閑話[足濡らす汚濁と血]
【サウズ王国】
《第一街地下・下水道》
「くそっ……! 単純な仕事だったはずなのに……!!」
吐き捨てるようにそう零す男の手には、凄まじく乱雑に縛られた包帯があった。
いや、もう包帯と呼んで良いのかボロ布と呼んで良いか解らない程に血で汚れてしまっている。
そして、本来ならばその包帯に包まれているはずであろう手は、何処にも無かった。
「ウダウダ言っても仕方ねぇだろうが……! 今は脱出する事だけ考えろ……!!」
そんな彼の前方で足を引きずりながら歩く、黒尽くめの男。
彼だけではない。他の、手に包帯を巻いた者も魔法杖を持った者も。
彼等は等しく足を引きずっていた。
その原因は下水だ。
サウズ王国外に繋がる地上以外の道であるこの下水道。
生活排水など、様々な雑菌が大量に混じった水だ。
そんな水の中を外傷を負った彼等が進んで無事で済むはずがない。
現に、既に発熱や嘔吐など、様々な症状が出てしまっている状態だ。
だが、それでも出なければならない。
この国から脱出しなければならないのだ。
「依頼主め……、まさかこんな通路を用意していようとはな」
「有り難い話だ。逃走経路があるというのは」
「……裏を返せば我々が失敗すると危惧していた、とも言えるがな」
男達は虚ろな意識を保たせるように言葉を交わし続ける。
そうしなければ、意識が途切れてしまいそうで。
「えぇ、その通り」
だが。
彼等の、余りに微かな意識は。
その男によって、ハッキリと目覚めさせられる事となる。
「王城守護部隊長……、バルド・ローゼフォン……ッ!!」
「随分と苦労しているようだけれど、このまま逃げ切れるかな?」
「だからこそ貴様が来た。……違うか」
男の言葉に、バルドは仮面のような笑顔に、何処か色を含ませる。
黒尽くめの者達は大してそれを気にすることもなく、バルドの元へと歩き出した。
彼等の言う[依頼主]が、この通路を紹介すると同時に用意した案内人。
誰か、までは聞いていなかったが、それがバルドだったのだろう。
まさか彼等も王城守護部隊長が直々に出てくるとは思ってなかったようだ。
だが、今はそれよりも、早くこの男に着いて地下下水道から脱出しなければならない。
もう身体的にも限界だ。このまま、ここに居ては本当に死んでしまう。
「バルド・ローゼフォン。依頼主は何と言っていた? 別の組織に依頼するのか、それとも再度依頼を出すのか?」
「……少し話をしようか」
黒尽くめの者の言葉を風音のように聞き流し、バルドは微かにそう呟いた。
男達は何の事か解らないように小首を傾げるが、それでも彼の仮面が揺らぐことはない。
「ある男が居た。貧しい男でね、第二街に暮らしているというのに、ゴミ箱を漁るのが日課なほどにね」
「何の話だ?」
「その男はある人に仕事を依頼された。子供からカードを奪う簡単な仕事さ。まぁ、思わぬ邪魔があって失敗したようだけれどね」
「……あぁ、あの男の話か。別段、気にするほどでもなかろうに。奴のアレは結局のところ[オマケ]だったのだろう? ……いや、本命を失敗した我々の言葉ではないか」
「あぁ、いや。そうじゃないんだ。私が言いたいのは変化でね」
「……変化?」
「そう。また別の話になるけれど、ある少女が居た。若干15歳にして王城部隊副隊長にまで上り詰めた少女だ」
「……我々の前でその小娘の話題を出すとは、些か無遠慮ではないか」
「まぁ、聞くと良い。……その少女は嘗て獣人に襲われた事があってね。何、ただの強盗だったのだが、ぬいぐるみすら手放せない歳の子供が返り血を浴びて息を荒げ、ナイフをギラつかせる強盗を見ればどうなるか……、言わずとも解るだろう?」
「……それで極度の獣人嫌いだった、と」
「だが彼女はそれを乗り越え、獣人の少女を魔の手から救った」
「…………先程から、少々、口が過ぎるな」
「最後まで話は聞く物だよ。……私が言ってるのはね、彼等の過程などではなく結果。彼等が変われたか、変われなかったかの結果なのさ」
「どういう事だ……?」
「変化の話だ。変わる者と変わらない者。それが、今回の件での差……、とでも言うべきかな」
「……意味が解らんな、バルド・ローゼフォン。まさか、それが言いたい為にここに来た訳ではないだろう? 話は後で聞く。早く外へ案内してくれ」
「意味が解らない、か。当然かも知れないね。だからこそ君達には理解出来なかったのかな?」
「何がだ」
