劣勢への収束
《南部・廃墟屋上》
「…………っ」
フレースは照準器から目を離し、口端を固く結んだ。
獣人である自分の肉眼でも目視出来る程の現状。
それは余りに劣勢だった。
「これじゃ、負けるのは確実なのよね……」
照準器の円に映るのは、まず黒煙に覆われたファナと、その前で拳を構えるハボリム。
次に刃を胸元に構え、ザッハーの攻勢にひたすら後退を繰り返すスズカゼの背中だった。
「重なって撃てないわね」
このまま撃ってしまえばスズカゼの背中を貫通してザッハーを撃つ事になる。
恐らく、ザッハーもそれを理解しているのだろう。故の戦法だ。
どうやら先程の一発で大凡の居場所が割れたらしい。
移動するか? いや、移動すれば偽装が解ける。
かと言ってこのまま留まるのもーーー……。
「……?」
直後、フレースの耳に先程の機械音が鳴り響く。
間違いない、ザッハーが、彼の義手が放っている物だ。
先程はスズカゼの斬撃が防いだが、今度は防げるはずがない。
いったい、何が起こるというのか。
《南部・裏通り》
「はっはっはっはっはァ!!」
狂乱の喜びと共にザッハーの拳撃は紅蓮の刃へ撃ち込まれる。
一撃一撃が重い。先までの一撃一撃が嘘のように、威力は段々と強まっているのだ。
先程まで手加減していた、とは思えない。むしろ時間を掛ければ掛けるほど相手の攻撃力が上がっている気がする。
時間を掛ければ出力が上がる機械、と言った所か。恐らく今鳴り響いている機械音は排熱の物だろう。
となれば先程のように機械の隙間に刃を差し込めば破壊することも可能だ。あの時の彼の動揺は嘘ではないはずだ。
だが、これ程のラッシュを受けながら機械の隙間に刃を刺すなど、それこそ達人芸でしかない。
完全に集中した状態からならば或いは……、だが、この攻撃中では防御で精一杯だ。
「攻めて攻めて攻めて攻めて攻めてよぉ。相手が防御しか出来ないように煮詰まった時に、最高ぉに美味くなる」
直後、ザッハーの拳撃は牙を唸らせる。
五つの牙は紅蓮の刃を喰らい、少女から引き剥がしたのだ。
完全に無防備になったスズカゼは咄嗟に魔炎の太刀を手放して右足をザッハーの股内に差し込んだ。
半身で肩から彼に突撃しながら、白銀の義手を掴む。
これは当て身による往なし技であり、拳撃により前のめりとなっているザッハーの体勢を崩すのは容易だろう。
往なし技の構えは完璧だった。技を決める瞬間も、相手の注意を逸らすことも完璧だった。
ただ一つ、体調を除いては。
「がぶっ……!?」
当然の帰結だった。
急激な運動、身体的に無茶な駆動。
それら二つの衝撃が瀕死の身体である少女に重なったとき、口腔から黒血が溢れるのは。
当然の、帰結だった。
「こんな時にっ……!」
小麦粉袋を地面に叩き付けたような、微かな破裂音。
いや、実際にその通り小麦粉袋を叩き付けたかのような現象が起きたのである。
白煙がスズカゼの視界を覆い尽くし、湯水を浴びせ掛けられたように全身の体温が上昇したのである。
間違いない、機械の排熱だ。現世に居た時もビデオやらテレビやらで何度か確認した事がある。
スズカゼは唇端から垂れる黒血を拭い、腕を振り払いながら後方へ跳躍した。
武器を失い、血を吐き出すような小娘相手に追撃が来ないはずがない。
腕を振り払ったのは完全な悪足掻きだ。白銀の義手を打ち払えれば、或いはという微かな望みから。
だが、そんな事は無意味だった。
少女の華奢な腕が白銀の義手に潰されたとか、後退虚しく白銀の義手に貫かれただとか、そんな物ではなく。
ただ単純に、その白銀の腕の持ち主が消えていたのだ。
「……何で」
文字通り何処かに消えたのだ。
視界から、ではない。周囲から完全に。
魔法石を使って姿を消したのか? いや、それにしては余りに気配が無さ過ぎる。
本当に姿を消したのだ。逃げた、とは思えない。あの状況から逃げるという選択肢が何処にある。
白銀の義手が何らかの故障を起こしたのか? だとしてもあのまま振り切れば自分を殺せたはずーーー……。
「まさか」
