閑話[性知識は適切に学ぶべきである]
《トレア平原》
「……思うんですけどね」
シルカード国より旅立ち、早数刻。
彼の国より派遣された獣車に乗る幾人かの中で、急にスズカゼが言葉を発した。
先程まで疲労の為かうつらうつらしていた者達も、彼女の声を聞いて瞼を挙げる。
「何だ。どうせ下らない事だろ」
「いやぁ、ミルキー様の性教育ってあのレベルだったじゃないですか。だったら皆さんはどうなんだろうかなぁ、って」
その言葉にゼルは硬直し、リドラは童話集に目を戻し、ジェイドは再び瞼を落とし、ファナは指先を動かす。
ただ一人、目を輝かすスズカゼの前に残されたのは硬直したゼルだけだった。
「…………うん?」
「いや、だから」
「二度も三度も言わなくて良いよ! お前何言ってんだ!!」
「だって気になるじゃないですか、ねぇ? こういう戦闘脳筋ってそういうのに疎いのがベタですし……」
「ちょっと何言ってるか解らない」
「性欲とかもあるんですか?」
「助けてジェイド」
「ぐー……」
「お前がそんな寝たふりしても可愛くねェんだよ!!」
「……質問に答えてやれば良いだろう。姫もそういう事が気になる年頃……、性格なのだ」
「何で性格って言い直したんですか、今」
「実際の所、我々も生物だ。獣人も生物学的には人間より性欲はある。繁殖能力が強いからな。個体数は人間に劣るが。……こういう話ならばリドラの方が強いのではないか?」
「生物学的な物ならば話に加わろう。だが、下世話な話は知らんぞ」
「……生物学的なのは大抵知ってるんで良いです」
「それは結構」
「いや、私が知りたいんはそうじゃなくて! 皆さんの性知識がどれほどかですねぇ!!」
「ゼルは知識は人並み、私は生物的知識ならば国家研修で教員を務めたこともある。ジェイドも人並みだろう。ファナは……」
「……知らんっ!」
「皆無、だそうだ」
「ファナさんは純情ですね」
「黙れ貴様! こんな物、知らなくても充分だ!! ちゅ、ちゅーして舌を入れれば子供が出来るんだろう!? ただのちゅーで意味が無いのはミルキー王女様が実戦した!!」
「そもそもキスすらしてねェよ!!!」
「えっ、あれだけ推したのにちゅーしなかったんですか!?」
「お前のせいで危うく一国消滅の危機だったのを自覚しろや馬鹿小娘がぁ!!」
「だって嗾けないと手ェ出さないじゃないですか」
「嗾けられても手ェ出さねェよ!!」
「真面目な話をするとだな、戦場じゃよくあった手なんだが、ハニートラップという物がある。男には女を、女には男を宛がう。要するに誘惑させるんだが……」
「あぁ、話には聞いた事ありますよ。確かにこの面々には効きそうにありませんね」
「と言うわけで、ある程度の分別は付けるのだ。早々簡単に理性を外す事はない。姫も幾多の戦人に会って来ただろうが、色欲を前面に押し出した者はそう居なかっただろう?」
「えぇ、まぁ。そうですよねぇ、ハニートラップなんかに引っ掛かってちゃ……」
二人の会話を聞きながら、ゼルは顔面を青く染めていた。
青く、と言うよりは最早白い。ファナはその様子を感じ取って、ある男の事を思い出した。
「オートバーン……」
「止めろファナぁ!! その名前を俺の前で口に出すなぁああああああ!!!」
突然の絶叫に皆の視線がゼルへ向けられ、皆が同様にその真っ青、否、真っ白な顔を見た。
何があったのか、とスズカゼがファナに問うが、彼女は何も言わない。
正確にはゼルの真っ白な顔の中に浮かぶ阿修羅が如き眼光に何も言えない状態である、と言うのが正しいのだが。
「あ、オートバーンってベルルーク国の」
「スズカゼ、世の中には色んな事がある。人には知られたくない事だってあるんだ。解るな?」
「あ、はい……」
ゼルの殺気、と言うよりは悪寒が獣車内に伝染していき、やがて喋る者は誰一人として居なくなる。
ひしひしと獣車を軋ませるような気まずさは外で獣を操る操縦者にまで伝わるほどだった。
「……掘られたんですか?」
「やれ、ファナ」
「断る」
「この前、スズカゼがお前の風呂覗いてたぞ」
獣車の顔横を魔術大砲が通り抜け、眼前の大地を焦がす。
その結果、獣車が横転しそうになったのは言うまでもない。
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