博物館にて待ち人あり
【サウズ王国】
《第三街東部・ゼル男爵邸宅》
「……良い話と悪い話、どっちから聞きたい?」
満面の笑みでそうスズカゼに語りかけてきたのはゼルだった。
いや、端から見れば満面の笑みに見えるだけであって。
だが直接対峙するスズカゼからすれば、何処か嫌な予感が心の中にあった。
その笑みが貼り付けられたような物に感じたからだ。
「と、取り敢えず良い話からで」
こう言うのは大抵、良い話から聞いた方が良いのだ。
と言うのも悪い話の後に良い話を聞いては後味が悪いからである。
尤も、これはスズカゼの持論なのだが。
「今日の晩飯はフェイフェイ豚の……、何だっけか。ジョブジョブ?」
「それボクシングの左ですから。しゃぶしゃぶですよ、しゃぶしゃぶ! 私が教えたでしょう!?」
そう、しゃぶしゃぶだ。
フェイフェイ豚とは現世で言う所の、まぁ、普通に豚である。
どうしてフェイフェイと言うのかは知らないが、スズカゼが知る内では最も現世で食べていた食品の味に近い。
しかし実物のフェイフェイ豚を見た時、普通の豚と鹿と牛を足して二で割ったような……、いや、止めておこう、気持ち悪くなってきた。
何はともあれ、彼女はそのフェイフェイ豚を使ったしゃぶしゃぶをメイドに提案したのである。
勿論、この世界にはそんな料理はない。
だからこそ彼女はメイドに料理法を教え、それを理解して貰い、漸く実現したのだ。
「やったぁー! しゃぶしゃぶやぁ!! 私が一人暮らし始めて一回しか食べれんかったしゃぶしゃぶやでぇ!!」
「口調崩れてんぞ。……あー、それで悪い話の方なんだが」
「あ、勿論、ポン酢代わりにペクの実を潰したソースをですねぇ!!」
「メイア女王から依頼。今から人に会いに行け」
「えっ」
「……心中察するわ。うん」
「え、ちょ、晩ご飯……」
「ファナも連れてって良いから、な?」
「……しゃぶしゃぶ」
「……諦めろ」
その日、修理されたばかりのゼル邸宅から悲鳴が上がった、と街中で微かに噂になったという。
そう、世界中を恨むかのように苦痛を孕んだ悲鳴がーーー……。
《第二街北部・サウズ王国立博物館》
「ふーん。これが……、ねぇ」
博物館の最奥にある透明のケース前に立つ、一人の男。
その男の視線の先にはスズカゼの相棒の自転車と傘があった。
説明書きの部分には精霊の所持品とあり、提供者の所にはリドラ・ハ-ドマンの名前が刻まれている。
男はそんな説明書きには目もくれずに、ただ自転車と傘の構造に目を向けていた。
「どうなってんだ、こりゃ。魔力らしいモンは感じねーし……」
ブツブツと呟きながら考察する男。
だが、その呟きを聞く者は館内に一人として居なかった。
何故ならば既に閉館時間は過ぎているからである。
それでも彼がこの博物館に居る理由。
それは彼がここを待ち合わせ場所に指定したからだ。
「にしても遅いな。こんな晩に呼び出したのが悪かっ……」
直後、男は直感的にそれを感じ取る。
足下から舐め上げるような。
ずるり、ずるりと耳に届くような錯覚を覚える程に。
その危機感は彼へと迫り来る。
「めーしのーうーらーみーはーこーわぁいーぞー……」
灯りも消え去り、黒で埋め尽くされた博物館の廊下。
そこから聞こえる女の怨嗟に溺れた声。
闇を通り抜けるのではなく、闇の中から這い出るように。
「しゃぁーぶしゃぁーぶのうらみはーもっとーこーわーいーぞー」
男の視線の先には何も移らない。
ただ闇が延々と続くのみ。
だと言うのに、その闇から這いずり出てくる怨嗟。
「え、ちょっ、しゃぶしゃぶって何……」
どうにか絞り出された男の声。
だが、それに返ってくる物は静寂。
先程まで這いずり続けていた怨嗟の声は、彼の言葉と同時にぱたりと止んだのだ。
男に襲い掛かるは静寂、静粛、静黙。
全ての音は断絶され、闇と黒だけが空間を支配する。
「……何だったん」
「私の晩飯だぁああああああああああああああああ!!!」
