「えーと、シン君です。ギルド登録パーティーの[剣修羅]の」
「へぇ、ギルドの……」
メイアを下から見上げたスズカゼの瞳に映ったのは、酷く迷惑そうで嫌そうな彼女の顔だった。
いや何もそこまで嫌そうにしなくても……、と思うが、彼女の性格的に無理もないのかも知れない。
尤も、そこから先の言動は流石のスズカゼでも予測できる物では無かったのだが。
「ごめんなさいね、私には心に決めた人が居るの」
「えっ」
「でも、その人が酷い人で……、私、最近はあの人で良いのかな、って思っちゃうのよ。けれどあの人は別れるのを許してくれなくて」
「だ、誰ですか! そいつは!!」
「あそこで酒飲んでる灰黒髪の男よ」
「や、奴が……!」
「私、彼から解放されたくて……。誰かが助けてくれないかしら」
その言葉を聞くなりシンは刀剣を引き抜き、机を飛び越えてメタルへと襲い掛かった。
当然の事ながら事情など知らぬ彼は慌てて逃げ回るが、シンはそれを全力で追い回す。
結局、その事態はラテナーデ夫妻の鉄拳制裁によって収束するのだが、被害者と加害者の両名は店の端に縛って放り出されることとなった。
「……悪女ですね」
「あら、人聞きが悪いわ。厄介払いとお仕置きを兼ね備えた利便的で合理的な方法じゃない」
「悪徳的な方法の間違いじゃないですか」
「否定はしないわ」
二人は一番近くの椅子に座し、メタルとシンを縛り終えたラテナーデ夫妻に紅茶を注文した。
その際、スズカゼは注文票を凝視したが、メイアは目もくれずに注文した辺り、金銭感覚の差がよく出ている気がする。
間もなく運ばれてきた紅茶を口に含みながら、二人は軽く息をつく。
「それで、あの、これからどうするんですか?」
「悪いけどギルドに滞在する事は許せないわね。今回の一件は補佐派が動いた事ではあるけれど、裏を返せばギルドの半数は敵、という事よ」
「滞在するのは危険、と」
「そうね。貴女の提案した……、はろーわーく? だったかしら。アレの経過が気になるかも知れないけれど仕方ないと諦めて頂戴」
「そうですね……、それは仕方ないですね」
「それに貴女はまず傷を癒やしなさい。もう満足に動けるだけの体力は無いでしょう?」
「……あ、はは」
ザッハーとの戦闘中でもそうだった。
斬撃も満足に撃ち切れない上に相手の攻撃も受け切れないようなこの身体では戦闘など話にならない。
まず傷を癒やす。確かにメイアの言う事も尤もである。
しかし、これだけの傷だ。ケヒトに治療はして貰ったが、彼女曰く、暫くは絶対安静との事だった。
となれば暫しは訓練も戦闘も無し。腕が鈍らなければ良いが……。
「はぁ、何ヶ月だろ……」
「一週間もあれば充分よ」
「一週ぅ間ん!? そんな短期間でどうやってですか!?」
「あら、貴女は知ってるんじゃない? どんな医者にも勝る人物を。死人すら生き返らせる化け……、変態を」
「何で化け物じゃなくて変態って言い直したんですか。間違ってないけど」
東の森に在する魔女。
嘗て瀕死だったスズカゼを蘇生した彼女に掛かればこの程度の傷、確かに一週間もあれば治療するのに充分だろう。
尤も、それ程の腕を持つ代償とでも言おうか、途轍もない変態なのは間違いない。
スズカゼも大概という事実は置いておいても変態だ。
もう何はともあれ変態である。
「確かにあの人なら……。けど、私は誰と行けば?」
「そこは別に自由で良いわ。でもリドラは連れて行きなさい」
「リドラさんは? 何か仕事任せたって言ってませんでしたっけ?」
「だからよ。彼女とリドラに掛かれば[アレ]を解析できるでしょうから」
「……アレ、ですか」
ここで言葉を濁すのは周囲に聞かれたくないからか。
それとも、口に出す事すら躊躇われる程の物だからか。
何にせよ、女王自ら届ける程の物だ。尋常ならざらぬ物である事は間違いないだろう。
まぁ、今回はそれに助けられた節があるのだから悪く言い切ることも難しいだろうが。
「何はともあれ貴女はまず療養ね。その身体で無理することは女王として許さないわ」
「は、はい……」
しかし、何だろう。この違和感は。
自分は四天災者[魔創]と会話しているという事は実感している。サウズ王国女王と会話していることは実感している。
それに相応する緊張感はある。間違いなく、実感している。
だと言うのに感じる違和感。いったい、何が原因だと言うのか。
「……優しい、ですね?」
そうだ、優しすぎる。
嘗て謁見したときはどうだった? 殺気に充満した冷徹女王だったではないか。
それが今では素直ではない近所のお姉さんのような、とても優しい一面が見える。
まさか自分達が居なくなって暫くしたから寂しくなって……、等という事もあるまいし。
「貴女は我が国の重鎮よ? 国王として気遣うのは当然じゃない」
にっこりと、満面の笑みで微笑むメイア。
彼女の笑顔を見て、スズカゼは顔に出さないように心の中でため息をついた。
……そうだ、こういう人物だった。
この人にとっては国が第一なのだ。自分を気遣ってくれるのも国の重鎮だから。
国以外はどうでも良いと真顔で言い放つような、そんな人物なのだ。
「……何と言うか、凄いですね」
「そう? よく言われるわ」
「でしょうねぇ……」
メイアの坦々とした表情は、少女の心に今回の一件よりもある意味強烈な印象を残すだろう。
少なくとも口に含んだ紅茶の味が解らなくなるぐらいの、周囲の喧騒が耳元から離れていくぐらいの、眼前の女性が四天災者という化け物だと忘れるぐらいの印象を。
「……敵わないわぁ」
ーーー……きっと、この人が国を手放す時、それは世界が滅びたときなんだろう。
スズカゼはそんな事を思いながら、味のしなくなった紅茶を喉に流し込み。
次は顔と声に出して、大きくため息をついた。
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