盲目の老人現る
「面倒だ」
ニルヴァー、スズカゼ、フレース。
彼等はそれぞれ背を会わせながら流れゆく人混みの中で一つの異転と化していた。
先程の襲撃から追撃は来ず、彼等はただ周囲に警戒を配る事しか出来ない。
見渡した所、立ち止まっている者は自分達以外見当たらないが、それでも何処から襲撃されているか、或いは誰が襲撃して来ているか解らない状態で気を抜くことは出来ないだろう。
「複数居る、って事ですかね? と言うか立ち去った?」
「それは無いね。ただ警戒させることだけして去るなんて思えないわね」
「明らかに狙いって……」
「貴女だね」
「貴様だな」
「ですよねー……」
この状況下で狙いなどスズカゼただ一人に違いないだろう。
ニルヴァーとフレースに攻撃を仕掛けてきたのは彼等の注意をスズカゼから引き離す為だったはずだ。
また、追撃がない所を見ると相手はただの馬鹿ではないらしい。
「離れた所で路地裏に入ったか、この場に留まり続けているかのどちらかだな」
「え? 前者はともかく後者は無理じゃ……」
「魔法石でも使って潜んでいるか、幻術士か……。どちらにせよ、油断するなという事だな」
ニルヴァーの答えが曖昧なのも無理はない。
現在持ち得る情報は三つ。
相手の姿が見えない、少なくとも三人以上居る、武器はナイフ若しくは暗器。
たった、それだけなのだ。余りに少ない情報の中、相手を迎撃するなど不可能に近いだろう。
「取り敢えず移動するぞ。このままあの場所に帰る訳にもいかん。狭い路地裏ならば相手も行動のしようがあるまい」
「このままじりじりと?」
「そうなるわね。……ニルヴァー、先頭行ってくれる? 私は後方を守るから」
「解った。取り敢えず敵が何処にいるか解らない以上は……」
彼は自身の言葉を打ち切り、息を呑む。
スズカゼとフレースは思わず彼を見たが、同時に視界の端に映ったそれを認識して言葉を失った。
「敵が何処に、って言いましたよね」
「言ったな」
「居ましたよ、敵」
「居たな」
「と言うか」
スズカゼ達の視界に映ったのは、敵だった。
具体的に言えば街行く人全てがこちらに振り向き、銃やナイフを構えている敵だったのだ。
道行く人々も、左右に構えている店の店員も、路地裏の貧民も。
人間も獣人も何もかもが同様に、虚ろな目で、或いは確かな眼光を持って。
スズカゼ達に殺意を向けているのだ。
「全部、敵ですよね」
「……逃げるか?」
「逃げれます? これ」
「無理よね」
「……詰んだ?」
「詰んだね」
共に背を会わせ直す彼等を見下ろしながら、その老人は笑んだ。
南の大通りを見渡せる、中央のギルド南館の頂上に座して。
何も見えぬ目の裏で多くの光を眺めながら、老人、ヴォーサゴ・ソームンは。
凶器たる狂気の笑みを浮かべ、魔力を周囲に振り撒き続けていた。
《南部・住宅街裏路地》
「ちょ、ちょ、ちょ!」
メタルは荒れ狂う大津波の中で藻掻いていた。
いや、語弊を無くせば余りに規律正しく並んだ人混みの中で流されないように足掻いていた、と言うべきか。
彼以外の人々は虚ろな目のまま大通りに向けて歩き続けているのだ。
ある者は家から出でて、ある者は井戸隣で行っていた洗濯を放り出して、ある者は道端での話を止めて。
彼等は皆、少なくともメタルの視界に映る場所全ては虚ろな目の民衆に覆い尽くされているのだ。
「ちょ、無理! 何だコイツ等!!」
彼等は藻掻いて横に逃げるが押し返され、前に逃げるが弾かれ、後ろに逃げるが踏みつけられる。
何処に行っても水槽の中で暴れ回る水魚が如く、逃げ場など無いのだ。
