鑑定士リドラ
【サウズ王国】
《第二街東部・ゼル男爵邸宅》
「ハロウリィ」
「お、お早うございます」
庭を掃いていたメイドに対し、挨拶を交わしたのは手入れという言葉が存在しないかのようなボサボサの紺藍の長髪を腰元で結んだ男だった。
白衣を身につけ、腰に何かL字の針金でも入れているのかと思うほどに猫背な彼。
夜に遭遇すれば迷わず悲鳴を上げてしまうほどに、彼は薄暗い存在だった。
とは言え昼間に遭遇しても不気味なので、メイドは思わず顔を引き攣らせてしまう。
「あぁ……、そうだ」
男は何かを思い出したかのように空を見上げ、擦れ切れそうな声を出す。
それからすぐに片足を軸に、手に持った大きな鞄を重りにして半回転した。
そんな彼の視線の先には、相変わらず顔を引き攣らせたメイドの姿があった。
「ゼル・デビットは居るかね?」
メイドは彼の問いに対して数秒の硬直の後、意識を取り戻したかのように肩をびくりと振るわせた。
何度か取り繕うように慌てふためいてから、彼女は背筋をぴんと伸ばして顎を引き上げる。
「ぜ、ゼル男爵様は! 今、地下で精霊と思しき不審者の尋問をなさっております!!」
「騎士じゃないんだから、そう畏まらなくて良い……。私はゼルに用があるだけだ」
「は、はい! 申し訳ありません!!」
「だから、そう畏まらなくても良いと……」
男はそこまで言いかけて面倒くさくなったのか、頭を掻きむしって再び踵を半回転させる。
メイドに後ろ手を振りながら、彼は邸宅の中へと入っていった。
残されたメイドはその後、彼の後ろ姿が見えなくなるまで男と正反対の角度で背筋を伸ばしていた。
「……何だね、これは」
男はその光景を見て言葉を失った。
と言うのも自分が尋ねてきた相手が牢屋越しの少女に必死に頭を下げているのだから、必然、そうなる。
ふて腐れたと言うよりは腐敗し切った少女は彼の謝罪など聞かずにただ何処と無い壁を眺めていた。
「おぉ、リドラ! 来てくれたか!!」
「ゼル男爵。これは一体……、何事か?」
「何事もどうも……、見てくれ」
ゼルの指差した方向、つまりはスズカゼだ。
相変わらず腐敗しきった彼女を見て、リドラと呼ばれた男は小首を傾げる。
「愛人か」
「馬鹿かお前」
「だろうな。お前が女に興味を持つとは思えない」
「だったら変な冗談を言うんじゃねぇよ……」
「そうだな。それで、俺を呼んだ理由があるんだろう」
リドラは荷物を床に置き、牢屋から少し離れた場所に腰を落ち着かせた。
何かを観察するように両手を膝の上で組み、折れ曲がった背筋をさらに屈折させる。
彼自身、呼ばれた理由は解っているのだろうがその上での確認だった。
「この小娘を見て欲しい」
予想通りの受け答え。
彼はそれを確認し、足下に置いた荷物を膝の上へと乗せる。
二つのロックを外し、折り畳み式の鞄を開けた。
「鑑定料は高く付くぞ。獣人ならともかく、精霊の鑑定はな」
「……俺達の付き合いだろう。割引ぐらいしてくれても良いんじゃないのか? 鑑定士リドラ」
「ほざけ。友人付き合いと商売は別だ」
リドラは慣れた手付きで片眼鏡をかけ、指輪を指に填める。
彼が指に填めたのはトゥルーアの宝石だ。
片目に着けた片眼鏡も、何やら輝く糸状の物が縫い込まれている。
「小娘、少し失礼するぞ」
彼は牢屋を開け、のそりと中へ入っていった。
ぶつぶつと不機嫌そうに呟いていたスズカゼはそんな彼に気付き、思わず身構える。
リドラはそんな彼女に構わずゆっくりと近付いていった。
「ば、化け物……!?」
「……割とハッキリ言う女性は嫌いではないが、私の心も鋼ではないのだがな」
少し眉根を寄せたリドラは構う事無くスズカゼの前に腰掛ける。
ただし、ゼルは見ていた。
彼女に言われた瞬間にリドラが少しだけ背筋を伸ばしたのを。
変わらないからな、それ。と言いたいのを必死に我慢して、ゼルは顔を伏せた。
「ハロウリィ、少女。今からお前を見る。異論は無いな?」
「バストを!?」
「誰もそんなまな板……。……冗談だからその殺気めいた目をするのを止めなさい。君ほどの年頃の少女がする目ではない」
「着やせするタイプだしっ……!!」
「……ともかく、だ。私はゼル男爵の依頼で君の正体を調べに来たリドラ・ハードマン、鑑定士だ。よろしく」
「あ……、ど、どうも」
少女は気まずく返事をしながらも彼を観察する。
思ったよりも丁寧な人なのだろうか?
