盲目の合わせ鏡
《南部・住宅街裏路地》
「く、ぅお……!」
頬を伝う汗の感触すら、最早ない。
時折、瞳に入る雫に眉根を寄せながらメタルは奥歯を噛み締めていた。
自身の首元に突き付けられた銀色の刃は、いや、突き付けた銀色の刃は小刻みに振るえ、稀に薄皮を切っている。
「耐えるのぅ、小童」
「ヴォーサゴ・ソイヤッァアアア……!!」
「ソームンじゃと言うとろうに」
こつん。
地面に突き立てられた杖の音が合図となり、メタルの喉元に突き付けられた刃は再び勢いを増す。
自身の手によって迫る凶刃を、彼は自身の腕を押さえることによって抑えているのだ。
ヴォーサゴによる催眠のせいだろう。彼は既に数十分、否、一時間に近い間、自らに向けた凶刃を抑えているのである。
「いやはや……、貴様のように耐えるのは珍しい。大抵の奴は中身から壊すのだがなぁ」
「うるせぇよ……! あぁ、そうか。お前の能力は魔法の心を見透かし、操ることか……!!」
「[千操の目]という。貴様のような若造に見破られるとはな……」
「この状況を見りゃ解る……! 虚ろな目の民、言うことを聞きゃぁしねぇ俺の腕! 精神操作の魔法以外に何がある!」
「その通り。いやはや、予想外じゃのぅ……。世の中、まだまだ捨てた物ではない」
「テメェは……!」
「だが、だ。この状況を如何とする? 自らに突き付けられたその刃を如何とするのだ? 魔法を理解しようともそれを解呪する術はない」
「あるんだよ、これが」
刹那、メタルの手元から刃が消え失せる。
同時に彼の腕は自らの喉隣を過ぎ去り、空を切る。
ヴォーサゴがその現状を理解すると同時に、メタルは飛躍していた。
際限なく自身の喉元へ向かおうとする腕の力を利用し、後ろ回り蹴りを老体へと向けたのである。
「……ふむ、成る程」
メタルは自身の持ち得る刃を[アビスの腕輪]に仕舞ったのだ。
今までそれを行わなかったのはヴォーサゴに隙を作らせるため。
会話や自身の疲労による相手の慢心。この隙は容易く破れる物ではないし、反応できる物でもない。
彼が考え得る限り最高のタイミングでの反撃、のはずだった。
「んなっ……!?」
「それは魔具か」
蹴り抜かれたメタルの脚撃。
その一撃はヴォーサゴの老体を打ち抜くことはなく、逆に足場と成り果てていた。
まるで空を舞う羽毛のようとでも言うべきか、ヴォーサゴは易々とメタルの蹴りを躱したのだ。
「見た事のない魔具だな。[アビスの腕輪]……、ではない。いや、[アビスの腕輪]だが[アビスの腕輪]ではないのぅ」
「人の心を見透かしてんじゃねぇよ……!!」
メタルの腕輪が輝き出すと同時に、ヴォーサゴの杖突撃が彼の眼球を狙う。
同時にヴォーサゴは[千操の目]を発動。メタルが防ぐために出すであろう腕を逆方向に回すよう催眠を行う。
完全無防備な目を潰せば視界を奪えるだけで無く、痛覚をかき混ぜて相手の心臓を止めることすら可能だ。
「……!」
だが、ヴォーサゴの闇を映す盲目が見たのは自分だった。
合わせ鏡のように自身を見る自身も自身を見ている無限回廊に陥っているのだ。
彼は本能的に[千操の目]を解除し、メタルから距離を取る。
何だ? あの小童は何をした? 何を持って我が[千操の目]を狂わせた?
「どうだ……! クソジジイ!」
メタルの掌にあったのは闇のように深い水晶が填められた指輪だった。
その指輪を見る、いや、或いは感じるヴォーサゴの表情は段々と歪み始め、枯れた額に汗を伝わせる。
「トゥルーアの宝石か……!」
「お誂え向きだろ……? お前と同じ、心を見透かす宝石だ」
メタルはトゥルーアの宝石により、ヴォーサゴの心を見透かしたのだ。
そうなれば彼の心に映るのはヴォーサゴ自身の姿だ。心を見透かす、自身の姿だ。
無限の合わせ鏡とは比喩ではなく、正しくそのままの状態なのである。
「市場にも滅多に出回らぬような、そんな高価な宝石を持っているとはな。何処で買った?」
「慣れの行商人に頼んで買ってきて貰ったんだよ……! その年の生活費は全部ぶっ飛んだけどな!!」
「全く、無茶をする。無計画は若者の売りかのぅ」
「役立つから良いんだよ……。知り合いに効く奴とか殆ど居ねぇけど」
とある女王だのとある王城守護部隊隊長だのを思い浮かべながら、幾年か前の悲惨な想い出を脳裏に走らせるメタル。
今はそれどころではないと頭を振りながらも彼は拳を構え直す。
「これでテメェの魔法は封じたぜ。常に魔力消費するから馬鹿キツいけどな」
「そして武器は拳、か。確かにそれならば我が[千操の目]を受けても即死することはない……」
「俺の勝ちだぜ、クソジジイ。幾ら何でも枯れかけのジジイに拳喧嘩で負けるほど雑魚じゃねぇよ」
「じゃろうなぁ……。はて、まさか貴様のような手を使ってくる者が未だ居ようとは」
こつん。
ヴォーサゴは地に杖を突き、老齢さに似合ったため息を零す。
皺枯れた喉から吐き出される生温い息は諦めの物ではない。
むしろ、呆れだろう。自身に対する、メタルに対する、呆れ。
「儂のような老齢が何故にギルドで生き残れていると思う……。儂のような老体が何故に四国大戦を生き残れたと思う……。心が見えたからか? 否。そうではない」
メタルの視界が黒く陰り、耳元を空切が通り行く。
視線を空に向けた彼が見たのは、樹木だった。
巨大な、天すら覆い隠す大樹の群れを見たのだ。
「さて、再び幕を開こうぞ、小僧。……我は[魔老爵]。全てを見通す盲目なりや」
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