御伽噺と童話の終わり
「それは、どういう意味ですか?」
「そのままの意味です……。だって、ウェーン兄さんが来たのは」
その先の言葉を。
ウェーン・ハンシェルは嘗て祖国を裏切った自分達を狙ってきた、という言葉を。
だから私は死んであの人に王位を譲るべきなのだろう、という言葉を。
この国をこれ以上の危険に晒させない為に、という言葉を。
あの人の方がきっと王には相応しいだろう、という言葉を。
彼女は大きな息と共に、飲み込んだ。
「そこから先を言わなかったのは懸命です。彼等に聞かれますからね」
ゼルが首で指した方向に居たのは、国民達だった。
鍋を頭に被ってヘルメット代わりにしたり、包丁や桑、鋤などを武器代わりにした国民達。
彼等は姫の名を呼び、不審な連中を見たという青年を筆頭に王城へ乗り込もうとしていたのだ。
姫様は無事か、姫は俺が守る、農民舐めんな、と叫びながら。
「国民が居ます。貴女は彼等を守るべき立場だ。守られるべき立場だ。死ねば良いなど、言わないでください」
「……私、は」
「無論、それが選択ならば私はどうこう言いません。貴女の人生は、貴女が決めるべき事だ。生も死も、何もかも」
ゼルは指先を組み、視線を落とす。
彼女の人生を曲げる事を嫌うように、彼は言葉を避けたのだ。
思うに、ゼルの中では自分とミルキーの立場の相違があったのではなかろうか。
死の淵に立つ自分と光の下に立つミルキー。
自分が関われば必然、彼女を死の淵側へと引き摺り込んでしまう。
彼はそれを嫌ったのだ。だから、避けた。
「……今回の、いえ、事件の方ではなく。見合い話ですが、遠慮しておきましょう。色々とあって有耶無耶にこそなってしまいましたが」
「……そうですね。これ以上ご迷惑をお掛けする訳にはいきません。お腹の子供は私一人で」
「いや、出来てませんからね?」
「え? だってあの夜……」
「畜生、この国の性教育はどうなってやがるんだ」
取り敢えずは一般レベルである、と。
この国の民が居るならばそう言いそうなのは置いておいて。
ミルキーは何が何なのか解らず首を傾げ、ゼルは顔を両手で覆う。
決別が少女にもたらしたのは決意だったのだろう。
御伽物語から、童話から目覚めるための、初恋の終わり。
「ゼル様」
「ん? 何です?」
「ありがとうございますっ!」
少女のお礼に、男は照れくさそうに頭を掻く。
彼がどういたしまして、と言葉を返すのは蒼空に流れる雲が見えなくなった頃。
国民達の声を聞き、ゼルのお礼を受け、少女は嬉しそうに頬端を紅く染めていた。
《王城・広間》
「もげぁっっ!?」
「姫が何か言おうとして舌を噛んで血を吐いたぞ」
「状況説明は有り難いが布を噛ませてやってくれるか、ジェイド」
口に白布を咥えさせられながら、涙目のスズカゼはゼルに向かって身を乗り出した。
ゼルが言ったのは今すぐこの国を去る、という事だったのだ。
彼女が身を乗り出して聞きたくなるのも当たり前だろう。
「俺達はどうにかウェーン・ハンシェルの目論見を阻止した。だが、これが指し示すのは単純に標的が俺達に変わった事になる」
「何故だ? 聞けばあの男の目的はこの国の乗っ取りだったそうだが」
「乗っ取った後も、障害になる物があるのなら潰すのが常だろう」
「……成る程な」
「と、言う訳で俺達は早々に国を去る。怪我に関しては我慢してくれ。別荘で療養するしかない」
「いや、そちらの方が都合良く進むかも知れん。確か傷害研究の為に購入した治癒魔法の魔法石があったような……」
「尚更、都合が良い。この王城の執事やメイドもあと数日で戻るそうだ。俺達が居ては邪魔になりかねない」
彼の言葉にスズカゼは納得がいかず、リドラは従い、ジェイドは何も言わず、ファナは一度だけ頷いた。
未だ状況説明を求めるスズカゼを放置して、他の面々は荷物を纏めに一つ上の階へと上っていく。
ろくに立てないのはスズカゼだけだ。
お前はまだ寝ていろ、と言葉を残してゼルも部屋を後にした。
「ゼル」
しかし、リドラはそんな彼を呼び止める。
