物乞いの少女は微かに目覚める
【ギルド地区】
《医療所・灯火》
「……ぁう」
唸り声に近い音を漏らしながら、少女はゆっくりと瞼を開ける。
数時間前から幾度となく繰り返すその行為は未だ彼女の意識を覚醒させる事はない。
最早、本人に時間的感覚は残っていないのだろう。虚ろな瞳で周囲を見回すだけだ。
「あ、起きた! 起きましたよ皆さん!」
「し、静かにしぃ! まだきちんと目覚めてへんのに……」
自らを覗き見る女性の嬉しそうな顔と、微かに聞き覚えのある人の怯えた顔。
その他にも自身の周囲に幾人かの気配が感じられた。
ここは何処だろう。彼女がそんな事を感じながら、再び意識を闇の中へ落としていく。
その瞼は鉛のような重しとなって、意識を闇の底へと引き摺り込んでいった。
「あ、また眠ちゃった」
「うーん、やっぱり栄養不足が酷いみたいやなぁ。点滴続けなアカンしなぁ」
「命に別状は無いのだろう?」
「勿論! ウチは売れとらんけど腕は確かやで!」
えっへんと胸を張るケヒトと、それをガン見するスズカゼ。
彼女達を横目にフレースはただ苦笑を漏らしていた。
それとは別にニルヴァーは少女の目元に掛かった髪の毛を払い退け、微かな笑みを浮かべている。
ファナはその様子を特に気にするでもなく、滅多に人が通らない外の道を眺めていた。
「そう言えば」
「ん?」
「前々から思ってたんですけど、何で関西弁?」
「ん? 関西弁って何や?」
「ですよねぇ」
自分の出身地域と言葉が似通っているのは気になっていたが、まさか素とは。
この世界は現世と違って言語は共通しているし地域特有の鈍りは余り聞かない。
恐らくこの世界の歴史がそれを解き明かす鍵なのだろうが、そこを説明し始めるとジェイドに習ったあの忌まわしい勉学の数々が蘇るので割愛する。
宿題を半分にしてください。お願いですから。
「ま、それはそうとして無事……、じゃないけど命に別状が無くて良かったです」
「子供やから体も弱いねんしな。それに外傷も幾らか……」
ケヒトは苦々しく眉根を顰め、少女の細い腕をなぞる。
青痣や掠り傷の絶えない腕は余りに痛々しい。
その腕を見て不快感を抱いたのは決して彼女だけでは無かったはずだ。
「貧困街に近い物が、ここにもあるんですね」
「当然と言えば当然やけどな。この子、女の子やから腕っ節も強うない。せやからスリも出来んし強盗も出来ん」
「その結果が物乞いって訳ね……」
生きる術の一つだ。人や獣人に限らず、物を食い水を飲むには金が要る。
生きるためには金が要る。その為に人の同情を誘う物乞いは生きるための術だ。
それを否定するつもりはない。かと言って否定すべきはこの街の貧しき人が居る実情かと聞かれれば首は縦に振りかねる。
数日前の自分なら或いは、と思うが、ヴォルグの言葉を聞いた以上、そう容易く納得出来ないのは我が儘だろうか。
「取り敢えず、この子を暫く診て貰っても良いですか? まだ外には出れそうに無いし」
「ん、勿論や。ウチかて医者の端くれ! 患者が完全に治るまで面倒見るんは義務や!」
「よろしくお願いします」
「……スズカゼ・クレハ。汚い話になるが金はこちらで工面しよう。元はと言えば俺が関わった事だ」
「いえ、私にも出させてください。私だって関わろうとした事ですし」
「……申し訳ないな」
軽く頭を下げるニルヴァーに連れ、スズカゼも軽く頭を垂れる。
妙な沈黙が流れる中、ケヒトだけが慌ただしく治療のために動いていた。
点滴を変え布団を変え額に乗せた布を変え、汗の染みた衣服をはだけさせーーー……。
「男は出てった、出てった! ここからは女の子だけやで!」
「そうですよ! 女の子だけの空間ですヒャッハァ!」
「……スズカゼ・クレハも出て行かせた方が良いと思うわね」
「あ、じゃあスズカゼさんも出てって貰おーか」
「フレェエエエエエエエエエエエエエエエエエエーーーーッッッッス!!!」
《南部・住宅街裏路地》
「おう、じゃあ頼むわ」
男は目深に帽子を被った人物に手紙を渡し、微かに口端を緩ませながら手を縦に立たせる。
見たところ待ち合わせに遅れた恋人が謝っているようにも見えるが、場所が場所だ。
羽虫が這い獣の眼光が光る、人影など殆どない路地裏なのだから、そんな事は有り得ないだろう。
第一、男同士という時点でこの例えは間違っているかも知れない。
「報酬はどうする」
「あー、届け先から貰ってくれ。出来るだけ急いでくれると有り難い」
「無論だ。だが、本当にギルドを通さず依頼して良いのか?」
「あぁ、ちょっとな。これはお前個人への依頼だ、[韋駄天]」
目深に帽子を被った人物は男の言葉を聞いて、同様に口端を崩す。
金が貰えるのは良い事だ、また依頼してくれよ、と。
そんな言葉を残しながら、彼は光が照らす表通りへと出て行った。
「あーぁ、こりゃ帰ったら怒られるな……」
ボサボサの頭髪を掻き乱して、男は息をつく。
ギルドを通さず個人に配達を依頼した手紙。これが解決のツテになれば良いんだがな、と呟きながら。
「…………」
全く、どうしてこんな面倒事に巻き込まれたのか。
今回ばかりはスズカゼから巻き込まれに行った訳では無い……、とは言い切れない気がしないでもない。
そもそも、今回の一件はクグルフ国やトレア王国のような小国とが話が違う。
ギルドだ。四大国ですら無視できない規模の組織だ。
それの権力争いになど巻き込まれては傷を負うことは必須。
況してやスズカゼの現状を垣間見れば傷一つで命に届きかねない。
「ったく、こうなりゃあの手紙が功を奏すことを願うしかねぇかなぁ……」
余りに勝率の小さな賭けに望みを掛けて。
彼、メタルは空を仰いで遠く思いを馳せる。
フェイフェイ豚の焼き肉、手紙のインク代、用紙代。
諸々会わせて3000ルグ。現在の所持金2ルグ。
「……誰か助けて」
終ぞ金が尽きた男はフフッと悲しげな笑い声を漏らす。
重さを失った財布と尊厳を失った彼の願いは何処へ行くのか。
それはまだ、本人も知る所ではない。
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