「で、っェい!!」
水魚は水から飛び出れば息は出来ない。
だが、人が人混みから出たからと言って別に息が出来なくなる事はない訳で。
メタルは左右の中年男と獣人の頭を掴んで、一気に上へと飛び上がった。
軽業師のように人々を見下ろせるだけの高さまで跳ねると、彼はそのまま人混みに泳ぐ頭を足場として建造物まで走り抜けていった。
尤も、最後の最後で若い女性の頭を避けたせいで顔面から建造物に衝突する事になったのだが。
「いぃたぁあい……」
彼は窓枠にへばり付き、壁を這って屋根へと上っていく。
途中二、三度落ちかけたが、どうにか屋根まで昇り上がった。
白鳥舞う晴天の空など何のその、彼としては眼下の大行進の方が余程目を引く。
「どうなってんだ、こりゃ」
つい先程まではごく普通の街景色だった。
それが数分前に豹変し、一人、また一人と大通りの方へ歩き出したのだ。
始めは自分も気にしなかったが、それが数十人にも上れば異変にも気付く。
まぁ、その頃にはもう人混みに飲まれ始めていたので時既に遅しだったのだが。
「……洗脳、か? いや、違うな。こんな大人数を出来るはずがない」
洗脳は有り得ない。いや、有り得るはずがない。
嘗てクグルフ国での一件が終わった後、サウズ王国第三街の食事処[獣椎]で話し合った事があるが、洗脳や記憶操作の類いは禁術なのだ。
各国で使用が制限されているだけでなく、そもそも使用できる人間が少ない。
バルドの述べた例を用いれば使用者の記憶が吹き飛んだり、脳が吹き飛んだり、腕が爆散したりするんだとか。
そんな事をこの大人数に? 有り得る訳がない。
「と、なりゃ……。催眠か?」
催眠ならば有り得ない話ではない。
洗脳と違って一時的な物だし、単純な命令だけならば[思い込ませる]範疇だ。
尤も、この人数と範囲からして相手がただ者でない事だけは確かだが。
「そう、その通り……。良い目を持っておるな、小童」
メタルは全身が泡立つのを感じた。
足先から脳天までに掛けて、刹那の内に危機を覚えたのだ。
彼は魔具たる腕輪から刀剣を抜き、振り抜くと同時に踵を返して飛び跳ねた。
老人はその一閃を容易く交わし、年相応の笑い声をあげる。
「お前……、確かヴォーサゴ・ソイヤッ!!」
「ヴォーサゴ・ソームンだ。全く、人の名を違えるなど無礼な……」
「どっちにしろだろ……。これ、お前の仕業か」
「如何にも」
ヴォーサゴは地に杖を突き立て、口端を崩す。
何も見えているはずのない目で全てを見通しているかのように、その笑みは悍ましい。
「……って事はお前を倒せば収まるんだな?」
「それは違うのぅ」
「何……?」
「倒せば、ではない。有り得ない過程はする物ではないぞ、小童」
「上等だ。目も見えない爺に何が出来る」
「そうじゃな、例えば……」
直後、メタルの持つ刀剣は自らに切っ先を向けていた。
あと数瞬でも気付くのが遅ければ喉元を裂き、血の雨を降らしていただろう。
彼は何が起こったのか理解出来ずも、自らの刀剣を持つ腕を押さえ込んだ。
「お前、何を」
「貴様に自死するかどうかを選ばせてやる事が出来るよのぅ」
ヴォーサゴは再び地に杖を突く。
それを合図にしてメタルの腕は急激に力を増した。
自身の知る限りの全力で自らの喉元を掻き斬るべく迫ったのだ。
彼は当然、それを全力で応じて封じたが、腕が止まる事はない。
その自分の腕は自身でも感じ取れるほど明確な殺意を持っているのだから。
「足掻けよ、小童。……死ぬぞ?」
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