髪の毛はボサボサだし表情筋も死んでるように見えるけど、遠慮する部分は弁えてる。
何処かのデリカシーナシ野郎とは大違いですねぇ!
「……ん? 鑑定士?」
さらっと聞き流したけれど、鑑定士?
鑑定士って言うと、宝石とかバックとかを見る、あの?
「鑑定士ってのは色々な物品についての知識を持ち、それを生かして危険度や機能を判断する人間だ。本来は魔法石や宝石、武器や防具などを鑑定するんだが……、リドラは腕利きの鑑定士でな。人間の特徴、状態なんかもある程度は把握できる」
「凄いんですか?」
「国でも重宝されるぐらいには」
「……それって、かなり凄いんじゃ」
「やめろ、照れる」
「表情が死滅した人間が何を言う」
「……無駄話はこれぐらいにしておいて、取り敢えず見せて貰おう。さっさとトゥルーアの宝石を使えば良い」
「そんな尋問道具に私は負けない!!」
「……ではまず、セオリー通り悩み事でも聞こうか」
そこからの反応は早かった。
ゼルの右手はリドラの肩を掴み、全力で圧迫する。
振り返ったリドラの目に映ったのは残像が見えるほどに光速で顔を横に振るゼルの姿だった。
まぁ、ゼルを見るリドラの背後では鬼神が如く牙を剥く少女の姿もあったのだが。
「その手で掴むな、ゼル。私の肩を砕くつもりか?」
「ん、あぁ。すまん……」
ゼルはリドラの肩から手を下ろし、申し訳なさそうにそれを背へ回す。
彼の馬鹿力から解放されたリドラはぐるりと肩を一回転させて大きく息を吐き出した。
「……何にしろ、トゥルーアの宝石を使えば全てが解るはずだ。そうだろう?」
「それで解るなら誰もお前を呼んじゃいねぇんだよ……」
「何?」
そう、ゼルがリドラを呼んだ理由。
それは彼がスズカゼにデリカシー無しの質問をしたからとか、そんな理由じゃない。
いや、それも三、いや四割ぐらいはあるのだけれど。
「宝石の効き目が薄いんだよ……!」
「……何?」
宝石の効き目が薄いのである。
悩み事だとか自分の出身だとか、そんな軽い質問なら問題はない。
だけど、いざ確信に迫ろうとすると効果の効き目が無くなってしまう。
なので本職の人を呼んだんだとか。
ただ、効果のあるラインを調べるためにプライベート事情を根掘り葉掘り聞かれたスズカゼは切れても良いと思う。
「……ふむ、そうとなればトゥルーアの宝石は効くまい」
リドラは指輪を外して鞄へとしまい、片眼鏡へと指を掛けた。
恐らく何らかの仕掛けがある眼鏡なのだろう。
彼がただそれを掛けているとはスズカゼにも思えなかった、が。
リドラがそれを発揮する機会は失われることとなる。
「た、大変です! ゼル男爵!!」
「あン?」
飛び込んで来たのは先程、リドラを出迎えたメイドだった。
ぜぇぜぇと息を切らした彼女は箒を持ったまま地下牢へと飛び込んで来たのである。
何事かと驚いているゼルよりも先に、彼女に何があったのかを問いたのはリドラだった。
「第三街で獣人達がまた暴動を……!!」
その言葉を聞くなり、ゼルは手元にあった剣を持って地下牢から飛び出ていってしまった。
地下牢から飛び出るときの彼の表情は酷く険しく、そして寂しい物になっていたように見える。
急な静寂に晒された地下牢に残されたのはメイドとリドラとスズカゼの三人。
メイドは不安そうに口元を抑え、リドラは相変わらずの無表情でゼルの出て行った扉を見つめていた。