そうだ、あの男は言っていた。
あの廃墟の上だな、と。そこから導き出される答えは一つ。
「フレースさんッッ!!」
彼女の叫びと同時に、鈍々しい音が鳴り響く。
肉袋を高所から突き落としたかのような、鈍々しい音が。
目視するまでもなく、それが人の落下した音だと少女が気付くのに、そう時間は掛からなかった。
「向こうは決着が着いたようだな」
生々しく鈍い音を背に、ハボリムは黒煙を吹き出す拳を引いた。
爆薬仕込みの手袋による一撃だ。肉を抉り焼き焦がす激痛は意識を奪うには充分だろう。
本来、発火は指に填めたファイムの宝石によって行うのだが、今回はファナ自身が放つ、若しくは張るであろう魔術大砲、及びその膜によって着火させた。
その分だけ爆発は近距離で起こり相手に被害を与える。
「……ふむ」
どうにか、と言った所だろう。
ファナに勝てたのは不意打ちに近い物だった。
この一撃という奇手さえなければ今頃、黒焦げになっていたのは自分だろう。
「後はスズカゼ・クレハのみ、か」
ハボリムは踵を返し、腰元に爆弾に指を当てる。
仲間二人が死したのだ。多少の動揺は見せてくれるだろう。
爆弾で殺しきる必要はない。この奇手を用いれば労せず彼女をーーー……。
ドスッ
自らの肩口に走る激痛。
血肉を焼き裂かれるような感触だが、これは火その物による攻撃ではない。
刃物で刺されたのだ。傷口の深さと眼横にある刃の形からして、恐らく槍。
ファナ・パールズが隠し持っていた? いや、そうは考えられない。
ならば誰が? この場で誰が俺を刺す?
「いやぁ、部下がお世話になったようで……」
ハボリムはその音この言葉を聞くなり、顔から血の気が引くのを感じていた。
それは男の声に聞き覚えがある故に、鈍々しい音を放ったはずのフレースがニルヴァーを下敷きにして生きて居る故に、屋上で見覚えのある兜を被った男が大剣を構えている故に。
優位に立っていたはずの形勢が、全て逆転されたが故に。
「何故、貴様がここに居る……! サウズ王国王城守護部隊隊長、バルド・ローゼフォン!!」
「部下を助けに来た、なんて言い訳は通じませんかね」
肩に突き刺さった槍を引き抜き、ハボリムは身を翻して後退する。
間違いない、屋上に居るあの男はギルド登録パーティーの中でも指折りの実力者[冥霊]のデュー・ラハンだ。
あの男だけでも驚異だと言うのに、何故、ここにサウズ王国王城守護部隊隊長が居るのだ?
まさか、全てを察して援護に来たとでも言うのか?
「何か勘違いしているようですから言っておきましょう」
「……何?」
「本命はこちらではありませんから」
仮面のような笑顔がハボリムに向けられた刹那。
彼の背後で凄まじい轟音が天を貫き、爆炎と黒煙が雲を染め上げた。
あの方向は確か[魔老爵]と[邪木の種]がスズカゼ一行の仲間を相手取っている場所のはず。
「まさか、貴様……」
「えぇ、私は[オマケ]なんですよ」
《南部・住宅街裏路地》
豪炎が大樹を焼き尽くす中、[魔老爵]ヴォーサゴと[邪木の種]スーは額から大粒の汗を流していた。
眼前にある大樹はスーの魔力によって急速に生長した特殊な樹木であり、その巨大さ故に並大抵の炎は通用しない。
だと言うのに、どうだ。その大樹は一瞬で紅色で覆い尽くされその身を灰燼と化してしまったではないか。
「助かったぜ」
「情けないわね。全く、ため息が出るわ」
「いやぁ、ははは……、すまん」
大樹に捕らえていたはずの男は豪炎に乗じて逃げ出し、仲間と思しき女の隣に降り立っていた。
思しき、と言うのは不確定だとか事実確認が完全だからとか、そんな意味ではない。
ただ単純に、信じたくなかったからだ。
「借りは後で返すぜ、メイア」
四天災者[魔創]メイアウス・サウズ・ベルフィゼア。
その人物が今、彼等の眼前に居るのだから。
「さて、面倒な事になってるみたいだけど……、さっさと片付けましょうか」
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