盗み食いの貧乏医者
《北館・食堂》
「……スズカゼ、悪い事は言わねぇ。もう帰ろうぜ? このままだと間違いなく面倒事に巻き込まれる」
メタルはげっそりとした顔付きで、残り三枚となったフェイフェイ豚の焼き肉を突きながら呟いた。
対するスズカゼは湯気立つ鍋を前にして肉を通していた。
その表情は、と言うよりも興味は完全に食事にしか向いていない。
「やっぱしゃぶしゃぶ美味い」
「話聞いてくんない!? 何でお前自分で提案した料理食ってんの!?」
「最近は第三街にも帰ってなくて獣椎にも行けてませんでしたから。しゃぶしゃぶの味が恋しくなって」
「じゃあ、もう帰ろうぜ……。ホント、ここに留まるのはマズいぞ」
「マズいんだったらください」
「そっちじゃねぇよ! 肉ばっか食べてないで野菜食べなさい、野菜!! ファナに全部押しつけてんじゃねぇよ!!」
「だってファナさんが食べたいって」
「……言ってない。貴様が全て取っていくだけだろう」
「食べたいなら食べたいって言ってくださいよ。はい、あーん」
「メタル、貴様は今から目の前で起こる事故を見過ごすと約束するか?」
「いや、ちょっと了承しかねるわ……」
ザッハーとの一件を終えて、既に一時間ほどが経過していた。
彼等はフレースと一端別れ、食事休憩を取っているのである。
先述の通りメタルはフェイフェイ豚の焼き肉を、スズカゼとファナは同じ鍋でしゃぶしゃぶを突いている。
尤も、肉を食っているのはスズカゼで野菜を食っているのはファナなのだが。
「……だが、この男が言っている事も間違っていない。話に聞いても解るように現在ギルドはかなり面倒な状態にある。このままでは権力闘争に巻き込まれるのは必須だ」
「そうは言ってもねぇ。私、まだやる事あるんで」
「お前が何考えてるかは知らねぇけどよ。あのザッハーだのヴォーサゴだのに関わるのが面倒だ、ってのはお前も解るだろ? 実際、あの連中は今までのと比べ物にならねぇ」
「……シルカード国のウェーン・ハンシェル。奴も相当な実力者だったが、そもそも方向性が違う。あの男は町民に危害を加えはしなかったが、ザッハー・クォータンは平気で虐殺を行うだろう。奴はそういう人間だ。恐らく、ヴォーサゴ・ソームンも同様の人種だろう」
「んー、関わらないようにするしかないですね。実際、私も関わりたくないですし」
「そーゆー問題じゃねーの! あの様子だとヴォーサゴの御陰で退いただけで、あの野郎はまた来るぞ!?」
「その時は……、ここの修理費計算しないと」
「戦闘する気満々じゃねーか! その身体で出来る訳ァねぇだろ!」
彼が指すのはスズカゼの包帯だらけの体だ。
シルカード国での騒ぎから一週間と経たない今では傷が回復するはずもない。
実際は動くのも怠い状態であるはずなのに、この元気さは流石と言った所だろう。
だが、戦闘となればメタルも看過する事は出来ない。
何故なら、この面々では抑制となる人物が居ないからだ。
もっと騒いではしゃぎ回りたいのに片や面倒事を起こしまくり片や魔術大砲をぶっ放そうと殺気立つ。
自分の立場はいったいどうなってしまうのか……、と彼はフォークを肉へ突き立てる。
まぁ、その切っ先が刺したのはソースの掛かったサラダだったのだが。
「……俺の肉は?」
「いや、知らないです」
「お前だろ。と言うかお前しか居ないわ!!」
「いや、本気で知らない……」
彼女は言葉を遮り、自らの鍋に視線を向ける。
余熱でぐつぐつと煮える鍋の中には幾多かの野菜が入っており、ペクの実を付けて食べれば良い味を出すだろう。
うん、そこに文句はない。そろそろ野菜を食べようとも思っていた頃だ。
その為にはまず鍋に伸びている手をどうにかしなければならないだろう。
「ていっ」
「ゥィッッ!?」
魔炎の太刀を軽く振り抜いた彼女はにっこりと微笑んでいた。
その笑みは微かな悲鳴の元を辿って机の下へと向けられる。
無論、魔炎の太刀を構えたままで、だ。
「私とファナさんの食事に手を伸ばすとは良い度胸です」
「か、堪忍してやぁ! 肉の一枚ぐらい許して欲しいんやぁ!!」
スズカゼと同じく机の下を覗いたメタルとファナ。
彼等の視界に映ったのは薄青のボサボサ髪が特徴的な、黒縁の眼鏡を掛けた女性だった。
身嗜みは綺麗だ。衣服も高級品ではないのだろうが清潔感がある。
靴はサンダルで少し無精感があるが、まぁ、大きな問題ではない。
言葉使いも独特的だが声はよく通る印象的な声で、悪くはない。
ただ一つ問題があるとすれば、もう本能的に感じられる程の貧乏さである。
「……誰?」
「う、ウチはケヒト・ディアン言いますねん。ギルド地区で医者やっとります」
「はぁ、お医者さん。……何でお医者さんが人の食べ物盗もうとしてんですか」
「お金が無いんやぁ。堪忍してやぁ」
「医者なら金なんて幾らでもあるだろ。飯代ぐらい……」
「いンやぁ、器具買ったりしてたらお金なんてぽーんですわ。それにウチ、あんまり売れてないし……」
ケヒトと名乗った女医は愚痴をずらずらと並べていき、スズカゼも次第にそれに聞き入っていく。
メタルに至っては大変だなぁ、とかそうなのか、といった風に本気で聞き入っているようだ。
ただ一人、ファナだけがそれでも飯を盗み食いするのはどうなのだと眉根を寄せていた。
「って言うか何も俺達から盗まなくても……。俺やスズカゼはともかく、ファナ見りゃただ者じゃねぇって解るだろうに」
「いや、ちょいとした連絡をしようとしてな? 気付いたらお肉に手が……」
「連絡?」
申し訳なさそうにお肉は美味しかったと感想を述べる彼女は一先ず置いておいて。
スズカゼが聞き返した言葉に、ケヒトはそうですねんと独特な返事を返す。
「ニルヴァーいう人、知ってらっしゃいますやろ? その人にウチが連絡入れましたねん。預けとった女の子が目ぇ覚ましましたよー、って。ほったらあの人とフレース言う人も見に来る言うて。きっと今案内してる人も来るだろうから、言われましてな」
「あー、あの獣人の子! 良かった、目覚ましたんですね」
「ここから数十分ぐらい歩かなあきまへんけど、行きます? もうお二人は行ってる思いますけど」
スズカゼは元気に勿論と頷き、メタルも仕方ねぇなと言いながらも笑みを見せていた。
ファナは何処か不機嫌そうだが反対はせず、スズカゼの隙を見てしゃぶしゃぶの肉を喰らっていた。
だが、その中でメタルはふと異変に気付く。
そうだ。考えてみればおかしいではないか。
「……俺の肉って三枚あったよな? ケヒト、お前何枚食った?」
「え? ほりゃ一枚ですがな。そう何枚も食えるはずが……」
真顔で視線を前に向けた彼の瞳に映ったのはスズカゼとファナの口端に微かながらに付着したタレだった。
彼女達はメタルに視線を合わせること無く微笑み、肉を鍋の前から一歩退かせる。
「……あげませんよ」
「要るかボケェエエエエエエエエエエエエ!!」
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