紅色に染まる蛇
「ッ!」
スズカゼの瞳に映るのは鉄塊だった。
豪速などという言葉では生温い速度で振り下ろされる、鉄塊。
彼女はその一撃を受けるのではなく太刀の背で受け流し、鉄塊を地面へとめり込ませる。
さらに彼女は追い打ちを掛けるが如く鉄塊を踏みつけて足場とし、ウェーンの顔面へと脚撃を振り抜いた。
「舐めないでいただきたい」
彼はスズカゼの脚撃を受け止め、そのまま掌握。
丸太でも振り回すかのように大きく振って、地面へと叩き付けた。
「く、がっ……!」
自身の体重に加速まで加わった衝撃をもろに受け、スズカゼは口から鮮血を吐き出す。
口内と舌先、喉奥から血が溢れているのが解る。
一瞬だけ意識が白くなりかけるが、少女は即座にそれを引き戻した。
それでも隙は出来る。明確な、ほんの一瞬だけの隙。
ウェーンが少女を鉄塊で押し潰すには充分な隙が出来るのだ。
「なっ……!?」
だが、ウェーンが地面から鉄塊を引き抜くことは無かった。
否、引き抜けなかったのだ。
スズカゼは鉄塊を足場にした瞬間に体重を掛け、深く地面に沈めたのである。
それでもここは硬質な土である訳ではない。出来る隙は一瞬だ。
だが、その一瞬さえあれば少女が脱出するには事足りる。
「く、ははは……。思わず笑ってしまいますよ。本当に貴女、ただの貴族ですか?」
「その言葉、そっくりそのまま返しますよ……! 片腕千切れてるのに戦うなんて人間止めてますね……!!」
「私はもう……」
スズカゼの眼前は、黒く染まる。
水や泥をかけられた訳ではない。何かが急に彼女の眼前に現れたのだ。
いや、彼女の眼前へと放り投げられたのである。
「貴族じゃありませんよ」
それがウェーンの右腕であるとスズカゼが気付いたのは感触故だった。
つい先程まで血の通っていた肉塊の悍ましい感触。
彼女は眉間にそれが衝突すると同時に振り退けるが、次に見えた光景に愕然とするしかなかった。
蛇鎖の巻き付けられた左拳が、彼女の眼前で血管を浮き上がらせていたからだ。
「蛇喰」
顔面の衝撃は、痛みよりも前にまず身体の躍動を訪れさせた。
解るのだ。自身の体が容易く吹っ飛ぶのが。
男の拳撃一つで、自身の身体が紙切れのように吹っ飛ばされるのが。
「黒緑の蛇鎖」
しかし、その衝撃も一瞬で静止される。
吹っ飛んだはずの全身はその衝撃を否定するかのように急激に停止したのだ。
激痛に身を悶えながら眼を開いたスズカゼの視界に映ったのは、自身の身体を束縛する黒緑の鎖だった。
「しまっ……!」
「蛇喰」
腹部にめり込む拳が内臓を潰し、胃液を押し上げる。
限界まで開かれた口腔からは胃液ではなく血液が吐き出され、ウェーンの顔に奔る一文字を黒紅に染めた。
無論、束縛した敵を前に一撃で終わるはずも無い。
容赦なき全力の拳撃がスズカゼを襲い、彼女が息つく暇も無く腹部や折れた左腕へと撃ち込まれていく。
「四国大戦以来ですよ、ここまで拳を振るうのは」
「か、ぁっ……!」
「大剣はあくまでお飾り。それでも本気を見せないための仮面として使えるので気に入っていたんですがね」
めぢっ。
潰れた。内臓が一つ、間違いなく。
肺か腎臓か胃か腸かは解らない。
だが、この感触は間違いなく腹の中が潰れた感触だ。
「貴女もよく頑張った……。ですが、相手が悪かったですね」
スズカゼの意識は最早、殆ど無い。
全てが夢心地のように、痛みだけが世界のように襲い来る。
肌に触れる外気すら痛みの元となり、外部と内部から攻め来る激痛。
紛う事なき死という文字が、少女の脳裏を擦り始めていた。
「輝鉄の剣王」
その文字を掻き消すが如く、振り抜かれる一閃。
それは文字通り光の結晶であり、ウェーンの鎖を弾き飛ばすには充分な一撃だった。
いや、正しく言うなれば。
ウェーンの鎖ごと、城の半分を吹き飛ばし彼方に斬撃痕を刻むには充分な一撃だった。
「……まさか」
眼前を覆った刹那の光輝。
ウェーンはそれが何なのかを判断するよりも前に、捕らえていた少女が地面に落ちるよりも前に。
恐怖を、殺意を、悪寒を、危機感を、感じていた。
〔万物に這う蛇は尾を呑む! 黒鱗と緑鱗の入り交じる生命は毒を生みて大地を濁す!!〕
振り向き様に、ウェーンは左手を振る。
魔力の収束された腕は鎖と同じ黒緑の光を放ち、殺意を凝縮させていく。
だが、彼は気付いていた。
自身の輝く左腕より、その殺気よりも。
遙か、比べる事も烏滸がましい程の輝きと殺意が自らに向いているのを。
〔赤子の喉を食い千切り! 手足を鎖にて巻き折り臓物に毒を仕込む!!〕
男の表情は逆境故に覗えない。
それでも解る。それだからこそ解る。
あの男は腕を振り下ろすつもりだ。周囲の被害など顧みずに、腕を振り下ろすつもりだ。
馬鹿なのは自分だった。あの男を、高が二人程度で止められるはずがない。
保険として置いてきたあの女も所詮は傭われ。引き下がっても何らおかしくはなかったのだ。
〔悲痛なる叫びの元に歓喜の産声を挙げよ! その狂乱なる姿を世に晒せ!!〕
振り返りきり、詠唱を終えたウェーンの視界を埋め尽くした物。
それは比類無き光の空と、圧倒的な殺意の束だった。
生きる事を諦めるという選択肢が迷い無く彼の脳裏を横切るほどに。
光の天は余りに、圧倒的だったのだ。
〔魔蛇の毒鎖!!〕
「輝鉄の剣王」
激突する蛇鎖と輝剣。
周囲一帯を破壊するほどの衝撃は、地面に転がる少女を容易く吹き飛ばす。
それは隣の王城で怯えていた少女の気を失わせるにも、また充分な衝撃だった。
彼等の激突は事態のピリオドとなり、譜面を焼き尽くす業火ともなる。
ただの騎士物語だったはずの話はいつの間にか、戦乱動話と成り果てていたのだった。
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