ただ一人、何が何だか解らないスズカゼは小首を傾げるしか無かったのだが。
「あの、暴動って?」
「……本当に何も知らんのだな、スズカゼ」
「あ、私の名前……」
「ゼルからある程度の事情は聞いているさ。……それよりも、暴動について説明した方が良さそうだな。場合によってはここも危険だ」
「リドラ様!」
「構うな。こんなまな板」
「あ゛?」
「……少女に何が出来る訳でもない。それに事情ぐらいは知っておいた方が良いだろう」
「は、はぁ……」
「えーっと、それで、暴動って?」
「それにはまず街の説明からしなければならないだろう」
リドラが説明した内容はこうだった。
この国、つまりはサウズ王国は三つの街に分かれているそうだ。
まず今、私達が居る第二街。平和で清潔感もあり、この街の中心的な存在らしい。
次に第一街。ここは王城や貴族の住宅地があるんだとか。
ゼルも男爵という貴族なのだけれど、騎士団の団長という立ち位置から第二街に居を構えているそうだ。
彼が偉い人だったという事にも驚いたが、さらに驚いた事がある。
それが第三街について、だ。
「第三街は獣人や貧しい一般市民の住む街で治安はかなり悪い。ここに来るまでにも見なかったか?」
「ふ、普通に綺麗な街だなー……って」
「表面上はな。だが、それは裏を返せばゴミを生み出す余裕すらないとも言える」
「あ……」
「ハッキリ言って第三街は差別地域とも言えるほどに扱いが酷い。暴動の理由もそれだ」
「獣人だから、ですか」
「……そうだな。人と獣の中間点である彼等を、人は嫌っている」
メイドはリドラの言葉に顔を伏せ、手に持っていた箒を握り締める。
彼女も何か思うところがあるのか表情は先程よりも暗くなっていた。
それに構う事無くリドラは説明を続ける。
「ゼルは騎士団を率いて暴動を鎮圧する事が仕事の一環だ。今回もそれだな」
「な、なるほど……。……危なくないですか?」
「騎士団長が危険どうこうで仕事を辞めては世が回らん。何なら見に行くか」
「えっ」
「牢屋から出るチャンスだぞ」
「りりりりりり、リドラ様!? 流石にそれは!!」
「いつ暴走するか解らない精霊を牢屋に放っておくよりも、いつ死ぬか解らない人間を外に放り出しておく方が安全だと思うが?」
リドラの提案に対して、メイドは言葉に詰まって二歩、三歩と後退る。
少女は言葉の端に引っ掛かる違和感を考え、すぐに答えへと辿り着いた。
これって、要約すると外に出ると死ぬって事だよね?
この人は何をさらっと言っているのだろうか。
「護身物ぐらいは渡してやる。ナイフで良いか?」
「え、あ……、はい」
リドラが鞄から出した、小さなナイフをスズカゼは思わず受け取ってしまった。
果物ナイフほどだけれど、普通は鞄から出てくる物じゃないと思う。
しかもこんな可憐な女の子にナイフを渡すとか正気だろうか?
「それでは、行ってくると良い」
表情括約筋が死滅したと思われるリドラが浮かべた、小さな笑み。
その笑みは明らかに何かを企んでいる物だったが、スズカゼが断れるはずもなく。
何も知らず異世界に召喚された少女は、いきなり暴動地のど真ん中に放り込まれる事となった。
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