「ぎゃぁああああああああああああああああああ!?」
「しゃぶしゃぶ食べたかったぁああああああああああああ!!」
「ぎゃぁああああああああああああああああああ!?」
「豚ぁあああああああああああああああああああああああ!!!」
「ぎゃぁああああああああああああああああああ!?」
「うるさい」
「「あっ、はい」」
「貴様がメイア女王の紹介できた者か」
所変わって博物館の休憩室。
先程の場所とは違ってしっかりと灯りが付いているその場所には、机を挟んで三人の男女の姿があった。
それはスズカゼとファナ。そして、先程まで自転車と傘を見ていた男である。
「おう、そうだ。メタルとでも呼んでくれ。……後、驚かすの止めてね? 俺、あぁ言うの苦手だから……」
メタルと名乗ったその男性。
灰黒髪と血のような紅黒い眼が特徴的で、身長は180程だろうか。
得に武器を携帯しているようには見えないが、手首には何やら灰色のブレスレットがある。
彼はそれを見られている事に気付いたのか、それをスズカゼに見やすいよう、上へと持ち上げた。
「これか?」
「あ、いえ。綺麗なブレスレットだなぁ、と」
「ブレス……、れっと? 何だ、そりゃ」
おっと、迂闊。
恐らくこの世界にはブレスレットという言葉はないのだろう。
言い換えると腕輪、だろうか。
「え、えーっと、綺麗な腕輪だなぁ、と」
「こりゃ腕輪じゃないぜ? 魔具だ」
「魔具?」
「魔法石を使用していない、純粋に魔法によって作られた道具の事だ」
ファナの説明にスズカゼはおぉーと納得したような声をあげる。
だが、そんな光景にメタルは少しばかり違和感を覚えていた。
そもそも魔法石や魔法にしてもそうだが、この世界では常識である。
その単語を聞いて感嘆の声を上げるというのはどういう事だろうか、と。
「魔法石とは魔力を凝縮して石に作り上げるタイプと自然的に作り上げられたタイプがある。人工と自然では価値は大幅に違ってくるはずだ」
「へぇー……」
「それに対し、魔具というのは魔法石とは違って純粋に魔法や魔術を元とした道具だな。物によって下の下から上の上まであるが、基本的には魔法石の上位的存在だと思えば良い」
「ふむふむ」
「そして、最も大きな違いは使用回数にある。魔法石は特定数使えば自壊するが、魔具は使用回数の制限はない」
「なるほどなー」
「あー、説明中悪いんだが聞いて良い?」
「何ですか?」
「スズカゼ・クレハだっけ? ……お前、何でこんな事も知らないんだ?」
「あ」
びしょ濡れのタオルを氷点下の世界に放り込むように。
臆病な人の前で大声を出すように。
だるまさんが転んだで鬼が振り返った時のように。
スズカゼは一瞬で全身の筋肉を硬直させ、その動きを停止した。
「えー、あ、ははっ?」
マズい。
いや、これは本格的にマズい。
「ど、どうした……?」
ゼルやジェイドなど、自分の周囲の人達は知っている。
自分が異世界から来たというーーーー…………。
……妄言を吐く人間だと言う事を。
「えー、いや、ねー?」
幾ら何でも初対面の人間にそんなイメージを持たれるのはマズい。
今となっては周囲の人間はなぁなぁで通している。
だが、不意にそんな話題が出ると周囲から痛々しい眼が向く状態だ。
まぁ、精霊であるという誤解は魔力供給だの何だのという点とリドラの検査により解けたのだが……。
それでも色々と問題は煮詰まっている状態でもある。
単に、今までそれが様々な問題の後押しによって流されてきただけなのだけれど。
「……実は記憶喪失なんです!!」
我ながら苦しい言い訳である。
ファナさんが何だか何言ってんだコイツみたいな眼で睨み付けてきている。
止めてください、こんなのしか思いつかなかったんです、ごめんなさい。
「あ、そうなの? 大変だなぁ」
解った。
この人、馬鹿だ。
読んでいただきありがとうございました