「国家とは至高であってはならない。また、至低であってはならない。国家とは常に普遍であり不変であり不偏でなければならない」
「……何?」
「つまりは現状維持とでも言おうかな。それが国を守る上で最も最適な方法なのだよ」
「バルド・ローゼフォン。何が……」
刹那。
鋼鉄を拳に纏った男の顔面は、破裂した。
水風船に針を刺したように、パチン、と。
余りに呆気なく、余りに一瞬で、余りに残酷に。
その命に、終わりを迎えた。
「言ったろう? 最後まで……、最期まで話は聞く物だ、と」
「き、貴様っ……!?」
「あぁ、そうそう。何か勘違いがあるようだから言っておこうか」
バルドは足首まで浸かっていた下水道から、足先を引き上げる。
それと同時に水面に浮かび上がってきたのは、先程の男と同様に、原形を留めていない肉塊だった。
そう、本来ならば黒尽くめの者達を外まで案内するはずだった、肉塊。
「私は別に君達を案内するためにここに来たんじゃない。我が儘な女王様の頼みでね。……寄生虫の産みだした羽虫を潰せ、と」
「バルド・ローゼフォン……! 貴様ぁああああああ!!」
「あぁ、そうそう。もう一つ」
魔法杖を持った男は即座に幻術を発動。
バルドの視界には何も映らなくなり、音すらも途絶えてしまう。
その隙に魔術師である、手に包帯を巻いた男が魔術を発動する。
幾方向からも迫る不視無音の攻撃。
バルドの視界に映るのは未だ静寂の中に沈む二つの肉塊のみ。
「私も現状維持主義なんだ」
《王城・女王私室》
「失礼します」
「あら、バルド。処理は終わった?」
「えぇ、それが少しハメを外しすぎましてね。お恥ずかしい話」
「……珍しいわね。下水道、処理班回しましょうか?」
「いえいえ! 既に回してますから。ご心配なく」
「あら、そう? じゃあ、もう仕事は終わりかしら」
「えぇ、これで終了です。…………おや、それはバッペル酒では?」
「そうよ。あの馬鹿が持ってきたの。飲む?」
「あの方ですか……。毎度毎度、ろくな物を持ってきませんねぇ」
そう言いつつも、バルドはバッペル酒の瓶を持ち上げた。
いざ喉に流し込もうと意気込んだは良いが、どうにも軽い。
もう殆ど飲んでしまったのか、と思ったが中身を確認してみるとーーー……。
「……殆ど所か、全部飲んでるじゃないですか」
「少しは残ってると思ったんだけどね。じゃ、瓶捨てといて」
「初めからそれが目的ですか……。それならそうと仰ってくださいよ……」
バルドは呆れ混じりのため息を吐き出し、瓶を空中へと放り投げる。
刹那、月明かりだけが照らし出す室内に一瞬だけ藍紫の光が駆け抜けた。
それが何だったのか、目視出来るほど存在していた訳ではない。
だが、メイアはそれを見慣れているかのように、ただ眼を細めていた。
「……では、私はこれにて。色々と仕事もありますからね」
「えぇ、ご苦労様」
メイアはバルドに手を振り、彼もそれに応えるように一礼して私室を去って行った。
扉が閉まり、私室に残されたのはメイアただ一人。
彼女は天窓を眺め、そして瞳を閉じて小さく呟いた。
「……本当、良い部下を持ったわね」
無論、彼女の言葉を聞く物は誰一人として居ない。
もし居るとするならば、それは、天窓より降り注ぐ月光の主だけだろう。
尤も、彼女ならばその月光の主すら嘲笑うだろう。
天から見下ろす我が国はどうだーーー……、と。
《第一街地下・下水道》
「これはっ……」
バルドの命により地下下水道に向かった王城守護部隊員達。
彼等が最も始めに視界に映したのは、人間だった肉塊などではなかった。
下水道の汚濁水すら埋め尽くす銀と鉄。
大方、自分達が知って居るであろう古今東西全ての武器の数々。
それが王城守護部隊員である彼等の視界を埋め尽くしていたのだ。
「うわっ……」
思わず嘔吐感を抑えるために口を押さえる隊員達。
当然だろう。
下水に塗れ、物量という圧力に押し潰された人間だった物を見れば。
血肉というそれすらも、全て刻み、押し潰し、磨り潰したそれを見れば。
こうして、事件は一段落を迎える事となった。
勿論、地上で過ごすスズカゼ達がこの件を知るはずはない。
下水道以下の戦いを、彼女達が知るはずもないのだ。
だが、こうして国の安寧を願う者も、また。
汚濁水に足を濡らし、血肉を浴びているのも事実である。
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