水流は街を覆い尽くし傲慢は労夫を撃つ
《南部・大通り》
「こんな、こんな事が……!」
必死に杖を突きながら、思うように動かない足を引きずる老人。
彼の後ろには物言わぬ女性がただ黙々と早足で歩いていた。
彼等が歩く道は虚ろな人や獣人で埋め尽くされており、遠目に見れば誰も彼等が歩いていることなど解らないだろう。
それを理解しているからこそ、彼等もその道を行くのだ。
「スー……! まずギルド本部に戻るぞ。まずラーヴァナに計画の失敗を告げねばならぬ! そして同時に、我々は身を隠すべきだ。ラーヴァナもある程度の時を置かねば。我々、補佐派が再び力を取り戻すまでは、時を!」
「…………」
「……案ずるな。四天災者と言えど、容易く民に手は出せまい。こうして我々が民に混じっている間は火も放てなければ爆発もさせられぬ」
スーは微かに安堵の色を見せながら顎を軽く引く。
彼はここまで計算した上での民を操ってるのだ。攻撃にも防御にも使える盾として。
老齢たる経験値は積んでいると言う事だろう。今回はそれに救われたという事なのだから、感謝の意他にない。
「時が掛かる。十年か二十年か。如何ほどにせよ我々が再びギルドで権威を握るには身を潜めねば……」
直後、彼等の言葉を遮るように地鳴りが鳴り響き始める。
地の底から這いずるその震動は、本当に地震が起きたのかと錯覚させる程だ。
彼等は周囲を見回すが地を揺るがすほど巨大な物は何も見えず、本当に地震が起きたのかと思い始める。
だが、背の低いヴォーサゴと違って人混みの向こうをどうにか見えるスーの表情は段々と恐怖を帯びていっていた。
「スー?」
「…………!」
彼女は踵を返すと同時に魔法を発動。
人混みの間を縫うように木々の枝が這いずり回り、やがて人々すら縫い込む巨大な木々の壁を作り出す。
ヴォーサゴはこの場で魔法を使うなど、と言いかけたが、その光景を見るなりそんな戯れ言は引っ込んだ。
人々を容赦なく呑み込む大津波を見た時、そんな戯れ言は引っ込んだのだ。
「こんな、事が」
木々の壁など物ともせず。
その大津波は木壁すら粉砕して、一人の女性と老人を呑み込んだ。
轟音は尾を引くことも知らず、南の大通りを水色で染め上げていった。
《南部・住宅街裏路地》
「手っ取り早いわね」
「マジかお前。……マジかお前」
「マジよ」
大津波を放った女性は建造物の屋上で両腕を組みながら、水色に染まっていく大通りを眺めていた。
その隣の男は平然とする女性を見て、俺ですら危害加えないように頑張ったのに、と愚痴を吐く。
「ま、死人は出てないでしょう。手加減したしただの水だし」
「逆に死人が出てたらどうする気だったんだよ……。この事態がさらに面倒になるぞ」
「既になってるような気もするけどね。それよりも貴方、私の密命はどうなったのかしら? スズカゼ・クレハを監視するという密命は」
「え? 何それ」
「……」
掌に魔力を収束させて放とうとするメイアとその腕を全力で抑えるメタル。
彼等の下らない死闘は数分に及び、やがて根負けしたメイアは魔力を拡散させる。
安堵と共に力を抜いたメタルに蹴りが飛ぶのはまた別の話として、彼等は視線をギルド本部へと向けた。
「全く、何でこんな短期間にいくつも問題を起こすのかしら」
「尻痛ぇ……。ってかよ、急がなくて良いのか? 今回の原因でもある補佐派の頭、逃げるんじゃねーの?」
「メタル。人は何か利益があるのなら、ある程度の害は黙認する物よ。例えそれが膿でもね」
「……そりゃ、裏を返せば利益が無くなりゃ膿を出すって事だよな?」
「そういう事よ」
冷徹に言い放ったメイアは再び視線をギルド支部に向けた。
未だ何の変哲も無いその場所に、いつ業火が立ち水流が渦めき風塵が巻かれ岩壁が聳え雷雲が放たれるのか、と。
その目に未来を見ながら、彼女は。
【ギルド本部】
《央館・ギルド統括長補佐執務室》
「本当か」
「ま、間違いありません! [魔老爵]ヴォーサゴ・ソームン、[血骨の牙]ザッハー・クォータン、[爆弾魔]ハボリム・アイニー、[邪木の種]スー・トラスの各員、敗北しました……!」
「……そうか。身を隠すぞ。[大赤翼]に言伝を残せ。我々は暫く身を隠すから、こちらの同士達と共に連携を取り、ある程度の地位を確保するようにな」
「りょ、了解しました!!」
「急げ。我々がいつ何時襲われるか解った物ではない」
部下は転びそうになりながらも扉を押しのけて部屋の外へ走っていく。
慌ただしい足音を耳にしながら、ラーヴァナ外の光景を瞳に映していた。
央館から見えるのは他のギルド館のみ。美しい建造物が幾多と見えるだけだ。
これを手に入れたかった。この建造物とそれに収まる全てを手に入れたかった。
だが、それも散ってしまった。時が経ち、再び華が実を付けて裂かすまで、数十年と掛かるだろう。
だが、それでも我々の手には再び華を、その花弁をーーー……!!
「我が庭が随分と騒がしい。そうは思わんか、ラーヴァナよ」
まず視界に入ったのは扉の向こうで腰を抜かし、眼を限界まで開いて失禁する部下の姿。
そして、その者など物ともせずに傲慢な足取りで自室に踏み居る男の姿。
余りに傲慢。自身が必死に手に入れようとした物を、我が庭と称す程に。
その男は余りに傲慢不遜。この状況下で笑みを絶やさず、堂々と入ってくるほどに。
「ヴォルグッッッ…………!!」
「貴様の愚行も我が庭を耕す労夫の一服ならばと思い、見逃してやっていたが……。こうも大きく動かれては我が庭が荒れるのだ。解るな? 愚鈍な労夫よ」
「貴様に、貴様に何が解る!? この私の何が!!」
「解る必要などない。我は我が庭で労を功す者に我が栄光を与えてやるのが役目だ。貴様等の悩みを知りて解決する理由など万に一つとてない」
ヴォルグの周囲で黄金の光が爆ぜ、数多の雷撃を収束し始める。
部下の男は既に逃げ出しており、執務室に響くのは雷鳴の叫びだけと成り果てた。
轟々と響く雷撃を前にして、ラーヴァナはただ修羅が如く憤怒に表情を歪める。
尤も、その憤怒を吐き出す言葉も無ければ、相手に届かせる術もありはしないのだが。
「膿を絞り出すときが来たようだな。ラーヴァナ・イブリース」
「ヴォルグ……」
憤怒の言葉は届かない。
傲慢なるこの男に如何なる言葉を投げつけたとしても、それは所詮、ただの戯れ言でしかないのだ。
この男の前では如何なる言葉も戯れ言だ。魂の叫びも愚鈍なる者の愚痴も、何もかも戯れ言。
如何なる人の言葉を戯れ言としか思わぬこの男は最早、人間であるはずがない。
傲慢。余りに傲慢なーーー……。
「この、化け物がぁあああああああああああああああああああああああ!!!」
雷鳴が轟き、ギルド央館を激震と轟音が襲う。
大理石の壁を突き抜けた黄金の光りは微かな紅と黒を含ませて。
やがて空の中へと、消えていった。
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