狂気と凶器は親と子なり
《央館・ギルド統括長補佐執務室》
「入るぞ」
萎びた老体の声と共に木扉を叩く音が鳴り響く。
小刻み良く刻まれた音に反応して、室内から入れと声が掛かった。
老体は応対するよりも前に扉を押し、その背後に乱雑な男を連れて入っていく。
間もなく彼等が部屋に入りきり、老体の持つ杖がこつんと音を立てた頃。
執務室の主であろう男はゆっくりと顔を上げた。
「ご苦労。様子はどうだった、ヴォーサゴ老」
「この阿呆が先走っておったわ。全く、手間の掛かる」
「うるせーよぉ。言ったろ? 俺は楽しめりゃ良いんだ。テメー等の下らねぇ権力争いに付き合うつもりはねぇんだよぉ」
「それを黙認するわけにはいかんな。貴様は私の手駒だ」
低く、地の底を這うような声。
その持ち主はヴォーサゴ程で無いにしろ、かなり年を取っている。
それ故に貫禄があり、言葉の一つ一つに殺意が感じられた。
傍目に見てもザッハーに勝てる要素など万に一つもありはしないが、彼はその人物に抗おうとしない。
謂わばカリスマだ。サウズ王国において四天災者であるメイアに敵う者は居ないだろうが、ベルルークはどうだ。
バボックという男はイーグのみならずネイクにすら勝つことは出来ないだろう。
だと言うのに、その男は頂点に立っている。
それだけの、器がある。
「ラーヴァナ・イブリース。俺ぁお前の下に着いてんのは好き勝手させてくれるからだぜぇ? そうじゃなくなりゃ、離れるのも当然だろぉ?」
ザッハーの呼んだ名の持ち主こそ、件の中心に経つ一人。
ギルド統括長補佐、ラーヴァナ・イブリース。
権力闘争の一端に立ち、補佐派を率いる初老の男だ。
厳格な顔付きと険しい眼光が捕らえるのは眼前に立つ乱雑な人物。
その引き締まった口元から吐き出される言葉は肯定の言葉だった。
だがしかし、彼の白手袋が机上をなぞり作り出す思案は自身が吐いた皇帝の言葉を塗り潰して新たな案を作り出す。
「確かに、そうだ。私は貴様の自由行動を認めている。別段、そこに異議を唱える事は無い……。自身の言葉だから当然だ」
「そうじゃないだろう、ラーヴァナ。この男は危うくギルドを潰すところだったのだぞ」
「ヴォーサゴ老、貴方の言葉は尤もだ。確かにサウズ王国第三街領主伯爵のスズカゼ・クレハに手を出せばただでは済まない。事によってはギルドが各国を敵に回してもおかしくはないのだからな」
「そういう事だ。我々が成すべきは先の謝罪を持って……」
「良いではないか。殺してしまえば」
平然と言い放ったラーヴァナに、ヴォーサゴは指先を震わせザッハーは口端を裂くほどの笑みを浮かべる。
彼の発言はその後、微かな静寂を経てヴォーサゴに一つの結論をもたらす。
いや、正しくはその結論を知った、と言うべきか。
「……ヴォルグ統括長に全てを擦り付ける、と。そういう考えか」
「在り来たりだなぁ。どうせならヴォルグごと殺しゃァ良いだろぉ?」
「貴様は阿呆か。在り来たりという事は如何なる時代、如何なる状況でさえ用いる事が出来た万用の使法という事だ。親が子に幾多と決まり切った台詞を言い聞かせるように、のぅ……」
「だからこそ見破られやすいんだろーがぁ。力業で全部押さえつけるつもりか? ……まぁ、俺にはその方が楽しそうだけどなぁ」
パキンッ。
懐に突っ込んだ拳を鳴らし、彼は崩れ果てた口端を歪ませる。
狂乱の徒なる男の嗤いは最早、凶器に近い。
その存在だけで相手を悍ましく怯えさせる狂気。
狂気なる凶器の男に対し、ラーヴァナとヴォーサゴは何かを言うことはない。
それは暗黙の肯定。言葉に出す事なく、彼の枷を解き放ったのだ。
「ヴォーサゴ老。貴方の息子が属する[大赤翼]は西へ遠征中だったか?」
「さぁ、親離れした子供をいつまでも構っている訳ではない。我が子だ……、そう容易くは死にはせん」
「餓鬼贔屓だねぇ」
「実力を単純に捕らえているだけだ。だが、その事を確認すると言う事はザッハーと共に幾人か必要とするのだろう?」
「その通りだ。あのスズカゼ・クレハにはサウズ王国守護部隊副隊長ファナ・パールズと……、見知らぬ男が付いている。男はともかくファナ・パールズは驚異だ。スズカゼ・クレハ本人も少なからず力を持っている」
「それに見たところよぉ、[八咫烏]の連中も関わってるみてぇだぜ? ちくちく刺してくる羽虫に肉壁だ。面倒ったりゃねぇよ」
「……他にも、城壁の連中に話を聞けば[冥霊]のデュー・ラハンとも手を組んでいるようだな。幸いにもダリオ・タンターは居ないが……、あの男一人でも充分に驚異だ」
「くははっ。良いじゃねぇかぁ。俺は一匹一匹じっくり味わいたいんだよぉ」
指先を口端に引っかけ、嘲笑うと共に引っ張るザッハー。
その行為は幼子が玩具を前に遊ばせてくれと駄々を捏ねているようにも見えた。
本来ならばそれを止めるのが親の役割だ。子供は時として純粋な狂気を孕む。
狂気を孕んで、凶器を振り回す。
だから親はそれを止めなければならない。子が、狂気を愛し凶器とならない為に。
「良かろう。幾多か仲間を集めてくる。暫し待て」
「私も少しばかりは手を貸そう。この老体でもやれる事はある……」
だが、この場に子を制す親など居はしない。
当たり前だ。彼等、親も凶器を持って狂気を望んでいるのだから。
壊れた子供を連れた親が仲間を集め、何処に凶器を向けるのか。
それは明白の理だ。言うまでもない。
「……楽しもうかぁ」
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