片足を階段に掛けたまま、彼は半身を振り向かせてゼルへと声を掛けたのだ。
ゼルもそれに呼応こそするが、真っ直ぐ視線を合わせようとはしない。
「真意は、何だ」
「…………何の事だ」
「言わないなら言い当ててやろうか。お前はウェーンを利用しようとしている」
リドラの指摘はゼルの眼を微かに細めさせる。
彼はそれでも何かを言うことはなく、沈黙を守っていた。
沈黙は了解と受け取るぞ、とリドラは言葉を続け出す。
「確かにミルキー女王を殺そうとしたのは奴だ。だが、他の、彼女の両親や兄はどうだ? 襲撃があったと聞くが、兄は毒殺だったそうではないか」
「……だから?」
「彼女の家族を殺したのはウェーンではない」
再びの、沈黙。
答えを受け取ったリドラは足を階段から外し、完全にゼルへと向き直った。
周囲に人は居ない。ここも微かな蒼空こそ見えるが、その隙間からは何も覗かない。
彼等の会話を聞く物は誰も居らず、姿を見る物も誰も居なかった。
「ウェーンほどの実力者だ。仲間もギルドから人員を傭うだけの金銭もあるのなら、こんな小さな国を落とすのにそう時間は掛からなかったはずだろう。ならば、考えられるのは……」
「ウェーンの傘下に居た男だ。俺が真っ先に殺した、あの男」
「だろうな。あの男が率いていた部下共がこの国を襲った。ミルキー女王の家族を襲った。恐らくはそれをウェーンが傘下に引き入れたのだろう」
「ウェーンはその事を知っていたと思うか?」
「どうだかな。ジェイド曰く男と共に来ていた連中の方は何も知らなかったらしい。目的は、な」
「男だけだ、と? この国を狙っていたのは」
「単体だけでは不可能だろう。ならば仲間が居たと見るのが当然だ。そして、そう考えると答えも見えてくる」
「……その通りだ。ウェーンは言っていた。自分の目的は理解して貰えないかも知れない、と」
「つまり、誘いに乗らなかった連中が居るという事だろうな。男には仲間が居てウェーンはそれを誘った。金も払ったのだろう。だが、それでも従わなかった奴も居た。……そんな連中が疲弊した今のシルカード国を襲わないはずがない」
「だが、一度獲物に狙いを定めた蛇が横取りを見過ごすはずがない。……その獲物が相手を返り討ちに出来る状況なら、話は別だろうがな」
「そして一度返り討ちにされた蛇は相手を注意深く観察する。それこそ次は決して怪我を負わず確実に仕留める為ーーー……、か」
ゼルは歩を進め、階段に足を掛ける。
隣でリドラが気難しそうに眉根を寄せているのにも構わず。
物言わず、上がっていく。
「賭けだ。一時凌ぎだ。……それでも、良いのか」
「それしか術はない。最も長く、確実な術だ」
それ以上は何も言えなかった。
いや、言うべきでは無かったのだろう。
これは全てがめでたしめでたしで終わる御伽噺でも童話でもない。
必ず何らかの、決着が要る。
「……また婚約は見過ごしか」
「仕方ねェだろ。どうにもならん」
「どうにもしない、の間違いだ。死ぬまでに結婚できるのか、お前は」
「無理だろうな」
やはりか、と息を吐き捨てて。
リドラは彼の後ろに着いて、共に階段を歩き始める。
微かに見える蒼空を背負って、ゼルは小さく呟いた。
「俺に出来るのは精々……」
【トレア平原】
「こんな目論見ぐらいだろう、と」
黒衣の男は手の中から紅色の塊を捨て去り、踵を返して仲間の元へと戻っていく。
朱色の頭髪を揺らす獣人と、それに支えられる一人の男。
彼等の目に映るのは黒衣の男が潰した何十人分もの肉塊だった。
「えぇ、ゼル・デビットはそう考えるでしょう。そして、それは的を射ている」
「乗るのね? その誘いに」
「乗りますとも。その為には暫く、貴方達の手を借りなければならない」
「給料は弾んで貰うぞ」
「えぇ、勿論。これからもお願いしますよ」
肩を支えられた男は汗ばんだ頬を歪め、白い歯を外気に晒す。
その眼に映る濁った景色を眺めながら彼はその名を述べる。
「[八咫烏]さん」
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