黒き兜と白銀の義手
《南部・廃墟屋上》
「……何でニルヴァーがここに居るんだ? 奴はヴォーサゴの操る連中が足止めしてるはずだろぉ?」
「シン君ですよ。魔術魔法を使えない……、いや、使わない彼は一般人の制圧に適しているんです」
「[剣修羅]の餓鬼かぁ」
忌々しそうに眼下を眺めながら、ザッハーは義手の指を折り畳んでいく。
今し方、拳撃と共に突き落とした女はニルヴァーを下敷きにして致命傷一つ無く気を失っているだけだ。
見ればハボリムは幾千の刃に貫かれて血の海に沈み、遠方に聳え立っていた樹木は無残に焼き尽くされている。
人混みは未だ列を成しているが、恐らくそれが崩れるのも時間の問題だろう。
「……どうするかなぁ」
劣勢、明らかに敗北寸前。
恐らく自分以外の仲間は全て敗北したのだろう。
そして眼前に居る男からしても、このデュー・ラハンの実力しても自分が肉塊に変わるのは時間の問題だ。
「だが、だ」
それでこそ良い。
美味い料理に幾多かの調味料が掛かった程度だ。
自身の血肉すらも所詮は調味料。
狂気なる凶器にて喰い殺せば、それは幾分美味い事だろうか。
「あぁ、知ってるかぁ? デュー。この建造物にはまだ人が居るらしいぜ」
「……それが、何か?」
「ヴォーサゴの魔法でここに居る奴等は意識がねぇそうだがよぉ。こんな廃墟が崩れたらどうなるんだろうなぁ」
「それは脅しですか? そんな物が、脅しですか?」
「脅しじゃねぇよ。ここで戦えば……、なんて事を言うつもりはねぇ。ただ、な」
ザッハーの手に握られた、薄黄土の筒。ハボリムが持っていた物と同種の爆弾。
ここで爆発させてもデューを殺すどころか被害を与えることすら出来はしない。
だが、これを建造物内部に投げ込めばどうだ? 爆弾の入った一部屋だけではない、事前に準備した全ての部屋の爆弾が爆発し、この建造物を意識の無い一般人ごと瓦礫の海に沈めるだろう。況してや廃墟。崩れない可能性など万に一つもない。
果たして、この男がそれに耐えられるのだろうか?
耐えられず絶望に打ち拉がれるも良し、何と言う事はない冷徹な表情を見せるも良し。
この調味料はこの男にどんな味をもたらすのか。
ザッハーの思考は最早、その事に全ての基点を置いていた。
「この爆弾で」
「だから」
デューは彼の言葉を遮りながら、背負う大剣を緩やかに引き抜く。
鉄塊という言葉が似合いそうな禍々しい大剣はザッハーに違和感を感じさせるには充分な物だった。
この男は見ていない。自身が持っている爆弾を。
被害を気にしていないだとか、圧倒的な自信故にだとか、そんな話ではなく。
そもそも、見ていない。
「そんな物が脅しなのか、と聞いているのです」
恐怖ではない。純粋な、危機感。
ザッハーは反射的に両腕を跳ね上げ顔面の前で交互に重ね合わせる。
他の防御を完全に捨てた一点防衛。だが、そこに迷いはない。
歴戦故の直感が叫ぶのだ。死にたくなければ防げ、と。
「ーーーーーッッ!!」
そして、それは現実となる。
ザッハーが防いだ一点に大剣が振り下ろされ、決して華奢とは言えない彼の身体を容易く吹っ飛ばしたのだ。
彼の身体の行く末は空中。吹っ飛ばされたが故に受け身を撮る体勢にもなれず、彼を待ち受けるのは死に至る衝撃しかない。
「ちぃッッッ!!」
彼は咄嗟に身を翻し、廃墟の壁に五爪を撃ち込む。
全身を支えるには心許ないが、それでも壁に有り付くまでの間は耐えきれるはずだ。
何の妨害も無ければ、だが。
「[亡者の黒剣]」
ザッハーの視界に映る黒点。
蒼快の空に映るそれは、太陽すら浸食する禍々しき光を帯びた大剣を振り被る。
全身を本能的な危険信号が駆け抜けるも、反応する事は出来ない。
結果、彼は真正面から、落下の物とは比べものにならない衝突を喰らう事になる。
激音と共に石造りの地面を亀裂が走り、その中心に墜ちた双対の白銀を持つ男は内臓と血管をズタズタに切り裂かれた。
明らかに致死。ザッハーは全身から絞り出したかのような血液を吐き出すと共に、悲痛な叫び声を上げる。
その声を物ともせず、デューは彼の足下へと降り立って、ゆっくりと近付いていった。
「け、ははは……! くはははは!! 美味ぇ! 美味ぇ美味ぇ美味ぇ!! この血の味が! 俺の渇きを癒やす!! 俺の狂気を満たす!! 美味ぇなぁああああ!!」
「狂乱に堕ちましたか。……いえ、元からですかね」
「なぁ、デュー・ラハン! 聞かせろよぉ、おい! お前は何で満たされる!? 何が満たす!? その渇きを、飢えを! お前ほどの強者の渇きと飢えを何が満たす!?」
「何も。強いて言うなら平和ですかね。平和の為に全てを擲つ覚悟があるからこそ、俺は俺で居られる」
デューの歩みはザッハーの元で止まる事は無かった。
彼の元をそのまま過ぎ去り、呆然と立ち尽くすスズカゼの前へと向かったのだ。
少女は迫り来る兜の男を見上げ、何も言えずにただ視線だけを泳がせる。
そんな彼女を見て、デューは微かに視線を逸らす素振りを見せた。
「スズカゼさん」
「は、はい!?」
「見ていてください。あれが、力に溺れた者の末路です」
亀裂の中心で天を仰ぎながら狂気の嗤いを叫ぶ男。
その姿は悍ましくある以前に、恐ろしくある以前に。
酷く、憐れだった。
「[冥獄の門]」
ザッハーを覆い尽くすように地へ広がる黒き深淵。
否、黒という言葉ですら表せないほどに禍々しく悍ましい深淵。
スズカゼはその深淵から這い出る手を見た瞬間、全身に悪寒が駆け抜けるのを感じていた。
「はっはっはっはっはっはっはぁ!!」
狂乱の嗤いと共に、ザッハーはその深淵へ引き摺り込まれていく。
足が沈み、腕が沈み、胸元が沈んでも男の嗤いが止まる事は無い。
耳に張り付く泥のような嗤いはいつまでも、その男の姿が消え、亀裂の中心に黒血の塊が出来た後でも、聞こえてくるように思えた。
「……力に溺れた者には敵であれ仲間であれ、誰かがケリを付けなければなりません。今回は、それが私だったというだけのこと」
男の声に悲壮感はない。代わりにあるのは坦々とした事務的な口調。
だが、スズカゼにはそれが自分への忠告にも思えた。
根拠はない。ただ、直感的にそう思っただけだ。
「貴方はそうならないでください」
彼はそれ以上、何かを言うことは無かった。
ただ大剣を仕舞い、その背に哀愁を漂わせて。
黒き兜を太陽の光に照らしていた。
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