暇人と元傭兵
《央館・廊下》
「にゅふふふふ」
えらく上機嫌な少女は豪華な装飾が施された廊下を闊歩していた。
彼女を率いるのは顔を真っ黒な布で覆い尽くした女性であり、嘗てヌエと呼ばれていた人物だ。
彼女はいつも通りの無言で冷淡な様子だが、自身の後ろに着いてくる面々の異様さには多少の違和感を感じているらしい。
現に数十歩進む度に自らの後ろを横目で確認する始末だ。
「おい、あそこで馬鹿に絡まれて青白くなってるお前の相方は助けなくて良いのか?」
「フレースには良い薬だ。尤も、アレは毒だがな」
メタルとニルヴァーは互いに言葉を交わし合いながら、眼前でスズカゼに腕を組まれたフレースへと視線を向けていた。
当のフレースは白に近い真っ青な顔で引き攣った笑みを浮かべながら、何処とない方向を見て微かな笑い声を零している。
まぁ、流石にこんな状況ではギルド統括長の執務室への案内役として駆り出されたヌエが不安になるのも無理はないだろう。
唯一、他と関わる様子無く歩いているファナですら、容易に感じ取れる殺気を放っている程だ。
如何に平和呆けした者でも、今の彼等を見れば関わらない方が良い部類だという事は嫌でも察しが付くだろう。
「……何か、悪いな。お前等まで巻き込んじまって」
「言ったろう。良い薬だ、と」
「でも毒なんだろ」
「あの程度の毒でフレースはくたばらん」
「顔真っ青なんだけど」
「……と、信じている」
「駄目じゃねぇか」
事の発端として、だ。
スズカゼはフレースと出会うなり、彼女を舐め回すように見回した。
嘗て自分を殺した人間が、否、獣人がどんな姿なのか興味があったからだ。
彼女曰くとんでもなくゴツい男か、とんでもなく眉根の深い狙撃者を想像していたようだが、実際はそんなものとは遠くかけ離れた獣人だった訳で。
スズカゼがフレースをこんなに気に入っている理由は何なのか、他の面々には解らない。
尤も、実の所はフレースならば何をしても怯えるばかりで抵抗しないからである。
具体的には尻を触ったり胸を揉んだり二の腕に頬擦りしたり。
……完全に変態である。
と、それはそうとして、だ。
そんな変態、基、スズカゼが怯える玩具で遊んでいた頃。
丁度、迎えの使者であるヌエが彼等の元を訪れ、ギルド統括長がお待ちです、と述べたのである。
これ好機とフレースはニルヴァーの手を掴んで逃げ出したが、さらにその彼女の手をスズカゼが掴み、一言。
この人達も一緒に行きます、だ。
その結果が現状の有様である。
因みに物乞いの少女はそのままギルドの受付に託したらしい。
元より預ける人間の決まっていた少女だ。彼女を届けるぐらい[八咫烏]の名を使えば難しい事では無い。
彼女はこれで一安心だろう、というニルヴァーの言葉に安堵したのはスズカゼだけではなかったはずだろう。
「しっかし、解んねぇなぁ。何でフレースはあんなにスズカゼを恐れてんだ? 別に、実力的なら……」
「いや、そうではない。フレースは四大国会議、或いは各国首脳会議の時にスズカゼ・クレハに命を握られている。今もスズカゼが気変わりして殺せと命じれば前のあのヌエが彼女の首を撥ねるだろうよ」
「あぁ、だから下手に逆らえないのか」
「尤も、スズカゼ・クレハの様子を見る限りそんな事は無さそうだ。フレースもフレースで仕事だからと割り切れば良い物を」
「あー、だから良い薬であり、毒でもある、ね。確かにありゃ効果覿面だが今のフレースにスズカゼは毒以外の何でもねーわな」
「全くだ。我が妻ながら心が弱すぎる」
「ま、普通は怯えるモンだろー……、え? ちょっと待って今看過出来ない言葉があった」
「言ってなかったか? 闇夜壊滅以降、我々は共に暫く旅をしていてな。その間に成り行きで俺は[八咫烏]に入り……、まぁ、男女が共に旅をするのだ。そういう事もある」
「せ、責任取ったのか」
「まだ籍は入れてないがな。近々、俺の名前もニルヴァー・ベルグーンとなる」
「何か知らない内に凄い事になってる。え、おめでとうございます……?」
「感謝する。ま、所詮は我々もいつ死ぬか解らぬ身だ。泡沫の幸福ぐらい望んでも罰は当たるまい」
「達観してるな、お前」
「斜に構えているだけだ。……何にせよ、貴様等と会えたのは僥倖だった。俺にとっては、だが」
「あぁ、うん。お前の嫁さんには同情するわ」
「同情か、長らく聞いていない言葉だな」
「お前みたいな奴が同情される事はねーだろ? 同情する事はあってもよ」
「だろうな」
「……そうだよ」
メタルは、敢えてその言葉を吐かなかった。
いや、言葉と言うよりは違和感かも知れない。
この男が闇夜という組織に所属していたのは知っている。
そして、その組織がゼルやジェイド、ファナやバルドによって壊滅させられた事も。
ならば、だ。余計に解らなくなる。
自らが所属していた組織が潰されたというのに、この男はどうしてこんなに気楽に生きて居るのか。
後悔や憎悪は、無いのか?
「貴様のような遊び人なら、察すると思ったのだがな」
「俺遊び人じゃねぇし。暇人だし」
「変わらないと思うが……。いや、それはそうとしても、貴様の考えている事など顔に書いてある。俺がどうしてごく普通に接するか、だろう?」
「……まーな。仮にもお前の組織潰したのは俺達だぜ? それを、どうしてこんなに」
「後悔が無いと言えば嘘になる。憎悪が無いと言えば嘘になる。……だが、それ以上に俺はこの光景を失いたくないし、この後悔と憎悪が何の意味も持たないと知っている」
「復讐は何も生まない。仲間はそんな事望んでいない、ってヤツか?」
「まさか。テロとリィンなら今頃、地獄で殺せ殺せの大合唱だろう。部下はその背景演奏だ」
「随分豪華な近所迷惑行為……。いや、尚更だろ? 仲間がそう言うなら」
「死人に口なし。奴等が本当に大合唱をしているかは解らない。確かに俺には復讐だ何だと否定する権利はない。時にはそれを代行し、人の命も奪ってきた。だが、それで俺達は生きてきたのだ。人の憎悪を糧にな」
「だから後悔は無い、と?」
「憎悪も然り、だ。当然の報いだったんだろう、俺達の最期は。いや、楽に死ねたのだから粋すぎた最期とも言えるな」
「解んねぇなぁ、お前の言う事は」
「解ってなる物か。道徳だ人心だと、そんな常識を彩る物は全て捨てた俺の身の上が、お前のような人間に解ってなる物か」
「……解っちゃいけねぇ物もある、ってか?」
「そういう事だ」
それ以上、彼等が言葉を交わし会う事は無かった。
世界を多く見回ってきた男と、世界で多く殺してきた男。
全く接点の無かった彼等が言葉を交わした先にあったのは、結局の所行き止まりの壁だけ。
いや、それも当然かも知れない。
彼等が存在する世界は同じでも、見ている景色は同じでも。
歩んできた道は、今立つその位置は。
全く、別の物なのだから。
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