貴公子の人生
《王城・庭園》
「……いづっ!?」
土煙が舞う中でスズカゼは立ち上がり、反射的に左腕を押さえた。
その反射の原因は言うまでもなく激痛による物であり、感触的に恐らく折れている。
先程の落下の時、無理に放った一撃はウェーンの掌底撃だけでなく自身まで吹っ飛ばしたのだ。
その結果、落下の衝撃こそ和らぎはしたものの、高さは自身の骨が折れるには充分な物だったらしい。
尤も、受け身も取れず肩から直下に落ちたのだ。例え一階分の高さだったとしても折れていたかも知れない。
「……けど」
それは、受け身を取る事が出来なかった程、自分が吹っ飛ばされたということ。
裏を返せばそれ程の威力をウェーン相手にぶつけた事になる。
意識してやった訳ではない。間違いなく偶然だ。
あの状況で魔力放出の一撃が放てたのは極限状態だったからと言えばそれまでだろうが、さて、もう一度同じ状況が訪れたとしても確実にアレを撃てる自信はない。
いや、撃てるはずはないと確信するだけの自信ならある。
……あっても困るのだが、こんな物は。
「それは、そうと」
スズカゼは衣服で隠れているが、恐らく腫れ上がっているであろう左腕から視線を外す。
次に眼を向けた先は自分の周囲を覆い隠す物と同じ、土埃だった。
何も見えない。舞い上がった土埃は周囲の形も、地面すら覆い隠すように広がっている。
それでも解る。その先に奴が居るという事は。
「……嗚呼、全く」
土煙を裂くように、その男は這い出てきた。
這い出ると言っても這いつくばって出て来た訳ではない。
蛇のようにのそりと、純然で圧倒的な殺意を持って。
千切れかけた右腕をぶら下げながら、牙を剥いているのだ。
「計算外な事この上ないですよ……。貴女にこれ程の実力があったとは」
「そう思うなら退いてくれません? 本気を出すのもほとほと疲れますんで」
無論、ハッタリだ。
あんな技がそう何度も放てるはずがないし、本気など疾うの昔に出している。
見たところ相手も相当の、いや、致死に至ってもおかしくない傷を負っている。
この場で退いてくれれば仲間にも撤退命令を出すだろうし、こちらも体勢を立て直せるはずだ。
そう、ここで退いてさえくれればーーー……。
「お断りです」
「はぁっ!?」
「お断り、と言ったんですよ。私は退きません」
「……片腕千切れかけた状態で戦うつもりですか? 死にますよ?」
「片腕が使えないのは貴女も同じでしょう。それにね、高が命一つ失うからと言って目的を諦められるほど、私も馬鹿じゃないんです」
ウェーンの表情に覚悟などない。
あるのは呆れだ。どうして今更そんな事を聞くのか、という呆れ。
彼にとっては命すら道を固めるための道具に過ぎないのだろう。
覚悟など必要無い。必要なのは結果だけ。
スズカゼは漸く気付いた、漸く再認識した。
この男は狂っている。国の再建という妄執に取り憑かれた憐れな男だ。
その為なら命すら捨て、その為なら誰であろうと殺す。
そんな、化け物のような男だ。
「諦めない。諦めるわけにはいかない。諦められるはずがない」
ウェーンの千切れかけた右腕は血肉より這いずり出た蛇鎖が結合、否、束縛しどうにか形を保たせる。
それこそ、本当にどうにかと言った物で、無理やり縛り上げた傷口からは血液が溢れ出している有様だ。
余りに生々しく、痛々しい。
見るに堪えないその光景を前に、スズカゼは明確な嫌悪感さえ覚えていた。
「怪我が何です。片腕が何です。命が何です。私は全てを復興させる。あの国を復興させ、再び足掛かりを作る」
「……解りませんね。どうして、そこまでするんですか」
「解らないのは私の方です。貴女は恐ろしくないのですか? 悔しくないのですか?」
「な、何がですか?」
「有象無象の中に溺れる事です」
「……はぁ?」
「貴女はこのまま死ねば有象無象の中に死んでいく。歴史に名を残すことも人生を忠実させる事もなく、道端に転がっている人々のように、金で肥え太った豚のように、死んでく。彼等と同類になって死んでいく。それが恐ろしくないのか、と聞いているんです」
「益々、解りませんね。行きすぎた向上心、って所ですか。貴方の言っている事は確かに正しいのかも知れません。上を目指すのは良いことだと私も思います。だけど、貴方は根本的に手段を間違えている。歪んでしまっている。こんなやり方で民が着いてくると思いますか? こんな、奪うようなやり方で」
「……質問の意図がわからなかったようなので、再度聞きます。貴方は怖くないのですか? 有象無象の中で」
「怖くない」
「…………ほう」
「これは私の人生です。どんな失敗も成功も、困難も苦境も、全てが私の人生を彩る色だ。それを塗り潰して、無理やり作り替えて自分の望む人生にしようだなんて思わない。それはもう、作られた人生だから」
彼女の言葉がもたらしたのは静寂だった。
ウェーンは何も言わず、スズカゼもそれ以上は何も言わない。
彼女達の静寂は土埃が収まり、周囲を露わにするまで続いた。
周囲の光景を瞳に映し、納得し、何処か諦めたように口を開いたのはウェーンだったからだ。
「まぁ、予想通りですね。貴女のような人間には断られると思ってました」
「……私はそれが正しい、あれが間違っているなんて胸を張る事は出来ません。無論、それをしなければならない時もあると断言します。けど、今はその胸を張るときじゃない」
「それは、何故?」
「貴方が純粋に狂っているから」
「……狂っている、ですか」
「間違っているだとか、それは悪だとか。そんな言葉じゃ貴方が止まらないのは解りました。だから、私は敢えてこう言いましょう」
折れた左腕をぶら下げながら。
紅蓮の太刀を右手だけで構え、少女は言う。
敢えて自身の傲慢を押し出すように笑み、眼光を尖らせながら、言う。
「お前の行いが気に入らない。だから潰すーーー……、と」
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